#20

――ベナトナシュ国へと入り、マルジャーナと顔を合わせてから数日が経った。


結局マルジャーナの説得に折れ、ワヒーダとアシュレは王宮の中庭にある小屋で寝泊まりすることで話はまとまった。


そこでの生活でアシュレは、マルジャーナから文字の読み書きや常識を学び、王宮内にあった書庫で知識を蓄えた。


アシュレが元々地頭が良かったのもあって、彼女はすぐに読み書きができるようになり、教えていたマルジャーナが驚くほどの速度で教養を得る。


勉強中はアシュレは、マルジャーナと二人きりでいることが多かった。


たまに侍女がお茶や食事を運んできたりすることがあったが、基本的には彼女以外は誰とも顔を合わすことなく日々を過ごす。


その間、マルジャーナから一度も魔法の話はされなかった。


アシュレはてっきり魔法を使用してみてほしいと言われると思ったが、ベナトナシュ国の女王はけして彼女にそのようなことを強要しなかった。


まともな人間ならば実際に魔法を見てみたいはずとアシュレは思い、彼女にそのことを訊ねてみたが――。


「そうだな。本音をいえば見てみたいが、他人に知られたくないことをやってもらうのは気が引ける」


マルジャーナは興味はあっても、ワヒーダが信用してアシュレを自分に預けてくれているのだからと答えた。


その答えは、アシュレにさらなる疑問をわかせた。


一体どうしてそこまでワヒーダのことが好きなのだと、彼女は子どもらしい素朴な疑問をマルジャーナに投げかけた。


お世辞にもワヒーダは身なりも良いとはいえず、さらには無法者の世界で名の通った人物だ。


一国の王として、そのような人物にそこまで行為を抱くのはおかしいのではないかと。


ただでさえ不思議に思っていたことが、書庫で読んだ様々な物語の影響で世間的にも変なことだと知り、アシュレは思い切って訊ねたのだ。


すると、マルジャーナは開いていた本を閉じ、アシュレに向かって微笑む。


「恥ずかしい話なのだが、昔の私は傲慢ごうまんかたまりのような人間でな」


それからマルジャーナは、自分がアシュレくらいの歳だった頃の話を始めた。


幼い頃のマルジャーナは王の娘だったこともあり、すべての人間が自分のために尽くすものだと信じて疑わなかった。


事実、王宮では誰もがマルジャーナを持ち上げ、すべて彼女の思い通りだった。


両親である王と王妃がマルジャーナを甘やかした――いや、娘に興味がなかったのも大きかったのだろう。


ともかくマルジャーナはとても自分勝手な王女として、他人を見下すような人間へと成長していった。


話を聞いていて、アシュレは疑問に思った。


なぜならば彼女から見れば、マルジャーナには傲慢さなど一欠けらも感じないからだ。


マルジャーナは王宮内にいる侍女や配下の者にも気さくに声をかけ、彼ら彼女らからも慕われているのが見て取れた。


さらにいえば、公務で王宮の外――城下町へ出たときも、挨拶してくる住民たちに笑顔で手を振り、時には足を止めて話し込んだりもする。


街を歩いていて寄ってくるノラ猫やノラ犬にも餌をやり、連れ来るようならそのまま抱いて王宮に連れ帰るほどの優しさがある。


そんな態度から、とても彼女が他人を見下すような人間には見えなかった。


アシュレがそういうと、マルジャーナは照れくさそうに笑った。


「今は少しは改善できているかな。皆もいたらぬ私によく尽くしてくれているし……」


その言葉の後、マルジャーナは頬を赤く染め、両目を閉じて身をよじり始めた。


アシュレにはそれが、彼女がワヒーダのことを考えているのだとすぐにわかった。


まるで最近読んだ恋愛譚のお姫様のようだと、アシュレはマルジャーナの美貌もあってか、そのように思わずにはいられなかった。


「コホン! すまない、少々取り乱してしまった。長くなったが答えを言おう。つまりワヒーダは、私に王族として……いや、違うな。人としての在り方というものを教えてくれた恩人なのだ。その相手に好意を持つのは当然だろう?」


たとえ王族であろうが無法者であろうが、人を好きになることに身分や立場は関係ない。


あの隻腕せきわん隻眼せきがんの女傭兵は、自分のことを変えてくれたのだ。


マルジャーナは、彼女を見上げているアシュレの頭を撫でながら、そう答えた。


「じゃあワヒーダは、僕とマルジャーナの恩人なんだね。それでマルジャーナも僕の恩人」


「ハハハ、そういってくれるか。ありがとう、アシュレ」


アシュレは頭を撫でられながら、礼を言ったマルジャーナに笑顔を返した。


マルジャーナとの交友や王宮での日々が、白い髪の少女に人間性を与えていく。


それは文字の読み書きや、様々な教養を覚える速度よりは遅い歩みではあったが、確実に少女の心は潤っていった。


だが、このときの少女は知らなかった。


彼女たちがいるベナトナシュ国に、とても大きな危険が迫っていたことを。

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