Case.11 旧交温故
Case.11 旧交温故
「辰巳さんはすごいね。こんな展示会に出品できるだなんて」
作品数は多かったし、ジュンのような素人が見ても面白かった。ジュンとしては褒めたつもりだが、辰巳の眉は困ったように下がる。
「すごくないよ、こんなの。だって、売れない若手作家たちが、自費でやっている展示会だもん」
「すごく……ないの?」
「うん。全然すごくない」
新進気鋭の作家たちと言えば響きが良いが、売れない作家たちの集まりだ。売れない、けれど芸術家である以上作品は作るし、発表もしたい。
創作さえしていれば、幸せ。なんていうのは、嘘だ。芸術家だって霞を食べて生きている訳ではない。生きていくにはお金が必要だ。お金を稼ぐためには、作品を売らなければならない。だけど、売れない。
「SNSでも作品をアップしているんだけどね。結果はなかなか出ないのが現実だよ」
誰もが創作ができる時代になった。それを発表するツールもある。だからこそ、埋もれてしまう。
多くの作品が溢れる世界で見つけてもらえるのはごく少数。そのほかの作品は、スワイプの最中に流されてしまう。
「だから、こうして作品を生で見てもらえる展示会を開いたって訳。入場料を払ってまで見る人は、少なくとも興味がある人だし。せっかく入場料を払ったら、元を取ろうと思ってじっくり見たくなるでしょ?」
「なるほどねー」
辰巳の主張にジュンは深く頷く。
SNSで埋もれてしまうのなら、SNSを飛び出してしまえばいい。多くの作品に埋もれてしまうのなら、埋もれないところに出ればいい。
芸術に興味がある人に作品を見てもらえる。自分の作品が他の作品に埋もれない。入場料を取れば、ほんの少しではあるが収入にもなる。
成功すれば、良いことづくめだ。
「人が来ないと、赤字だけどね……」
だが、辰巳の声は明るくない。良いことづくめではあるが、全て人が大勢来ることが前提となっている。数人がチラリと見るだけでは、結局SNSと変わらない。入場料が稼げなければ、赤字。赤字はもちろん作家たちで割り勘で負担となる。
「だから、塩谷くんが解説本買ってくれて、余計に嬉しかったんだよ」
入場料だけではない。物販だって収入になる。しかも、解説本。栞とかメモ帳などとはひと味違う。日用品ではなく、解説本。
解説本なんて、この展覧会に興味を持たなければ絶対に購入しない。解説本は、栞やメモ帳とは違い、『読む』という使い道しかない。しかも、物販の商品の中では、高いし分厚いし重い。贈答にも向かない。勢いで購入しても箪笥の肥やしにしかならないようなものだ。
それを、ジュンは開いて余韻に浸っていた。
解説本を購入し、ページを開く。無名の作家しかいない展示会で、いったい何人がそこまでしてくれただろうか。
「そんなに感謝されるようなことでもないよ」
辰巳は酷くジュンの行動に感動したようだが、ジュンには全くそんなつもりがない。ジュン以外にも同じように、解説本を買って、このカフェで読んだ人は大勢いると思う。たまたま辰巳の視界に入ったのが、ジュンだったってだけだ。
「そう、かな? けど、ありがとう。元気が出たのは、本当だから」
謙遜するジュンに、辰巳はそれでもお礼を言う。前売り券の売れ行きは正直、そこまで良くなかった。売れない作家はとことん売れない。家族や知人を通して売ってもらった分も多い。
一緒に出品した作家たちは前売り券の売れ行きを見て、意気消沈していた。意気消沈の中には『またダメか』という慣れと諦めも多く含まれていた。
だけど、中には家族や知人から勧められたのではないのに、来てくれた人だっている。その証拠がジュンだ。
辰巳は心の底から、ジュンの姿を見て嬉しいと感じたのだ。
「ごめんね、一人で熱くなっちゃって」
「辰巳さんは変わらないね。文化祭のこと思い出しちゃった」
高校の文化祭では、美術部は一人一つ作品を作る。幽霊部員だったジュンも、顧問に言われてやっとこさ絵を仕上げた。
だけど、部長まで務めた辰巳は違った。たとえ文化祭であっても、手を抜かなかった。美術部のくせにあまり美術室に寄りつかなかったジュンにまで、辰巳が夜遅くまで残って作品を制作しているという噂は届いた。
それだけ忙しいにもかかわらず、文化祭に展示する作品で四苦八苦しているジュンを手伝って、絵の具を塗ってくれた。そこだけ絶妙に色の入れ方が上手なもんだから、ジュンは見に来た両親に本当にジュンが描いたのかと疑われたほどだ。
そして、文化祭当日。美術部のコーナーはいつも人がいなくて寂しい。文化祭に訪れる人々は、出し物だったり屋台の方をメインに見るからだ。美術部の生徒が作った作品を熱心に見るのは、家族とか他校の美術部員くらいだろう。
それでも、展示を見てくれる人はいる。そのうちの何人かは作品の前で止まる。美術部員として、展示の見張りを頼まれたジュンはスマホで暇を潰していた。辰巳は見張りの番以外の時も、展示コーナーにいたようだ。隅の方に椅子を置いて、展示を見る人たちを見ていた。
辰巳の作品の前で人が立ち止まると顔に嬉しさを滲ませていたのを、ジュンは覚えている。
辰巳は高校生のときから変わっていない。あの時と同じように、自分の作品が誰かに届きますようにと願いを込めて作り、誰かに届いたら喜ぶ。ただそれだけの、単純さを辰巳は追い求めている。
「塩谷くんは変わった、のかな? こんなマイナーな展示会に来てくれるくらいだし」
辰巳はそういえば、とジュンを見る。ジュンが美術館にいるところからして意外だ。名前を貸しただけで、ほとんど巻き込まれたように美術部に所属していたジュンがどうしてこんなところにいるのだろうか。
「知り合いが作品出してるとか?」
「いや、仕事の一環」
「仕事?」
辰巳は首を捻る。
「塩谷くんって警察官になったんだよね? 展示会と何か関係あるの?」
ここで辰巳の顔がさっと青褪める。
「もしかして、この展覧会に出品した人の中に犯罪者が……!」
「違う違う!」
辰巳の飛躍した発想をジュンは慌てて否定する。
「職場の人がオススメしてくれたから、来てみたんだよ」
「そっか……。びっくりしたぁ」
辰巳はほっと胸を撫で下ろす。ジュンもこっそりと安堵の溜息を吐く。
改変対策課は公表されていない。一般人である辰巳に改変対策課に異動になって、芸術が暴走するディストーションを解決する仕事をしていて、仕事の勉強のために展覧会に来てみた、なんていう説明はできないのだ。
奇特な職場だと思う。リクとか何て説明しているのだろう。
(いや、リクさんとかは普段から美術館に通うタイプだったか)
改変対策課で美術館と縁がなさそうなのはジュンだけだ。しかも、就職したのもそもそもが文化庁。美術館の中にいたって何の違和感もない。自分だけが浮いているのを、ジュンは改めて実感した。
リクは辰巳と辰巳の作った『仲間はずれ』が載ったページが開かれている解説本を見比べる。
「辰巳さん、今更こんなこと聞くのもアレなんだけどさ……」
「なに? どうしたの?」
突然姿勢を正したリクに、辰巳は身構える。
「俺に彫刻を教えてくれない?」
「へ?」
突然の願い出に辰巳は固まる。美術部員としてほとんど活動していなかったし、ましてや彫刻になんて見向きもしていなかったジュンから、『彫刻を教えてほしい』と聞こえた気がする。
だが、どうやら辰巳の聞き間違いだった訳ではないようだ。ジュンはスマホを取り出し、画面を辰巳に見せる。
スマホの画面に写し出されていたのは、小さな版画や版画版、小さな木の彫刻。どれも線が稚拙だ。版画も彫刻も基礎となるデッサンが狂っているし、狂ったデッサンを元に彫っているから、出来上がりもちぐはぐだ。
だけど、辰巳にはこの線の描き方に心当たりがある。
「これ、もしかして塩谷くんが作ったの?」
「うん。辰巳さんと比べたら、全然下手でしょ?」
辰巳は売れてこそいないが、一応プロの彫刻家だ。素人のジュンが比べる相手ではない。彫刻刀を持って1ヶ月しか経っていないジュンが簡単に並べるものではない。それはもちろん承知している。
「その……彫刻を趣味にしようと思ってるんだけど、見たとおりまだ全然でさ。辰巳さんさえよければ、少し教えてくれない?」
だからこそ、逆に教えてもらえることはたくさんある。せっかく再会したのだから、この機会を逃す手はない。まだ改変対策課に来て日は浅くとも、少しでも他の人たちに追いつきたい。
そして、何より。
「彫刻、ていうか美術とか芸術とかって、思ってたよりも楽しかったんだなって」
ジュンは今頃になって、もっと美術部に参加していれば良かったと悔やむ。美術も音楽も、ジュンにとっては休憩の授業だった。数学や英語のようにテストで明確な点数が出て、将来の進路に影響する訳ではない。身体を動かすのが好きだったから、体育は楽しかった。
だけど、美術や音楽には力を入れない。進路に響かないし、何より自分を表現するのが恥ずかしい。絵を描けば、自分のセンスが問われる。音痴だったら、揶揄われる。精一杯の自分を表現し、それを笑われるのは嫌だ。だから、敢えて『真剣ではありません』と表面を取り繕って、笑われても傷つかないように逃げてきた。
だけど、それのなんともったいないことか。自分を表現するのは、本来恥ずかしいことではないはずだ。大人になった今だからわかる。思春期特有の斜に構えた目線で、授業を軽んじていたことを後悔している。自分を表現するのは、難しくて苦しくて、だけどそれを上回る楽しさがあるのだ。
だけど、今日こうして辰巳に出会えたのも、何かの縁だろう。もう一度、美術について教わることができる。
「塩谷くんがまさか彫刻をするなんてね。しかも、教えてくれ、だなんて」
「自分でも驚いているよ」
辰巳は驚きつつも、ジュンの申し出を快諾した。
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