Case.18 不安穿孔

Case.18 不安穿孔


「もし俺が聞いたことある、って言ったらどうするつもりなの?」

「……怖いの」

 辰巳の表情が曇る。ジュンは食べ物を詰め込む手を止める。

「『木彫りの熊が動いた』なんて話、私も斉藤さんじゃないと信じないよ。ううん、斉藤さんの話でも、映像がないと信じなかったと思う。だって、有り得ないじゃん」

 辰巳は両手で顔を覆う。

「あの熊、明日も飾られるのよ。あんな風に動いて、斉藤さんに襲いかかったのに、平然とした顔で明日も昨日の場所に展示されるの」

「それ、は……」

 ジュンは顔を覆っている辰巳に手を伸ばすが、途中で止める。慰めるべきなのか、笑い飛ばすべきなのかわからない。

 動き出し、人を襲ったモノが展示されるとなれば、確かに恐怖を感じるだろう。だって、また人を襲うかもしれないのだから。来場者を、辰巳を襲う可能性だってあると感じるのは当然だ。

「斉藤さんは『穿つ』は倒れたんじゃない、動いたんだ、って一生懸命警察官に説明したらしいんだけど、取り合ってくれなかったみたい。『穿つ』の手には斉藤さんの血が付いているはずなんだけど、警察官が見せてくれた写真は綺麗になくなっていて」

 付着した血をジュンが削ったから、熊の手は綺麗になって元の木目になっているはずだ。

「警察官はその画像を見せながら、展示を続けるかどうするかを斉藤さんに聞いたらしくて。事故があったし、『穿つ』の展示を続けるか止めるかの判断は、制作者の斉藤さんが決めていいって。そしたら、斉藤さんね……」

 辰巳は顔を覆っていた手を外す。温厚なイメージの辰巳には似つかわしくなく、目がつり上がっている。顔に浮かんでいるのは恐怖だけではない。怒りも見て取れる。

「続けるって返事したらしいのよ!」

「辰巳さん、声押さえて」

 辰巳の興奮が声に現れている。今にも立ち上がりそうな辰巳を、ジュンは宥める。辰巳は我に返って声のボリュームを落とすが、目には赤々とした光が宿っている。

「続ける? 有り得ないでしょ。だって、木彫りの人形が動いて、怪我人まで出ているのよ。中止すべきでしょ。だけど、斉藤さん、どうしても展示続けたいんだって。どうしてですかって聞いたら、何て答えたと思う?」

 辰巳の声がまた上ずり始める。ジュンが目で合図を送る。辰巳は深呼吸で自分を宥めようとするが、あまり効果はないようだ。

「『これでやっと、俺も注目してもらえる』って! 怪我までしたのに、この後も、もしかしたら自分の作品が誰かを怪我させるかもしれないのに。あの人は安全なんて考えていない。安全よりも、これを自分を売り込むチャンスだって思ってるのよ!」

 辰巳の意見は当然のように思える。だけど、ジュンは知っている。『穿つ』は、もう展示されても大丈夫なのだ。

 ディストーションは解除された。『穿つ』は、ジュンが手を削り、リクが折れた足を直したことで、斉藤のオリジナルではなくなった。

 『穿つ』がディストーションによって動き出したのは、SNS等による口コミが主な要因だ。口コミで『動き出しそう』と評判になったから、実際に動き出した。

 だが、それはそもそも斉藤が彫った『穿つ』には、『動き出しそう』な迫力があったゆえだ。ジュンとリクが手を加えた作品では、その迫力は削がれる。

 だから、もう動くことはないだろう。しかも、一度ディストーションを起こしたとして、第二係の監視も付く。ある意味、他の作品よりも安全だと言える。

 だが、そんなことを辰巳に言えるはずもない。

「じゃあ、やっぱりさ。あの動画は斉藤さんの冗談だったんじゃない? じゃないと、展示を続けるなんて言わないでしょ」

 ジュンは斉藤の勘違いという線を押していく。だが、辰巳は納得しない。

「……冗談じゃないからこそ、展示を続けるのよ」

「どういう、意味?」

 辰巳が言わんとしていることがわからない。

「本当に動いたからこそ、展示を続けるの。この動画を見せたって、塩谷くんみたいに冗談だって笑われて終わるのは目に見えている。だけど、大勢の人の前で動き出したら? 斉藤さんだけじゃない、一般の人も動いているのを見たら? 誰も冗談だって笑わない」

 そして、斉藤は有名になる。有名になるどころではない。世界で初めての偉業を成し遂げた人物として、伝説に残る。何の変哲もない木に、魂を吹き込んだ第一人者となる。

「まるで神様よ」

 辰巳から出た『神様』という単語に、ジュンは頭に雷が落ちたような衝撃を受ける。神様。確かに無機物に命を与えるという所業は、神のそれだ。

「斉藤さんは神様になりたい訳じゃないと思う。そんな大それたことを考えてはいないはず。ただ、有名になって、作品を売って、お金を稼ぎたいだけ。そのためには、『穿つ』展示される必要がある」

 だけど、と辰巳は言葉を続ける。

「だけど、もしまた『穿つ』が動いたら? 動いて、お客さんを傷つけたら?」

 人を傷つける可能性があるものをそのまま展示しておく感性が怖い、と辰巳は呟く。

 ジュンは辰巳の『仲間はずれ』を思い出す。ガラスケースの中でポーズを決めるバレリーナたち。レースまで細かく彫られた彼女たちは、作り手の辰巳の心の繊細さを反映しているのかもしれない。

「辰巳さんの気持ちはわかる。けど、ごめん。俺にできることはないや」

 辰巳の気持ちを汲むことはできる。人を傷つける可能性のあるものを展示したままにしておく恐怖も理解できる。

 だけど、ジュンにできることはない。ディストーションについて説明することも、展示を無理に中止することも、ジュンにはできない。

「ごめんね、せっかく連絡もらったのに」

「ううん。私の方こそ呼び出して、変な話してごめんね。けど、他に相談できる人もいなくて」

 お互いに謝る。ジュンはジョッキに残った最後の一口を飲み干す。とっくにぬるくなったビールはおいしくない。辰巳も氷が溶けて薄くなったウーロン茶をストローで啜る。やはりおいしくはなさそうだ。

「何か心配なことがあったら、また連絡してよ。力にはなれないかもしれないけど」

「ありがとう。私、もう一回斉藤さんを説得してみる」

「そうだね。斉藤さんが展示しないって言えば、展示は中止になるはずだから」

 展示を中止するには、斉藤側からのアプローチが現実的だ。辰巳の話を聞くに望みは薄そうだが、現状それくらいしかできることはない。

 ジュンは伝票を手に取り立ち上がる。あまり食べていないからか、会計した金額は思ったよりも安かった。

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