第5話:対話

 「見つけて、しまったんだね」

 僕がそう後ろから声をかけると、アリスはびくりと肩を震わせたあとこちらを向いた。

 「……特務官」

 「そう怯えることはないよ。いつかは見なければならなかったんだから」

 「……これって」

 「うん、先代までの特務官たちのメモだよ」

 アリスに近づいくと、優しく肩を叩いて、手を差し伸べる。

 「ひとまず、リビングに行こうか」

 だが、そんな僕の手をアリスは振り払った。

 「違う……」

 「どうしたの?」

 「……特務官は、こんな人じゃなかった……」

 そう言うと、アリスは僕を睨んだ。

 「お前は、だれだ?」

 ……。

 …………。

 「こんなに早く、バレるとは思っていなかったよ」

 少なくとも今まで、あの手帳を読んだ後に僕の正体に気付く人はいてもここまで早くはなかった。読んだ者はたいてい、ショックを受けて冷静な判断ができなくなるからだ。

 バレてしまったことは仕方がない。

 「僕は、ギーゼ・カルナタス。初代特務官だよ」

******

 ひとまず、僕たちは面と向かって会話ができるようにとリビングに移動した。

 アリスを席に座らせると、僕も向かいに座る。

 「毎年、補助特務官が初めて手帳を読んだ時に30分だけ特務官の体を借りて喋るんだ。たいていの子たちは、話していた相手が僕だったということを知らないまま僕との対面を終えるんだけど―――」

 「時間が無いんですよね?じゃあさっさと本題を話してください」

 「つれないなぁ、もう」

 ちょっと不満に思いながらも、僕は話を本題に向ける。

 「アリスは訓練生時代、特務官がどういうものだって教わった?」

 「……名誉な仕事をする人だ、と。それ以外は何も」

 「違いないね。国に最も貢献している職業かもしれない」

 「でも、それって……」

 「それって?」

 「ただの自殺行為じゃないですか!」

 アリスの声の調子が荒ぶる。

 「訳もわからない神様のために生贄になるだなんて、そんなのあっていいはずがない!」

 「……どうして『あっていいはずがない』んだい?」

 「それは……」

 答えられず黙り込んだアリスに、僕は言った。

 「君たちは『朝焼けを見たい』と願ってしまった。君だけじゃなくて、ソニアだって、その前の特務官も、更にその前の特務官だって自分の意志でここに来ているんだよ」

 「それでも……ここがそんな場所だなんて思ってなかった!」

 アリスの声は涙ぐんでいた。きっと今の彼女の心の中には、色々な思いがあるのだろう。

 理想と現実の差に対する不満、失望。

 知ってしまった事実に対する驚愕。

 そして、自分の未来に対する心配、不安、絶望。

 どれも間違っているとは言えない。

 今まで皆、同じように戸惑ってきたのだから。

 僕は、否定しない。

 「今のアリスの気持ちは、よく分かる。だから否定はしないよ」

 「……えっ」

 「『務めを果たせ』って強制すると思った?」

 アリスは沈黙した。それをよそに、僕は話を続ける。

 「別に、強制させたくはないよ。昔、極東の国には『意思決定の自由』というものが保障されていたらしいしね。僕としては、君がここから今すぐいなくなってくれても構わないんだ」

 一息に喋ってから、アリスの様子を見る。彼女はうつむいたままだ。

 「でも、もしそうするとしても、一つだけ考えてほしいことがあるんだ。それは、この国の未来のこと。この地が朝焼けの魔物に守られているのは知っているだろう?事実、ここ数十年の間他国から攻め込まれることはなかった。それは朝焼けの魔物が特殊な結界を周囲に張っているから。各国の間では、ここを陥落させるためだけに連合軍を編成しようとする動きが見え始めてる。遅くても早くても、来年のどこかで攻めてくるのはほとんど確定だね」

 「そんな……まさか」

 「そう。もしここで君がいなくなったとしよう。捧げられるはずだった生贄がいないことで、朝焼けの魔物が機嫌を悪くしたらどうだろう。結界はなくなり、さらに言えば向こう側の陣営に移るかもしれないね。今まで散々、近づくことすらできなかった場所が一瞬で陥落したら連合軍は勢いに乗って……まぁ、この国を支配するぐらいのところまではやるんじゃないかな?」

 この国が陥落する。その場合、国民の命は保障されるか?答えは、否。

 「君の家族の命がどうなるか……。言わなくても予想はつくよね」

 ここ、『壁』での任務を放棄すること。それはこの国を滅ぼし、大切な人たちの命を危険に晒すということと同義なのだ。

 「改めて言おう。僕は別に、今すぐ君がいなくなってくれても構わない。ただ、それには大きすぎるリスクが存在する。自分の命と皆の命を天秤にかけて、よく考えたら分かることだよね?今の状況でどの道が正しいのか」

 「……そんなの、私に選択肢なんて無いようなものじゃないですか」

 「そうだよ。アリスも、僕たちと同じように社会の部品になるしかないんだ。『特務官』という名前の、重要な歯車の一部にね」

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