Case.12 恋話未満

Case.12 恋話未満


 ジュンは手の平サイズの木彫り人形を手に乗せながら、改変対策課のドアを開けた。

「おはようございます」

「おはよう、塩谷くん。……それ、なに?」

 春日はいち早くジュンの手の上に乗っているものに気がついた。ジュンはずいっと春日に手の平を差し出す。

「これ、俺が昨日彫ったんです」

「ジュンくんが? だとしたら、今までと雰囲気が違うかも」

 ジュンの手の平に人形は、木彫りのバレリーナだ。

 ジュンが今まで彫っていたのは、犬とか猫とか熊とかだ。人間を彫る気になってもおかしくはないが、バレリーナになると違和感を覚える。バレエも芸術の一つとして改変対策課の業務範囲に含まれているが、ジュンが急にバレエに興味を持つとは考えにくい。

 春日は戸惑って、リクに視線を送る。春日からの視線に気がついたリクが近づき、ジュンの手の平の上にあるバレリーナを見比べて一言。

「……美女と野獣のオマージュか?」

「リクさんの中の美女と野獣ってどんな物語なんですか?」

 野獣が木彫り人形を彫る話でも、美女が木彫り人形に変えられる話でもない。そもそもジュンを野獣で例えるなという話もある。一応、上京してきて垢抜けたつもりなのだし。

「これに行ってきました」

 ジュンは人形を机の上に置き、カバンから昨日行った展示会『一日、毎日、彫刻』の解説本を取り出す。リクは解説本を手に取り、ページをめくる。前売り券を買っていたから、行く気があるのは知っていた。だが、解説本まで買うとは思わなかった。

「どうだった」

「面白かったです。やっぱり少し、ほんの少しだけですけど、彫刻をやってみてから行くと、違いますね」

 ジュンの回答にリクは深く頷く。展示会に行くようにジュンに勧めたのはリクだが、不安でもあったのだ。いくら仕事にプラスになるとはいえ、彫刻をするのも仕事だとはいえ、休日にまで美術館に行って勉強しろというのはやりすぎかもしれないと思っていたのだ。

 実際、課長の森田にも芸術家気質の人と同じ事をジュンに求めるなと釘を刺されている。ジュンは改変対策課には珍しく、文化庁以外からの異動で来た人間だ。リクたちのように芸術が身近にある人間とは違う。普通の人間は、美術館に月に一回どころか年に一回も行かないし、社会人になってからはパソコンを触るばかりで鉛筆なんてほとんど握らないし、コンサートに行ってオーケストラの余韻に浸るよりはカラオケでジャンジャカタンバリンを鳴らす方が好きなのだ。無理に美術館に行けと言われれば、重荷になる。

 改変対策課は人手不足だ。その中でジュンは改変対策課に根付くかもしれない貴重な人材だ。しかも、文化庁出身ではなく、警視庁出身の警察官。文化庁出身者に不足している、フィジカル面を補ってくれる。

 展示会に行き、より多くの作品を見ることは、これから改変対策課で働くジュンにとってプラスになる。だけど、強制はしては重荷になって、嫌になる。

 だからこそ、ジュンが自ら前売り券を買い求めた時は嬉しかった。リクに言われずとも、ジュンはきちんと自分がすべきことを理解していたし、改変対策課の一員として力になろうとしているのがわかったから。

 まさか解説本を買ったり、作風が変わるほどハマってくるなんて思わなかったけれど。

「だが、バレリーナは意外すぎるが」

 筋肉質の男がバレリーナを彫ってはいけない訳ではないが。そんな偏見を持ってはいけないが。

 だが、リクを初め改変対策課の人々が抱いてきたジュンのイメージとズレている。バレエなんて一度も見たことのないと思われるジュンがいきなりバレリーナを彫ってきたら、違和感満載だ。

「このページ。見てください」

「ほう……これはなかなか」

 リクはジュンが開いたページを見る。白いたくさんのバレリーナに囲まれた黒いバレリーナ。タイトルは『仲間はずれ』。専門が違うとはいえ、写真を見ただけとはいえ、芸大の美術学部を卒業したリクにはこの作品に込められた熱量が伝わる。いや、リクのように芸術に親しんできた人間でなくとも、この熱量は感じ取ることができるだろう。

 精巧に作られたバレリーナは今にも動き出してもおかしくないほどだ。人体の骨格や筋肉も考えて彫られたのであろう彼女たちは、それだけの説得力を持っている。

「この作品の作者は俺の高校の時の同級生なんですけど、展示会に行ったら偶然再会して」

 リクは改めて『仲間はずれ』のページを見る。作家のプロフィールには『辰巳葵』とあり、芸大の出身であることや、得意な分野、『仲間はずれ』に込められた思いなどが記載されている。

「で、辰巳さんに趣味で彫刻を始めたって説明して、それで彫刻の仕方っていうかコツを教えてもらったんです」

 それで、出来上がったのが現在ジュンの手の平にあるバレリーナを模した木彫り人形である。ここまで説明されて、リクたちはようやく納得がいった。

「彼女のアトリエにでも行ったのか」

「そうですね。アトリエっていっても、普通のアパートでしたけど。いや、普通か?」

 画材屋で木片を購入してから、辰巳のアパートに向かった。2LDKのアパートのリビング部分は辰巳の生活スペース。朝食後にコーヒーを飲んでそのままになっているマグカップ。ベッドの横に置かれたティッシュの箱。壁際にひっそりと佇む掃除機。

小綺麗ではあるけれど、生活感もある。辰巳のアパートは全くもって普通だった。

 だが、ドアで区切られたもう一部屋。辰巳がアトリエとして使っている部屋を見て、ジュンは目を見開いた。

 石を彫るために使うノミやトンカチといった道具が小さな机の上に並んでいる。歩く度に石を削った時に出る粉が宙を舞い、蛍光灯の光を浴びて煌めいている。これまでに彫ってきたバレリーナたちが、壁に取り付けられた収納棚にずらりと並んでいる。

 隣接している辰巳の居住空間とまるで違う。芸術家としての辰巳の空間にジュンは飲み込まれた。

 辰巳は作業机の前に置かれた小さな椅子に座る。椅子の上も石の粉で汚れているが、気にしていない。椅子は一脚しかない。ジュンは床に座るように促される。促されたジュンは一瞬躊躇ったが、そおっと床に積もっている石の粉を巻き上げないように座った。

「辰巳さんは石を彫るのが好きって言ってましたけど、やっぱり木を彫るのも上手でしたよ」

 辰巳は『木を彫るのは久しぶり』と言っていたが、ジュンが彫刻刀を手渡すと慣れた手つきであっという間にバレリーナを完成させた。ジュンも隣で木片を削っていく。辰巳はジュンを彫っている様子を見ながら、木目に関する注意やどこを彫るのかのアドバイスをくれた。

 そうして、出来上がったのがこのバレリーナだ。ジュンが彫り終え立ち上がると、石の粉の中に木くずが混ざった。

 居住空間は綺麗なのに、アトリエがあまり綺麗にしない辰巳の心理がジュンはそのときわかった。舞っている石の粉は、達成感の証明なのだ。自分はこれだけ彫ってきたという達成感を見て確認することができる。ジュンは石の粉の中に混ざる木くずを見て、それを確かに感じた。

「で、これができたって訳です」

「なるほどな」

 リクはジュンの手の平にあるバレリーナを手に取る。もちろんプロである辰巳には遠く及ばないが、これまでのジュンの作品とはクオリティが違う。

 今までのジュンの作品はデッサンが狂っていて、構造として不自然なところが多々あった。犬と猫の違いはわからなかったし、足の付いているところがおかしかった。初心者では仕方がない。

 だが、辰巳のアドバイスの下につくられたバレリーナはきちんとした骨格がある。それが作品のクオリティを上げている。

「いい先生に出会えて良かったな」

「そうですね。同級生だから聞きやすいし」

 また教えてほしいと願い出れば、辰巳は快諾してくれた。

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