#42

ひざまずいて顔を上げているイザットに、アシュレは静かながらも怒気のこもった声で言った。


イザットや母ニルミーンが受けた裏切りも屈辱くつじょくも、到底とうてい許されるものではない。


血棺ちひつぎ王と王妃が犯した罪は、死を持っても生温いものである。


二人のやったことはいくら王族とはいえ、けしてなかったことにするべきではなく、それを見て見ぬふりをしていたであろう騎士や貴族も同罪だといえる。


「ふん、小娘……。否定していたくせに随分ずいぶんと聞き訳がいいじゃないか……。ならば私の気持ちをわかるはずだろう?」


「いや、僕がわかるのはそこまでだよ」


アシュレは、安堵あんどの表情を見せたイザットに向かって冷たく話を続けた。


母ニルミーンが罪をすべて押しつけられ、顔に焼いた鉛を浴びせられ、二度と見られない顔にされた。


さらには視力を失い、これまでの立場を奪われて路頭ろとうに迷わされた。


恨むなというほうが無理だ。


イザットがそう考えるのは仕方のないことだと。


彼のベナトナシュ王と王妃への行為を肯定した。


しかし、問題はその後だった。


「あなたはもう恨みは晴らしたはず……。それなのに、マルジャーナや国の人たちを裏切ってみんなを危険な目にわせた」


アシュレの表情が強張る。


普段は表情の変化が乏しい少女の顔が、怒りで別人のように歪んでいた。


それを横で見ていたマルジャーナは、まだ短い付き合いとはいえ、これほど感情を表に出した彼女を見るのは初めてだと驚きを隠せなかった。


「マルジャーナはあなたを信頼できる人だって言ってた。優秀でとっても頼りになるって……。兵士や町の人たちだってそうだよ。みんなあなたのこと好きなのに……どうして裏切ったんだよ」


「……子どもにはわからん。汚れたこの手で……マルジャーナや皆の手を繋げるものか……。私はもう……止まれないところまで来てしまったのだ……」


「だったらなんでそんな顔するの!?」


アシュレは声を張り上げ、イザットの顔を両手で挟んだ。


彼女の小さな手のひらが左右の頬を持ち上げるその行為は、目をそらすなとでも言いたそうだった。


「後悔してるんでしょ!? だったらまだ間に合うよ! 国の人に真実を伝えて、自分のやったことの罪をつぐなって、そしてまたみんなのために生きてッ!」


「わ、私は……」


「僕はずっと見てたよ! だからわかる、この国には絶対にあなたが必要だってッ! イザット……武装商団なんかと手を切って、マルジャーナとみんなの手を取ってよッ!」


泣きながら吠えたアシュレ。


彼女はベナトナシュ国に来て、改めて知ったことが多くあった。


それは学問や一般常識だけではなく、人と人との繋がりについてだった。


マルジャーナは国に住むすべての人間のことを思い、そして皆もまたそんな女王を愛していた。


物心つく前から牢に閉じ込められていた少女は、この国で出会った人たちと触れ合うことで、人が人を慕うということを言葉だけでなく心でも理解したのだ。


それがアシュレの激情の正体だった。


「ダメだ……。私がまたこの国に仕えるなど……」


「罪を憎んで人を憎まず……」


アシュレの手を払い、再び俯いたイザット。


マルジャーナはそんな彼に近づくと、そっと手を差し出す。


「まだすべてを受け入れ切れたわけではないが……。やり直そう、我が弟よ」


「マ、マルジャーナ……うぅッ!?」


イザットが手を伸ばそうとした瞬間――。


突然彼の胸元から禍々しい光が放たれた。


それはベナトナシュ国に降り注いだ光と同じものに見え、イザットは絶叫しながら苦しむと、彼の顔から生気が失われていく。


そんな状況で驚愕していたマルジャーナは動けずにいたが。


アシュレは手のひらをかざし、先ほどマルジャーナから光を払ったときと同じ魔法を放とうとした。


「くッ!? 魔力が足りないッ!」


彼女は精霊の声が聞こえなくなってから、ベナトナシュ国内に届く小さな声に語りかけ続け、少しずつ魔力をためていた。


それでもハシャル村で見せたような天地をひっくり返すような魔法を使えるには至らず、使いどころを考えていたときに、イザットとのことがあり窮地きゅうちを脱した。


だがもう今のアシュレには、マルジャーナを動けるようにするだけで、ためていた魔力はほぼ使い切ってしまっていた。


「不味い!? 離れろアシュレッ!」


我に返ったマルジャーナは剣を拾い、アシュレを斬ろうとしているイザットの前に飛び込んだ。


二本の剣が同時に振られ、両者の鮮血が辺りに舞う。


その飛び舞った真っ赤な血は、二人の後ろにいたアシュレの顔にかかった。


「マルジャーナッ!? なんで……なんで僕なんかをッ!? マルジャーナを必要としている人はいっぱいいるのにッ!」


アシュレは完全に動きを止めたイザットの横で、真っ青な顔で倒れるマルジャーナに向かって叫んだ。


そう叫びつつも彼女には、マルジャーナが自分を助ける理由はわかっていた。


たとえ出会ってから日は浅くとも、アシュレはマルジャーナの利他の心をよく知っている。


彼女が自分の身をかえりみずに、他人を助けることなど聞かずともわかることだった。


それでも叫ばずにはいられなかった。


アシュレは必死で魔法を使ってマルジャーナを救おうとしたが、彼女の残された魔力では、利他の心を持つ女王の傷をかすり傷程度しか癒せなかった。


「マルジャーナを救えないんなら……一体なんのための魔法だよぉ……。こんな力を持ってたって……意味ない……」


「意味がない……なんてことはないぞ……アシュレ……」


無力感に打ちのめされている少女に、マルジャーナは微笑んだ。


その顔は重傷を負っているというのに、普段の彼女の美貌びぼうを保っていた。


それはアシュレが振り絞って使用した、癒しの魔法の効果もあった。


「君のおかげで私はイザットと……弟とちゃんと話すことができたんだ……。これを魔法といわずしてなんと言う? ガハッ!?」


「喋らないでマルジャーナッ! 待っててね! あなたに教えてもらった応急処置の知識で、こんなケガすぐに治すからッ!」


「それに私は大事な人を救えたんだ……。これでワヒーダに嫌われることもない……。後悔などないよ……。まあ、皆には申し訳ないがな……」


マルジャーナはアシュレのことを無視して言葉を続けていた。


アシュレは自分の服を破いて布を作り、必死に彼女の体に巻いていた。


だがマルジャーナの傷口から流れる血が止まることはなく、アシュレがさらに布を巻いているうちに声が止み、やがて目の色が失われた。


「ヤダ……ヤダよ、マルジャーナ……。こんなのって……こんなのってないよぉぉぉッ!」

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