Case.3 武器選択

Case.3 武器選択


 改変対策課が所有している保管庫は多い。圧倒的多数を占めるのは、ディストーションの危険が非常に高い芸術作品だ。現実に害を為す作品かつディストーションの解除方法がわからない作品は、保管庫で厳重に封印されている。

 ディストーションになる条件は不確定要素も多いが、その一つに『人間からの評価に左右される』というのがある。屏風から飛び出る虎は、大勢の人間がそのように認識したから現実となった。だから、ディストーションの解除方法が確立されるまで、人目につかないところで保管してある。

 だが、ジュンが今回案内されたのは、芸術作品が保管されている保管庫ではない。

「……文房具店?」

「ほう。この巨大な色鉛筆もお前には文具に見えるか」

 リクの冷静なツッコミに、ジュンはそれもそうか、と呟く。

 ジュンが連れてこられたのは、多くの武器が保管されているいわゆる武器庫だ。正式名称は第十五保管庫となっているが、改変対策課では簡単に武器庫と呼んでいる。

「けど、文房具店でも間違いではないでしょう」

 リクが持っていた巨大な筆から色鉛筆やクレヨン、トンカチまで多種多様な巨大文具が並んでいる。だが、目につきやすいのは大きいからであって、通常のサイズも常備されている。引き出しの中には、逆に手のひらに乗るようなサイズも保管されている。

「お前はどの文具にする?」

「ほら、リクさんだって文具って言ってんじゃん! 文房具屋であってんじゃん!」

 ジュンが武器庫に来たのは、自分の武器を選ぶためだ。改変対策課に配置された人間は、まずディストーションについて教わる。その次に待ち受ける洗礼が、武器庫で自分の武器を見つけることらしい。

「改変対策課の前は警視庁で働いていたんだったな」

「地方の交番勤務をしてました」

 だからこそ、余計に出向と書かれた辞令を見たとき、びっくりした。

 警視庁から他局への出向は珍しいことではない。毎年何人もの人間が、他官庁に異動している。人事交流というやつだ。だけど、それは地方の交番勤務ではなく、中央で働くエリート層がするものだと思っていた。出世のための踏み台だ。

 出向という文字を自分の内示で見るとは思いもしなかった。しかも、出向先は不明と言われる。蓋を開けてみれば、文化庁。聞いたこともない改変対策課。

「未だに信じられねぇな」

 人生、何が起こるかわからないとはよく言ったものだ。まさか聞いたこともない組織に出向するなんて。公安局に異動するよりも突飛なことがあるとは。

「お前の履歴書には目を通した。美術部だったんだろう」

「あー、書きましたね、美術部」

 採用試験を受けるときに書いた履歴書を思い出す。

「けど、人数合わせの幽霊部員ですよ。一応、文化祭の時だけちょっと作ってましたけど」

 メインは剣道。だけど、美術部の友達から人数が足りないと言われて、名前だけ貸した。名前だけならと思っていたが、美術部の顧問からせめて文化祭のときくらい何か作れと言われた。詐欺じゃんと呟いたが、美術部は文化祭でのお芝居や実行委員が免除されるため、大人しく芸術活動に勤しんだ。

 その程度の活動だったが、警察官の試験に受かる確立を少しでも上げるため、履歴書に書いたのを覚えている。少しでも欄が埋まった方が見栄えがいい。

「剣道部と美術部。だから、ここに来たんだろうな」

「マジっすか。試験受けた時の履歴書まで掘り返されるんですか」

 ジュンはうへぇと舌を出す。過去を遡ってまでした人事異動だったらしい。

「よくわからないが、警察官で美術部っていうのは珍しいんじゃないか?」

「さぁ、よくわからないですけど、そうかもしれませんね」

 ジュンは同期を思い出す。警察官になる人種は、どちらかといえば身体を動かすのが好きだろう。警察官になれば、訓練でひたすら走り込む日もある。厳しい訓練があることは誰にでも予想がつく。体力に自信がない人間は、余程の理由がない限り目指さない。逆に目指すのであれば、体力をつける必要がある。

 だから、どちらかといえば、警察官は体育会系の人間が多く、運動部に所属している。美術部は相対的に少ないだろう。

「美術部だけでは、運動能力が低いかもしれない。警察官だけでは、芸術の理解が乏しいかもしれない。元美術部の警察官。まさに改変対策課の第一係が欲しい人材だな」

「そんな期待されたら困るんですけど」

「よっ、期待の星」

「感情、籠ってないなぁ」

 リクの乾いた励ましに、ジュンはげんなりする。ジュンの芸術への理解なんて、一般人と変わらない。ゴッホとバッハの違いだってわからない。

「真面目な話、そういう人間が本当に必要なのは、お前にもわかるな」

 だが、リクはいたって真剣に、芸術に理解がある警察官が必要だと考えている。ジュンも同意する。昨日のように作品と戦うことがあるのであれば、芸術に理解を示しかつ戦えなければならない。

「じゃあ、リクさんも芸術家かつスポーツ万能なんですか?」

「俺は芸大出身ってだけだ。スポーツは得意じゃない。10歳までは空手をやっていたがな」

 習い事として、親が選んだのが空手だった。だが、特に楽しかった覚えはない。リクは空手よりも絵を描く方が好きだったし、リクの好みを察した親は無理強いをしなかった。

「けど、改変対策課になったんですね」

「人材不足なんだろう。特殊な仕事だしな」

 ディストーションが秘密にされているため、改変対策課を希望する人間はそもそもいない。過去の経験や勤務実績を鑑みて、適正な人を選ぶしかない。

 リクが選ばれた理由は、芸大出身であることくらいだ。他にも似たような人材はたくさんいるが、たまたま白羽の矢が立っただけ。もしかしたらくじ引きかもしれないとさえ思う。

「命令が出たら、従わなければならない。サラリーマンの悲しい定めだ」

「悟ってますねー」

 だが、事実。内示を初め、命令が出たら従わなければならない。そうでなければ、クビ。もしくは、降格や左遷。会社側――リクやジュンの場合は公務員のため、国などになるが――に給料を握られているため、反抗は難しい。

「お前もそろそろ悟れ。武器を選べ」

「異動の件は、とりあえず諦めがつきましたけど」

 ちまちまデータを入力する仕事や、噂に聞く恐ろしく大変な予算請求よりは、今のところ改変対策課の方が余程ジュンには合っている。だから、改変対策課に異動になったのは、受け入れてはいる。

「武器を選べと言われましても、ね」

 だが、武器を選ぶのは別の話だ。目の前に並ぶ文房具を改めて見る。

「竹刀とか木刀とかはダメなんですか? 俺、一応剣道で警察入ったんですけど」

 武器を選ぶのなら、やはり使い慣れた竹刀とか木刀の方が良い。真剣を持て、と言われたら少し躊躇するが、筆を持って戦え、と言われるよりは幾分マシだ。

「馬鹿か。お前は」

「あ、パワハラ」

「訂正する。少しは考えろ」

 『馬鹿』はどうしようもなくパワハラワードだ。指摘すれば、リクは咳払いをしながら、訂正する。ジュンはあまり変わっていない気もする。

「改変対策課の仕事は、あくまで作品を元に戻すことだ。竹刀や木刀では、作品に傷がつくだろう」

「なる、ほど?」

 そう言われればそうか、とジュンは納得しかける。が、そう言われて納得する時点で、だいぶ改変対策課に染まってきている気がする。

「だから、虎には筆で縄を描いたんですか」

「そうだ。あの虎を木刀で叩いてみろ。虎は人を襲わなくなるかもしれないが、屏風には怪我をした虎が戻ることになる」

 そうなれば、屏風の改変になってしまう。作品に傷をつけることになる。

「作品を傷つけることなく元に戻すには、作品を形作る道具でなければならない」

「なるほど」

 リクは納得する。

「けど、自分に合った武器なんて、わからないっすよ。リクさんはどうして筆にしたんですか?」

「芸大での専門が水墨画だったからだ」

 だから、巨大な筆なのか、とジュンは納得する。巨大な筆から滲み出たのも、墨だった。

「専門が水墨画なんて、何か渋いですね」

「褒め言葉として受け取っておこう。改変対策課では、そんなことも言っていられないけどな」

「どういうことですか?」

「水墨画が専門であっても、同じ『筆』を使う水彩画や油彩画にも駆り出されるってことだ」

 水墨画よりも水彩画や油彩画の方がメジャーだ。改変対策課にも、水彩画や油彩画の専門はいる。だけど、メジャーな分作品数も多いし、比例してディストーションも多い。いくらリクの専門が水墨画だと言っても、専門外の現場にも行かなければならない。

「人員不足ってやつですね」

「これ以上減らないことを願うばかりだ」

 課長の森田が一番頭を悩ませている部分である。上層部はとにかく人を減らせと言ってくる。二番目に頭を悩ませているのは予算だ。上層部はとにかく予算を削れと言ってくる。

 リクはジュンに向き直る。

「お前は? 何が得意だった?」

「美術がそもそもそんなに得意ではなかったですね」

「致命的だな」

 デッサン。水彩画。彫刻。版画。学校での美術の時間を思い出す。悪い成績ではなかったが、良い成績でもなかった。美術部として文化祭に出した作品も、『良いものを出そう』というよりは、『とりあえず出そう』だった。学校の風景を適当に描いて凌いだ。

 作りたいものがある訳ではなく、義務としての創作。授業の一環だから、していただけ。だから、得意も不得意もない。

「なるほど」

 芸大に進学したリクにも、ジュンの気持ちはわかる。もちろんリクは美術の時間が好きで、得意だった。だけど、中には美術の時間を休憩だと考えたり、必要ないと机の下で勉強したりする生徒もいたことを知っている。それに比べれば、ジュンは真面目に授業を受けていただけマシだ。

 ジュンの美術への意欲を確認したリクは、改めて文房具に向き合う。

「では、彫刻刀でどうだ」

 リクは巨大な彫刻刀をジュンに手渡す。

 ジュンはずしりとした重さのある彫刻刀を受け取る。柄はゴムになっていて、グリップが効く。刃先が斜めになっているのは、確か切り出し刀と言うのだっただろうか。

「彫刻刀ですか。その心は」

「剣道が得意なのだろう。同じ刀じゃないか」

「暴論だ」

 彫刻『刀』である。間違ってはいないが、これを剣として扱うのは無理がある。刃の部分が圧倒的に小さいし、付いている向きも違う。

「彫刻が苦手な訳ではないだろう」

「特段苦手ではないですけど、得意って訳でもないですよ。これ持って剣道の試合をしたら、絶対負けます」

 切り出し刀でどう戦えばいいんだ。面は取れなさそうだ。胴とか小手なら、何とかなるだろうか。

「苦手じゃないなら、しばらくはこれで頑張ってみろ。無理そうなら、別のを試せばいい」

 ジュンはチラリと他の文房具を見る。筆やトンカチ、パレット、スタンプ……。何を選んだところで、対して変わらないだろう。奇をてらった得物を使うよりは、やはりリクの言う通り少しでも馴染みのありそうな彫刻刀が良いのかもしれない。

 ジュンは彫刻刀の柄を撫でる。

「ところでこれ、銃刀法違反にはなりませんよね?」

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