Case.17 秘密厳守

Case.17 秘密厳守


 辰巳に指定された店に行けば、辰巳は既にいた。注文はまだしていないようで、水滴の付いたお冷やだけがテーブルに置かれている。

「待たせてごめん」

「ううん、こっちこそ急に電話してごめんね」

 辰巳が指定した店は、木を基調とした内装が印象的な創作居酒屋だ。所々に木の彫像が置いてある。またその彫像がみなユニークな表情をしていて、温かい雰囲気を作っている。人気店なのだろう。席は全て埋まっている。だが、空間にゆとりを持たせた店内は息苦しさは感じず、程よい雑音となって心地よさを醸し出している。

 だが、その中で座っている辰巳の顔色は悪い。ジュンが来て笑顔を作りはしたものの、表情は固い。

「何か注文しようか」

「そうだね。えっと、フライドポテトとおでんがおいしいよ」

「じゃあ、それにしよう」

 メニュー表を見ながら、適当に注文を決めていく。

「飲み物は? 俺はビールにしよう。クラフトビール、飲んでみたい」

「私はウーロン茶にする」

「お酒、飲めないの?」

「嫌いじゃないよ。今日は飲む気分じゃないだけ」

「そっか」

 店員に注文をすると、すぐにビールとウーロン茶が運ばれてくる。グラス同士をぶつけて乾杯をする。ビールはいつも通り、仕事で疲れた身体に染み渡る。辰巳は刺さったストローからウーロン茶を一口だけ飲む。

 お通しも運ばれてきた。わさびが爽やかなたこわさは、ビールによく合う。ジュンはたこわさを摘まみながら、ビールを口に運ぶ。

「たこわさもおいしいね」

「そうだね」

 辰巳もたこわさに手を付けるが、目線は落ち着かない。辰巳から話始めるのを待とうかとも思ったが、なかなか踏ん切りがつかないようだ。ジュンから話を振る。

「それで、今日はどうかしたの?」

「ごめん、忙しかったよね」

「めっちゃ忙しかったよ」

 ジュンは冗談で言ったつもりだが、辰巳は真面目に受け取ったようだ。恐縮したように、もう一度ごめんと謝る。ジュンは失敗を悟ったが、取りなす雰囲気でもない。店員がフライドポテトとおでんを持ってくる。

 太く切られたポテトは、こんがりと揚がっている。お互いに一口ずつフライドポテトを口に運ぶ。

「……フライドポテト、外はサクサクで中はほくほくでおいしいね」

「でしょ? チェーン店じゃちょっとこの食感は食べられないよね」

 辰巳の表情が緩む。辰巳はふぅっと息を吐く。それから、意を決したようにジュンを見る。

「今日、ね。展示会が臨時休業になったの」

「へぇ。どうして? 何かあった?」

 なかなかわざとらしい返答となった。だが、辰巳は違和感を感じなかったようだ。ウーロン茶をストローでかき混ぜながら、話始める。

「展示会場の入り口にあった木彫りの熊を覚えている? 『穿つ』って言うんだけど、その『穿つ』が……今朝、倒れてしまったみたいなの」

「そりゃ大変だ」

 実際はディストーションが起きて『穿つ』が動き出したのだけれど、もちろん言うことはできない。ジュンは適当に相槌を打つ。

「たまたま展示会の準備に来ていた人が倒れた『穿つ』の下敷きになっちゃって怪我して、それで今日は臨時休業になっちゃって」

 リクがジュンに説明した通りに辰巳に伝わっているようだ。『穿つ』が動き出して襲われたのではなく、『穿つ』が倒れて怪我をした。臨時休業は今日だけ。明日からは通常通り開場となる。

「それで、今日その怪我をした人のお見舞いに行ってきたの」

「怪我は酷いの?」

 そういえば、どんな怪我をしたのか聞いていない。リクに聞けば教えてくれただろうが、それどころではなかったジュンは聞きそびれていた。

「全治2ヶ月。肩の骨が折れたみたい」

「わお。それは大変だ」

 演技ではなく、本心からのリアクションだ。肩の骨が折れたのなら、一大事だ。治った後もリハビリが必要かもしれない。

「痛々しかったけれど、元気そうだったのがせめてもの救いかな。――けど、気になることを言っていて」

「気になること?」

 ジュンは嫌な予感に眉をしかめる。辰巳は店内を横目で窺いながら、小声でジュンに話始める。

「斉藤さん――『穿つ』の制作者で、怪我した人ね――が、あの熊が動き出したって言うの」

「動き出したって……そりゃあ、倒れてきたんだから動いたんだろうけれど」

「そうじゃなくて」

 ジュンは茶化そうとするが、辰巳は騙されなかった。表情は更に真剣味を帯びていく。

「本当は倒れたんじゃなくて、歩き出したって。斉藤さんは驚いて逃げたんだけど、追っかけてきて、それで……斉藤さんの肩を手で殴ったって言ってたの」

 辰巳は身振りを交えてジュンに説明する。斉藤は無事だった肩で再現したのだろう。辰巳の再現もそれなりに臨場感がある。

 ジュンは唇を舐める。辰巳の話は、ジュンが全て知っているものだ。だけど、シラを切る。

「『穿つ』が動き出したって、そういう仕掛けでもしてあったの?」

「してない。斉藤さんは大きな木に熊を彫っただけ。そういう機械染みた仕掛けはしていない」

「じゃあ、見間違いとか、勘違いとか……」

 辰巳は首を横に振る。辰巳の髪が左右に揺れる。

「そうじゃないの。これ、見て」

 辰巳がスマホをジュンに見せる。

「これ、は……」

 ジュンは息を飲む。

 画面の中で、木彫りの熊が確かに動いている。『穿つ』は巨大な身体を動かし、撮影者――斉藤に向かってくる。巨大な身体に見合った立派な腕を上から振り下ろす。撮影者のものであろう絶叫が響いて、スマホは床に落ち画面は暗転する。そこで映像は終了した。

「……」

「ね、動いているでしょ?」

 言葉を失ったジュンの腕を辰巳が掴む。

 想像以上に生々しい映像だった。何度も見返したであろう辰巳の、ジュンを掴む指先が震えている。

 本物の熊に襲われるのも恐ろしいだろう。だけど、もしかしたらそれ以上にこの映像は恐怖をもたらす。本来動き出すはずのものが動いた。本来は有り得ない大きさの熊が襲いかかってくる。

 実際に『穿つ』と対峙したジュンは映像くらいではさほど恐ろしさを感じない。だけど、ディストーションという現象も知らず、戦う術も持たない辰巳にしてみれば恐ろしいことこの上ないだろう。

 ジュンは辰巳に何と言葉をかければいいのか悩む。悩んだが、出てきたのは一番つまらないものだ。

「けど、これって合成とか、CGとかじゃないの? 展示会の宣伝とか」

 店員がフライドポテトがなくなった皿を下げる。卵焼きやパスタを持ってくる。同じクラフトビールを追加で注文する。ジュンは辰巳の気を紛らわすためにパスタに手を伸ばすが、辰巳はパスタをテーブルの横に追いやる。辰巳との間に何もなくなって、ジュンは心許なさを感じた。

「合成でもCGでも宣伝でもないの。本当に動き出したって斉藤さんは言ってた」

「けど……信じられないよ」

 辰巳が端に追いやったパスタを取り戻す。取り皿に分けて辰巳に渡す。ジュンも自分の分を取り分ける。店員が新しいビールを運んでくる。ビールはよく冷えている。

「私は信じる。斉藤さんはこんな嘘を吐くような人じゃない。それにこんなCG作って何になるの? 宣伝にしても、マイナスイメージにしかならないでしょ」

 辰巳の指摘に、ジュンは黙るしかない。確かにこんな恐ろしい映像は大多数の人に恐ろしさを植え付けるだろう。ただでさえ来館者数が伸び悩んでいるのに、更に人足は遠のく。

「で、しかも斉藤さんは口止めされたらしいの」

「口止め……」

「『穿つ』が動いたことは秘密にするようにって厳命されたみたい。何か警察官? みたいな人が来て、怖かったって」

 辰巳がジュンに連絡をした理由がわかった。口止めしたのが警察官であるならば、ジュンが何か情報を持っているのかもしれないと思っているのだ。

 だが、実際斉藤の元に赴いたのは警察官ではなく、改変対策課の第二係だ。ディストーションを目撃した人の元に赴き、秘密の保持をお願いするのも第二係の仕事に含まれる。

 警察官の制服を着ているのは、改変対策課を表に出さないためだ。御朱印のディストーションを解除したときに、ジュンとリクが『リペアート』という架空の業者を名乗ったのと同じだ。改変対策課は時に警察官のフリをして、情報収集や事後処理を行うときもある。

 斉藤の元にも、第二係の人が赴き秘密を守るようお願いしたのだろう。だが、残念ながら、秘密は守られなかったようだ。

「塩谷くんは警察官だよね? 何か知らないの?」

「聞いたことないよ」

 ジュンは簡単に答える。パスタを口に運ぶ。濃厚な鮭の旨味が溶け出しているはずのクリームパスタだが、味はよくわからない。ビールで強引に流し込む。

「斉藤さんの話じゃなくていいの! こういう、何か作品が動き出すみたいな話とか聞いたことない?」

「ないよ。というか、無機物が動き出すわけないじゃん」

 ジュンはつまらなそうに辰巳に答える。沈黙を恐れて、ジュンはテーブルに並ぶ料理を次々と口に運ぶ。

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