Case.5 神之御心

Case.5 神之御心


「って、おかしいでしょー!」

 ジュンは叫ぶ。木々に止まっていた鳥がバタバタと飛び立つ。

「急にどうした。叫ぶな」

「叫びたくもなるでしょうよ! 何だあれ! どこだここ!」

「次は『私は誰』か?」

 ジュンの叫びにリクは迷惑そうに眉を顰めながら耳を塞ぐ。だが、ジュンの叫びは誰が聞いても妥当だと思う。

「なんで東京のビルでドアを開けたら奈良に着くんだよ!」

「お前、あの国民的アニメを知らないのか」

「違う! そうじゃなくて! 物理的に……技術的に……倫理的に? 無理でしょ」

「倫理は犯してないだろ」

 あのドアはあくまで未来のもの。もしくは空想上のもの。現実に、もしくは現代の技術では再現不可能……なはずだ。

 それなのに、実際ジュンは東京から奈良まで一瞬で、ドアを通るだけでついてしまった。

「あれもディストーションの一種だ。多くの人が『そうだ』と信じれば、現実になる」

「つまり、あのドアは、ディストーションの結果、本当にどこにでも通じるドアになった、と」

「その通り」

 リクは頷く。未来というべきか、空想のものが実現している。

 だから、リクは奈良に来るために新幹線でも飛行機でも車でもなく、保管庫のあるビルの上階に向かった。

 交通費も時間もほとんどかからない。まさしく夢の装置。

「公表すれば、すごい画期的な発明だと思うんですけど」

 世界を揺るがす発表になることは間違いない。物理の法則も技術力も、何もかもが飛躍的な進化を遂げるだろう。

「だが、現実としてディストーションは公表されていない」

 だけど、ディストーションは秘密にしておかなければならない。芸術そのものが失われる可能性と技術の発展を天秤にかけ、為政者たちは芸術の保護を選んだ。

「ディストーションの理由が解明され、完璧にコントロールできるようになったら、公表されるかもしれないがな」

 一度禁止されてしまえば、発展は止まる。一度芸術が禁止されれば、芸術作品はこの先ずっと禁止されたままかもしれない。娯楽のない世界。娯楽を封じる政治。生きるために、生きている人間たち。

 だが、人間は楽を求める生き物だ。どれだけ禁止しても、必ず誰かがどこかで何かを創造する。

 秘密裏に創造されディストーションが暴走する危険性より、芸術を許可しディストーションのみを秘密にすることが、遠い昔に決定された。

 科学が空想に追いつくことを願って。

「ということだ」

「雑に締めましたね。ディストーションが秘密にされていることはわかりましたし、厳重に管理する必要があることも理解しています。けど、これって職権濫用? みたいじゃないですか?」

 危険だから、と隠されているディストーションを利用して大丈夫なのだろうか。

 ジュンの疑問にリクは溜息を吐く。

「改変対策課は人手不足かつ資金不足。本来は各ブロックごとに人員を配置したいが、人員は増強されない。出張のための交通費だって馬鹿にならない。ディストーションの解除は緊急性を伴うことがある。上層部は目を瞑ってくれている」

 人手不足と資金不足、それから緊急対応。その全てを可能にするのが、あの秘密道具。いつぞやの改変対策課長がゴリ押しをして勝ち取った権利らしい。

「わかっていると思うが、改変対策課での勤務内容には全て守秘義務が課される」

「あー、それは警察も同じなんで」

 警察だって秘密事項はたくさんある。警察学校の授業で耳にタコができるほど聞かされた。守秘義務。業務で知り得た情報を漏らさない。漏らせば懲戒ものだ。

 話をしながら、神社の正面に出る。軒もしっかりとしている、大きな拝殿だ。

「神社って、来るだけで背筋が伸びる気がしますよね」

「お前にも、そんな感性があったんだな」

「リクさんは俺のこと何だと思ってるんですか」

「上司を名前で呼ぶ非常識なやつ」

「否定できませんね」

 けれど、リクに言わせれば非常識なジュンだって、拝殿の前に立てば背筋が伸びる思いだ。

「鳥居とかはないんですか?」

「仕事で来てるんだ。参拝に来ている訳じゃないんだぞ」

 立派な神社になればなるほど、敷地の面積は大きくなる。この神社の場合、鳥居から10分は歩かなければならない。参拝をするならばきちんと入り口から参るべきだろうが、仕事の場合は多々省略される。

「緊急の場合もあるからな。そんなことにいちいち構っていられない」

 危険を伴う未確認のディストーションへの対応の場合もある。時間を食って被害が出れば本末転倒だ。

 リクは社務所に向かう。社務所にはお札やお守り、おみくじが売られている。販売をしている巫女に神主への取り次ぎを頼む。

「お待ちしておりました。いつもご迷惑かけます」

「お久しぶりです。リペアートの松原です」

「――!」

 リクがにこやかに神主と挨拶を交わす。ジュンはリクの挨拶に驚く。袖を引っ張り小声で尋ねる。

「リクさんリクさん! 『リペアート』ってなんすか」

 リクは鬱陶しそうにジュンを追い払うが、追いすがる。だって、聞いたことのない社名が出てきた。

「お前、自分の名刺確認してないのか」

 言われて、慌てて名刺を確認する。今日の任務についての資料と共に束になった名刺をもらった。資料の確認が大事だと思って、名刺は何枚かを抜き出し名刺入れにしまったっきり見ていない。

 名刺には『株式会社リペアート 塩谷ジュン』と書かれている。

「これってあれですか。やっぱり改変対策課が秘密組織だからっていう……」

「それ以外何がある」

 ディストーションが秘密である以上、その対応をする部署である改変対策課の存在もまた秘密とされている。

 改変対策課という名前が使えないから、『株式会社 リペアート』という架空の会社を名乗っているということだろう。

「秘密の多い会社だ……」

 警察――といっても、警察の末端にしかいなかったジュンの経験と比較するのもおかしな話だが――よりも秘密が多いかもしれない。

「では、案内を頼めますか」

 神主に向き直り、案内をしてもらう。リクは何度か来たことがあるらしく、神主と世間話をしている。ジュンは入ったことのない神社の内部をきょろきょろと見る。飴色になった木の太い梁が印象的だ。

「こちらになります」

「はい、確認させていただきます。終わりましたら声をかけますので、席を外していただけますか?」

「わかりました。終わりましたら、いつもの部屋にお越しください」

 神主がふすまを閉めて出て行く。遠くに行ったのを確認してから、リクは目の前のものに向き直る。

「これが今日の依頼だ」

「これって、何ですか」

「名刺も見てなければ、資料も読んでいないのか。ば……」

「馬鹿って言わなくても大丈夫ですよ。リクさんが何て言おうとしているのか、だいたいわかるようになったので」

 ジュンはリクの言葉を遮る。出会ってから1週間も経っていないが、リクの『馬鹿』のタイミングはだいたい掴めるようになってきた。

 資料には目を通した。だけど、ジュンにはいまいちよくわからなかった。

「今回の任務って、『御朱印が変化する』って話でしたよね。これが、御朱印」

 ジュンは目の前の机の上に置かれている紙を見る。漫画と同じくらいの大きさの紙に墨で神社の名前や神様の名前が書かれている。また、中央には印影がある。

 御朱印は神社やお寺を参拝した『参拝証明』として押印される印章印影のことだ。ジュンはいただいたことはないが、昨今の御朱印ブームで名前は聞いたことがある。資料にも基礎情報として、御朱印の歴史が書かれていた。

 だからこその疑問だ。

「御朱印って、その場その場で書くものじゃないんですか?」

 参拝者が用意した御朱印帳に、神職や巫女が書くものだと思っていた。このように事前に用意されているものとは思っていない。

「書き手がいないと御朱印を授けることもできないからな。こうして書き置きしておく寺社もある」

 事前に書き置きをしていた御朱印を御朱印帳に貼るのだって、立派な参拝証明だ。寺社だって、参拝者の相手以外にも仕事がある。寺社によっては、事前に書き置きを用意しておいて対応するところもある。

「ただ、この神社の場合は特殊でな。改変対策課からお願いしてわざわざ書き置きにしてもらっている」

 今回の神社は大きな神社で、何人もの神職が働いている。人数が多いため、参拝者の相手だって交代ですることができる。

 だから、本来は御朱印をわざわざ書き置きにする必要もないのだが。

「書き置きされた御朱印をよく見てみろ」

 リクに促され、ジュンは書き置きを両手に取り見比べてみる。

「んー……んん?」

 ジュンはもう一枚書き置きを見る。それから次々と書き置きに目を通す。

「何だこれ。パラパラ漫画?」

「に見えるだろ」

 御朱印は本来同じ文字、同じ絵柄が書かれているものだ。書き手が複数いる寺社の場合は、文字の書き方に差が出るかもしれないが、書いてある文字自体は同じだ。印影になれば、更に変化は少ない。同じ印鑑が押されているはずなのだから。

 それなのに、この神社の御朱印は若干違う。いや、最終的にはだいぶ違う。1枚目と2枚目では大差がないが、一番上と一番下ではまるで違う。書かれている文字も、印影さえも。

 ジュンが例えたパラパラ漫画というのは結構的を射た表現で、順番に少しずつ御朱印が変化している。

「江戸時代の末期に初めてディストーションが起きたようだ。それまでは直接御朱印を書いていたようだが、ディストーションが確認されてからは書き置きで対応してもらっている」

 御朱印が人によって違う。一緒に旅行中のグループ内であれば、変化は小さい。見ず知らずの他人と御朱印帳を見比べる機会は少ないだろう。だけど、絶対にない訳ではない。特に、現代はSNSが発達している。誰かが神社に行ってきたとSNS上に御朱印と共にアップすれば、自分のものと見比べることは容易だ。見比べて、違うとなったら、大問題だ。

「文字が多少違うくらいなら、書き手がミスをしたとかアドリブとか言い訳が利く。だが、印章はそうともいかない」

 印影に濃い薄いや綺麗に捺せた欠けたの差があるとはいえ、印影自体が変わることはほとんどない。それこそ新しい印章を作ったとかでない限り、起こりえない。一日の初めと終わりで印章が違うことは有り得ない。

「だから、この神社からは書き置きをある程度作ったら、連絡が来るようにお願いしてある。そして、俺たちが出向いてディストーションを解除しているって訳だ」

 なるほど、とジュンは手に持った御朱印を戻す。

「で、どうやって戻すんです? もう御朱印作り終わってるじゃないですか。書き直してもらうんですか?」

 すでにたくさんの御朱印が完成している。段ボール三箱になるだろうか。せっかく書いたのに書き直しになったら、悲しすぎるし書き手も大変だろう。

「書き直しをするのは俺たちだ」

「俺たちが? これを?」

 ゾッとする。いったい何枚あると思っているんだ。

「というか、生産地の偽装じゃないけど、俺たちが書いたらありがたさが半減しませんか?」

 こういうのは神社でもらい、神職につく書き手が心を込めて書くからこそありがたみが生じるのだと思う。それが、お参りの仕方さえ怪しいジュンが代筆したら、全く御利益を感じない。そもそも達筆ではないし。

「本当に一から書き直す訳がないだろう。馬鹿め。そんなことをするんだったら、最初から書き置きなんてしてもらってない」

「また馬鹿って言った」

 リクはもう気にしないことにしたようだ。訂正すらしない。

「書き直す、というのは比喩だ。ここに原本と印章がある」

 リクは他の御朱印とは別に置かれていた原本と印章を示す。ジュンが確認すれば、やはり書き置きのされた御朱印とは少し違っている。

「今回のディストーションは、この原本と印章が変わってくることに起因している」

 書き手は内容を覚えているから、原本を見ることはしない。だから、決まり通りのことを書いている。

 だが、原本が知らぬ間に変化する。変化した原本は、それでも原本としての力を持っている。原本が変化すれば、書き手の書いた他の御朱印――レプリカにも影響が及ぶ。

 印章も同じだ。原本の変化に伴い、印章に刻まれた印影が徐々に変化していく。

「原本が変化して、それが御朱印にも影響を与えるってことですか」

「その通り。原本に引っ張られているんだな」

 原本が変化するから、その後に書いた御朱印に影響が出る。納得できるようなできないような原理だが、あのドアを実際に潜った後では、そういうものかと謎の納得がある。

「じゃあ、俺たちの今日の仕事は」

「この原本を元に戻すこと。原本が変化することで御朱印が変化するのなら、原本を元に戻せば御朱印も戻る」

「原本を修復ですか」

「俺は習字の部分を担当する。お前は印章だ」

「彫刻刀……」

「ドンピシャの配役だな」

 ジュンは腰に刺さった彫刻刀に触れる。

「俺が印章を彫るんですか?」

「そうだな」

「俺、そんな技術ないですよ」

 美術の成績は芳しくなく、美術部としても幽霊部員。絵心がある方でも、趣味で版画をしているとかでもない。彫刻刀を触ったのだって、小学生以来だ。

 そんな自分が印章を彫るだなんて、無理な話だ。

「誰もお前が一から印章を彫れるだなんて思っていない。俺たちの仕事は新しく物を作るのではなく、あくまでディストーションの解除」

 印章の表面を削って、そっくりに彫り直すことをするのではない。変わってしまった印影を戻すのが目的だ。

「どうすればいいのか、よくわからないんですけど」

 彫り直しではないことは何となくわかった。では、何をすればいいのだろうか。

「お前はどうしてこのディストーションが起きるのだと思う?」

「どうして……どうしてですかね?」

 ディストーションが起きるのは、制作者や周囲の偏見によって起きる。

「書き手の人が、こう面白がってとか……」

「書き手の方は極めて真面目で実直な方だ」

 リクは本殿の方を見て、頭を押さえる。

「今回の場合は、神様だな」

「神様?」

「ここに祀られている神様は、芸能の神様なんだがな」

 日本に御座す八百万の神々。八百万もいれば、様々な神がいる。芸能の神ももちろん。

「有名になりたいらしい」

「はい?」

「この神社に祀られている神様は、有名に、今風に言うとバズりたいらしい」

「バズりたい……。いくら何でも八百万すぎませんかね」

 いくら何でもミーハー過ぎないだろうか。バズりたい、有名になりたいだなんて。

「御朱印がそれぞれ違うのであれば、間違いなく有名になるだろうな」

「怪異とかそういう類いですけどね……」

 凶兆だとかでお祓いされるかもしれない。神様なのに。

「ということで、俺たちの仕事は神様を宥めることが第一だ。神様を宥めつつ、印章を彫ればいい。お前がどれだけ下手くそでも、神様の機嫌が良ければ『彫る』という動作をすれば、後は神様が整えてくれる」

 神様の機嫌によって印影が変わるのだから、神様を上手に宥めれば良い。彫るのはあくまでポーズ。『彫る』という動作を媒体に、印影を元に戻す。

「ということで、褒めて褒めて褒めまくれ」

「はい……」

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