Case.19 仕事継続

Case.19 仕事継続


 ジュンは貸与されているパソコンで検索をかける。『毎日、一日、彫刻』はそれなりに盛況のようだ。SNSで『行ってきた』との投稿が毎日10件程度ではあるが何かしらヒットする。

 『穿つ』の展示も続いている。だが、以前のような『迫力がある』とか『動き出して人を襲いそう』という投稿はない。『穿つ』の投稿を見てきた人の肯定的な投稿は『確かに迫力がある』、否定的な投稿は『そうでもなくね?』といったものだ。どちらにせよ、以前ほどの評価はされていないようだ。

 だが、入り口に設置されている『穿つ』はやはりアイコンになっているようで、検索をかければ今でも多くの画像が投稿されている。

「心配か」

「心配ですよ」

 辰巳に言ったとおり、ジュンは何もできない。『穿つ』の展示を取り止める権限も、ディストーションを確実になくす方法も持ち合わせていない。

 SNSを見てディストーションの兆候がないかを探している。

「第二係もやっているだろう」

「けど、自分でもできることをしたくて」

「この間のデートの挽回か」

 リクはコーヒーを啜りながらジュンを憐れむ。デートのお誘いだと思って行ってみれば、話の内容は展示会のことばかり。『穿つ』の転倒による臨時休業が、辰巳にはショックだった。その相談でしたと、リクはジュンから報告を受けている。

 改変対策課として個人の交友関係を監視を行っている訳ではない。だが、今回の辰巳は特別だ。展示会に関わっている。ジュンはどのような話をしたのか、リクに報告を挙げている。

 報告を挙げているジュンの暗い表情を見れば、誰だってデートが芳しくなかったと察しが付く。

「デートじゃないですってば」

 ジュンはジト目でリクを見る。デートではないと何度言っても聞き入れてもらえない。頑固親父かとジュンは突っ込みたくなる。

 あれがデートだとしたら、喧嘩別れに当たるのだろうか。いや、そもそも話している内容が他人からみれば物騒というか、オカルトめいている。木彫りの熊が動くだなんて話、冷静に考えてみれば怪奇現象以外の何物でもない。

「というか、リクさん。みなさんに言いふらしたでしょ」

「言いふらしたのは俺じゃない。俺は春日主任に話しただけだ」

「やっぱりリクさんが犯人じゃないですか!」

 翌日、出勤すればみなジュンを見てにっこりと笑いかけてきた。疑問を頭に浮かべながらいけば、春日が満面の笑みを浮かべながら『どうだった?』と聞いてくる。何のことですかと問えば、デートはどうだったか、との問いだった。

 春日に言えば、課の全員に言ったのと同じだ。春日は噂の発信源だ。ひいては、発信源に情報を流したリクが犯人だ。

「中学生ですか、全く」

 人のデートの噂で楽しむだなんて、やっていることが中学生レベルだ。しかも、心底楽しそうなのが、また腹ただしい。

「ま、そんなに気に病まないことだな」

「どの口が言うんですか……」

 リクのせいで気に病んでいる。だが、リクの目線はジュンではなく、パソコンの画面に注がれている。『気に病むな』というのは、ディストーションを発見できなかったことも含めて言っていたようだ。

「……リクさんが新人の頃はどうでしたか?」

「俺か。歩くことさえできなかったな」

「それって……」

 何か重大な怪我でも負ったのだろうか。ジュンは生唾を飲み込む。

「筋肉痛で」

「筋肉痛かよ!」

 ジュンは思わず突っ込む。筋肉痛でよたよたと壁に手を突きながら歩くリクは、容易に想像がつく。鍛えているらしいが、それでもジュンよりは細い。

「筆よりも重い物を持ったことがない人間だぞ、俺は」

「全然自慢になんねぇ。洒落にもなりませんね」

「そんな俺に大立ち回りをしろ、だなんて無理な話だ」

 部活はずっと美術部で、身体を動かす習慣のないリクにとっては、芸術の知識や技術、仕事の仕方を身につけることよりも、戦闘の方が断然大変だった。第一係に配属されて、巨大な筆を持たされて、この筆を振り回せと言われたときは、もしかしたらディストーションを初めて目の当たりにしたときよりも驚いたかもしれない。

 そのうち戦闘の必要性を知り、積極的にトレーニングに励むようにはなったが、しばらくは筋肉痛が酷くて歩くことさえままならなかった。春日に聞けば、大笑いしながら当時のことを話してくれるはずだ。

「けど、芸術に対する知識はあったんですよね」

「芸大出身だぞ。普通の人よりは勉強もしているし、美術館にだってそれなりに通っている」

 リクの専門は水墨画。著名な作品は全て押さえているし、水墨画の発展の歴史だって空で言える。水墨画だけではなく、そのほかの絵画についてもそれなりに知識はある。美術館だって、大学生のときに年に何度通っただろうか。

 今のリクにとって美術館は仕事の場であり、勉強の場であり、趣味の場だ。だが、大学生の時だって、勉強の場であり、趣味の場であったことは変わりない。

「だがな、ディストーションを自分で発見したことはない」

「え?」

「第一係は第二係からの報告を受けてディストーションを解除しにいく。だから、最初から『この作品はディストーションになっている』と知っている」

 美術館に通い、いろんな作家の個展にも出掛けているジュンだって、ディストーションを発見したことはない。

「第一目撃者はどこかにいる。だから、ディストーションは発見され、俺たちは解除しにいく。だが、俺自身が第一発見者になったことはない」

「もしかして、励まそうとしてくれてます?」

 リクなりの励ましだろうか。何度も美術館に通っているリクでさえ遭遇したことのない未発見のディストーション。ジュンはそんなレアケースに出くわしたのだから、必要以上に気に病む必要はない。そう言いたいのだろうか。

「励ます? 馬鹿言え。そこら辺にいるカップルが気づいたのなら、お前だって気がついて当然だ。お前はきちんと反省しろ」

 だが、リクは厳しい言葉をかける。ジュンも素直に受け入れる。

 リクでも遭遇したことのない未発見のディストーション。だけど、リクが見たのならきっと気がついただろう。カップルよりも先に発見し、改変対策課に連絡を入れ、斉藤が怪我をする前にディストーションを解除していたのは容易に想像できる。

 ジュンにだって気がつくチャンスはあった。チャンスを生かし切れなかったのは、リクのミスだ。

「起こったことは仕方がない。いつまでもその熊にばかり執着しているな」

 だけど、いつまでも落ち込んでいる必要も、反省し続ける必要もない。失敗したのなら、反省し、前に進まなければならない。改変対策課の仕事は山ほどある。

「ほら、今日の仕事だ」

 リクは無造作に資料を机に置く。

「いつもより多くないですか?」

「文句言っている暇があれば、少しでも目を通せ」

 ジュンは資料に目をやる。今日の第二係が作成した仕事の概要の他に、違う物が混ざっている。

「ん?」

 資料室の概要が纏められているだ。ジュンが案内された時は、どこに何があるのか全くわからなかった。昨日も勉強しようとしても、どこから手を付ければいいのかわからずリクに泣きついた。

 だが、纏められたこのペーパーさえ見れば、どこに何があるのかわかる。初心者にはこの本がオススメとか、ご丁寧に写真付きで紹介されている。

「リクさん、これって」

「資料に目を通したな。よし、行くぞ」

「え、待ってくださいよ!」

 リクが席を立つ。本当にこれは現場に行く感じだ。これをツンデレと言っていいのか迷う暇もない。ジュンは慌ててリクの後を追った。

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