#18

その声と共に宮殿の中から一人の人物が走ってくる。


マントを羽織った男性が着るような軍服姿の若い女性だ。


彼女の声と姿を見たワヒーダは思わず仰け反り、まるでおおかみに見つかった草食動物のようにその身を震わせていた。


「ようやく来てくれたのだな! 私はお前と別れて以来この日を長い間待ち望んでいたんだ!」


叫び声を上げて走ってきた女性は、逃げようと身構えていたワヒーダの体をガッチリと捕え、頬擦りしながらさらに声を張り上げていた。


そんな彼女のことを、ワヒーダの隣にいたアシュレが見上げている。


青い瞳に長い金色の髪に、十人中十人が見ても整っていると言うだろう綺麗な造形の顔が、ワヒーダにしがみついて緩みっぱなしだ。


それはあまり美醜びしゅうに興味のないアシュレが見とれてしまうほどで、白い髪の少女は一瞬だけ時間を忘れて、彼女のことを眺めていたくらいだった。


「あぁぁぁッ! 離れろよ、もう!」


「なぜだ!? 私はこんなにもお前に会えて嬉しいのに、そんなこと言わないでくれ!」


ワヒーダは必死になって彼女を自分から引き離そうとするが、金髪碧眼の美女は両手を伸ばしながら唇を尖らしていた。


しばらく固まってしまっていたアシュレはハッと我に返ると、ワヒーダに訊ねる。


「この女性ひとがマルジャーナという人?」


「うん? 何者だ、この少女は? ハッ!? まさかお前の子かワヒーダ!? そ、そんな……聞いてないぞ、そんなこと!? 私というものがありながら、これは一体どういうことだ!?」


金髪碧眼の美女はアシュレに気がつくと、何か勘違いをしたらしく激しく動揺し始めた。


瞳に涙を溜めて再びワヒーダにすがりつこうとし、必死に訴え始めている。


ワヒーダは力づくで彼女を自分から引き離しながら、彼女に向かって口を開く。


「この子はそんなんじゃないっての! いろいろ訳あって連れてるんだよ! というか一度落ちつけマルジャーナ! じゃないと話もろくにできないだろ!」


「お前の子ではないのか……? そうか……そうかそうかそうか! そんなはずないよな! うんうん……うんうんうん……ならばよしッ!」


ワヒーダの言葉に笑みを取り戻した金髪碧眼の美女は、ビシッと背筋を伸ばした。


その服の上からでもわかる大きな胸を張って、くびれた腰に両手を当て高笑う。


そして、いきなりアシュレと視線が合うまで腰を落として、彼女のことを見つめた。


「初めましてだな、白い髪の少女よ。私の名はマルジャーナ·ベナトナシュ。是非とも君の名前を教えてほしい」


「えッ? ベナトナシュってこの国の名前じゃなかった?」


「その通り。私は君が今いるこのベナトナシュ国の女王なのだから、それも当然であろう」


アシュレは、金髪碧眼の美女――マルジャーナの返事を聞いて驚きを隠せなかった。


会う前から身分の高い人物だとは聞いていたが、まさか一国を治める王だとは、彼女は考えてもみなかったのだ。


だが驚いているアシュレの傍では、マルジャーナの素性を知っているはずのワヒーダもまた両目を見開いていた。


その態度から、彼女もマルジャーナが王であることを知らなかったということがわかる。


「マルジャーナ……あんたって、王女様じゃなかったっけ……?」


「ああ、お前と別れてから、こちらにもいろいろあってな。さて、では二人とも私の部屋へ行こう。積もる話はそれからだ」


意気揚々と声を張り上げたマルジャーナは、、ワヒーダとアシュレを王宮内に案内した。


宮殿の中は、それはそれは凝った装飾がされていた。


出入り口の開口部からして、様々な形状のアーチをはじめ、半球形の屋根などの曲面構造を駆使した造りになっており、壁一面には幾何学的な模様、植物モチーフが描かれている。


アシュレはこれがこの国の文化かと、ずっと高揚しっぱなしだった。


城下町にいたときですら、すでに文化の香りがすると言っていた彼女だ。


これほどのものを目の前にすれば、興奮せずにはいられないだろう。


一方でワヒーダはいうと、先ほどから自分にくっつこうとするマルジャーナに辟易した表情を向けている。


部屋に到着すると、侍女たちがお茶の準備をしていた。


今日も陽射しが強く暑いが、注がれている茶からは冷たいものではなく熱々で、これは砂の大陸サハラーウでの日常である。


椅子に座り、ワヒーダとアシュレは改めてマルジャーナと向かい合う。


「口に合うかわからないが飲んでくれ。うちの国で自慢の茶だ」


「うん? これ……甘いんだね。僕、これ好きかも」


アシュレは初めてお茶を飲んだが、すぐにその味のとりこになった。


どうやらベナトナシュ国の濃い味付けと、甘いところが気に入ったようだ。


「そうかそうか、気に入ってくれたか。では遠慮せずにやってくれ。茶ならばいくらでも出すぞ」


アシュレの感想に大層ご満悦のマルジャーナ。


そんな彼女を一瞥したワヒーダは、部屋の中にいる侍女たちへ視線を向けると、マルジャーナに向かって言う。


「茶の話はその辺にして、あんたのとこに来た理由を話したいんだけど」


「わかっているぞ、ワヒーダ。ようやく決心がついたのだろう?」


「なに勝手に話を始めてんだよ、あんたは……」


呆れるワヒーダに向かって、マルジャーナは言葉を続ける


「これからは常に私の傍にいてもらい、風呂も寝食も共してもらうからな。あぁッ! 考えるだけ楽しみだ!」


「いや、そんな話してないから……。いいから真面目に聞けよ、マルジャーナ。とりあえず人払いをお願い」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る