Case.13 会場再来
Case.13 会場再来
近くでジュンとリクの会話を聞いていた春日は、手を口元に持っていき隠す。
「ちょっとちょっと。塩谷くん。それって……」
だが、目元は笑みを隠せていない。にこやかな笑顔というよりは、ちょっと粘着質な笑い方だ。例えるなら、そう、噂好きな人が浮かべるような。
ジュンは何を言われるのかと身構える。
「もしかして、お家デートってやつじゃないの?」
「違いますよ」
何を言い出すのかと思えば、高校生と同じようなノリで質問された。ジュンはげんなりして肩を落とす。
噂好きな人はどこにでもいて、また恋愛ごとについては食らいつきが良いようだ。そして、春日は噂好きなタイプのようだ。しかも、噂を広めそうなタイプでもある。
「けど、アパートに行ったんでしょ? まさか何もせずに帰ってきたの?」
隠すつもりもない野次馬根性はもはや天晴れだ。春日はぐいぐいとジュンに詰め寄る。
「何もって……彫刻はしてきましたけど」
「馬鹿か」
「また馬鹿って暴言を吐く」
暴言を吐いたリクをジュンは責めるが、リクはもう一度同じ台詞を言う。いつもは窘める春日も、今回ばかりはジュンの暴言を容認した。
「女性が自室に招き入れてくれたんだぞ。その意味もわからないのか。朴念仁と言われがちな俺でもわかる」
「はい? リクさん?」
リクの口から思いもしなかった言葉が出る。恋愛よりも芸術に魂を傾けているようなリクが、女性が自室に招き入れた意味をジュンに説いている。
目の前にいるのは本当にここ最近一緒に行動しているリクなのだろうか。ジュンはリクを凝視するが、リクは言葉と同じように落胆した表情を浮かべている。
「で、でも、俺たちは純粋に作品を……!」
「そんなの建前に決まっているじゃない!」
ジュンの言い訳を春日が遮る。春日はよよよ……と泣く演技に入る。
「せっかく勇気を出して、高校生の時から憧れている塩谷くんを家に招いたのに、彫刻彫ったら満足して帰るだなんて……」
「勝手に辰巳さんの気持ちを捏造しないでくださいよ」
「じゃあ、お前。本当に何もせずに、というか彫刻だけして帰ってきたのか?」
「そうです」
狭くはない改変対策課の部屋が静寂に包まれる。リク以外の全員が何らかの芸術を学んで来た人たちであるから、芸術に邁進していたと言えばむしろ感心されると思ったのに。部屋に広がっているのは、明らかな落胆だ。
「え? えぇ? 俺が間違っているんですか?」
リクがジュンの肩を叩く。
「今度春日主任にじっくりとそこらへんを教えてもらえ」
「任せて! 今度オススメの恋愛漫画持ってくるわ」
春日が力こぶを作る。恋愛漫画を100冊くらい持ってきそうな迫力がある。
「純粋に芸術を追い求めることが、そんなにダメですか!」
ジュンは苦し紛れに言ってみる。純粋な気持ちで普通に二人で芸術を楽しんで来ただけなのに、こんなに責められないといけないのか。
「じゃあ、リクさんは不純な動機で女性を美術館に誘うんですか」
「誘わない」
「ほら!」
「俺にとって美術館は仕事の場であり、勉強の場であり、趣味も兼ねているからな。一人で鑑賞したい」
リクは美術館に1日中いることができるタイプだ。仕事と勉強と趣味の全てが一度にできる。美術館にいる間はほとんど口を開かないし、自分のペースで作品を見たい。同行者はむしろ邪魔だ。
「だが、映画館や水族館なら話は別だな」
だから、リクはデートをするなら映画館や水族館などに行く。美術館とは違って、映画館や水族館ならばもっと気軽にデートを楽しめるからだ。
「だが、お前は俺と違って、芸術なんておまけだろう」
「ぐぅ……」
リクに指摘されて、ジュンは押し黙る。確かにリクのように真剣に美術館に入り浸ることはできない。本命の相手なら、むしろ積極的に美術館に誘う。今のジュンは普通の人より芸術の知識があるから、博識なところを披露することもできる。
ジュンだって辰巳のアパートに誘われた時、心の片隅でちょっと期待はした。彫刻教室が終わった後、家で飲むとか近くで食事をするとか、そういう展開が待っているのではないだろうか、と。だが、辰巳はジュンの作品が完成した後、『塩谷くんと話してたら、良い刺激になったよ。ありがとう。早速今からちょっと彫ってみる!』とジュンをとっとと家から追い出した。
追い出されたジュンは家に帰る途中にある牛丼チェーンで食事を済ませた。いつもは大盛りだが、デカ盛りを注文した。
ジュンに淡い期待があっても、辰巳の方にその気がなければどうしようもない。だが、説明すれば虚しいだけだとわかりきっているので、ジュンは反論できない。
「連絡先交換したんでしょ? じゃあ、次もあるはずよ。そんなに落ち込まないで」
「いや、そもそも俺たちそういうんじゃないんで」
そもそもジュンの中に、辰巳と恋人になりたいなんて気持ちはない。
「本当に? 100%ないのか? 少しは期待したんだろ?」
リクの言葉にジュンは沈黙を貫く。
期待、した。健全な成人男子として、少し期待した。
「皆さんには関係ないじゃないですか」
「関係はない」
リクは言い切る。そして、胸を張る。
「だが、面白いからネタを提供しろ」
「横暴だ!」
リクや春日がやけに拘っている理由がようやくわかった。彼らはゴシップに飢えている。ジュンをおもちゃにして楽しみたいのだ。
「職場に楽しみの一つでもないとやっていけない」
「リクさん、もう少しオブラートに包んでください」
あまりにも明け透けなリクの言葉に、ジュンは力なく突っ込む。
「リクさんがそういうネタを提供すれば良いじゃないですか」
「俺は……遠慮しておく」
「自分ばっかり安全地帯に立ってずるい」
若い男性の恋バナが聞きたいなら、リクでも良いはずだ。ジュンばかり不公平だ。
「……この話はこれくらいにしておきましょうか。さ、仕事しましょう」
春日が手を叩く。パンッとよく響く手拍子は、丁度放送で流れる始業のチャイムと被った。チャイムを合図に、全員が机に向かう。
「さ、仕事だ仕事」
「うえー? 何か納得がいかないんですけど」
リクに話が飛んだ瞬間、リクも春日も顔色が変わった。何かあるのは間違いがない。だけど、それを聞けるような雰囲気ではない。ジュンが不満を口にするが、リクに黙殺された。
「今日は予定通り……」
「松原くん、塩谷くん! ちょうど良かった、いてくれて」
「どうかしましたか、課長」
ジュンとリクが席に着こうとするタイミングで、手を挙げて課長の森田が部屋に入ってくる。森田は毎朝文化庁の長官とミーティングを行う。例のピンクのドアを使うこともあれば、電話だけで簡単に済ますことも、間を取ってテレビ通話を行うこともある。
ミーティングの内容はもちろんディストーションのことだ。ディストーション自体が秘密にされていることも然る事ながら、改変対策課の課員にも秘密にされている部分も多々ある。
それ故、森田は毎朝別室でミーティングを行っている。だから、チャイムが鳴った後に部屋に入ってくることもしばしばだ。だいたいは頭の痛そうな顔をして入ってくるのを見て、ジュンはいつも雨に濡れた犬を見ている気持ちになる。
その森田が、今日は緊張を湛えた面持ちでジュンとリクを指名した。
「緊急事態だ。とある展示会の作品でディストーションが発生したらしい。今日の仕事をキャンセルして、そちらに向かってほしい」
「わかりました」
リクが頷く。今日の予定は、先日の御朱印のように定期的に行っているものだ。どのようなディストーションが起こるかもわかっているし、人や物に対する害もないものだ。後回しにしても影響は小さい。
それよりも、どのような影響を及ぼすか予測ができない新規のディストーションへの対応が優先される。
「場所は東京都内。ディストーションが確認されたのは、昨日。新進気鋭の彫刻家たちが自費で開催している展示会でのことだ」
「……ん?」
ジュンは森田の言ったことを頭の中で復唱する。何とも聞き覚えのある展示会だ。机の上に広げられた解説本を閉じ、森田に見せる。
「その展示会って、もしかしてこれですか?」
森田はジュンの持っている解説本を見て、目を丸くし、深く頷いた。
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