#17

嬉しそうなアシュレの手を引き、ワヒーダはベナトナシュ国の中を進む。


中には砂漠にあるバザールや村とは違い、多くのしっかりした造りの住居や店が並んでいた。


それらはアシュレが閉じ込められていた石造りの建物とは違い、窓があって風通しが良さそうな開放的なものばかりだった。


さらには凝った装飾の外装をした神殿や、その奥には広場と噴水が見える。


ここには文化の香りがすると、ベナトナシュ国の街並みを見たアシュレは、その笑みをさらに深めていた。


「あの看板が酒場であっちのが武器屋さんだね。うわぁ、犬と猫がいる! 可愛い!」


「はいはい。全部、後だよ後。まずは王宮へ行くんだから寄り道はなし」


「わかってるよぉ。でも、なんか想像と違ったね」


「想像って、なにが?」


「みんな元気がないように見える。城下町ってもっと活気があるものだと思ってたんだけど」


アシュレの感想に、ワヒーダの顔が不可解そうなものに変わった。


白い髪の少女の言う通りなのだ。


ワヒーダはベナトナシュ国に来たのは初めてだったが、他の小国に入ったことはある。


騒がしさの質は違えど、彼女が見ていた小国内の城下町はどれも活気に満ちていた。


それはバザールでよく見られる無法者と商人の喧嘩や、酔っ払い同士の殺伐とした言い合いのような喧騒けんそうではなく、華やかな光景だった(多少の下品さはあれども)。


しかし、このベナトナシュ国の城下町の光景はどういうことだろう。


人こそ多く、そこら中に子連れの家族や若者が友人同士が歩いている姿は見えるものの、誰もが暗い顔でうつむき気味だ。


サハラーウで七つある小国の一つとして君臨する国にしては、いささか華々しさに欠ける。


「まあ、あたしらが気にすることじゃないよ。そもそも問題があるんなら、自分の国のことはその国のもんで解決しなきゃね」


「そんなこと言ってるけどさ。どうせ何か問題が起きたら、いきなり自分にしかわからないような理屈を言い出して、勝手に首を突っ込みそうだよね、ワヒーダって」


「あんたのときは特別! いいから急ぐよ!」


「さっきは慌てるなって言ってたのに」


「いちいち揚げ足を取るな!」


プンスカと湯気を立てんばかりのワヒーダに手を引かれ、アシュレは城下町を進んでいく。


ワヒーダは王宮の場所なんて知らないが、宮殿なんてものは一番大きく豪華な建物だと相場が決まっていると、迷わず歩を進めていた。


実際に城下町を歩いていても、顔を上げれば視界に入ってくる建物がある。


半球形をした屋根の天辺てっぺんに槍のように長いものが見える、一際ひときわ目立つ建物。


もしあそこにこの国の主がいないのなら、一体どこにいるんだと言いたくなるほどの外観と大きさを誇っている。


アシュレもまた半球形をした屋根をした建物が王宮だと思っていて、これからあそこに入るのかと、ワヒーダに手を引かれながらずっとそれを見上げていた。


きっと王様が住むような建物の中には、自分の知らないものがいっぱいあるはずと、彼女はまだ見ぬ王宮内を想像して呆けていた。


一方で、半球形をした屋根の建物が近づくにつれ、ワヒーダの表情が渋くなっていく。


それは、やはり言うべきか。


ワヒーダは、先ほど名前が出たマルジャーナという人物には、あまり頼りたくなかったのが本音のようだ。


苦渋の選択というほど深刻そうではないが、明らかに会いたくなさそうな態度である。


しかし、ワヒーダはその人物に会いたくないと言いながらも、人物的には信用できるとも口にしていた。


アシュレには、彼女がマルジャーナという人物のことを、本当はどう思っているのかさっぱりわからなかった。


嫌いな相手を信用できるというだなんて、なんだかおかしい。


酷い矛盾をしているじゃないかと、アシュレは考える度に小首を傾げてしまう。


「ねえ、ワヒーダ」


「うん? なに? もしかしてトイレとか? さすがに街中じゃ不味いよね。どっかで借りれるかな」


「じゃなくてさ。今さらだけど。どうしてそのマルジャーナって人のこと嫌い……いや、苦手なの? 信用できるって言ってるのに」


アシュレは、急に口に出して訊ねた。


最初は大して気になっていなかったことだったが、ワヒーダの反応が徐々にわかりやすくなったせいで、彼女は訊きたくなってしまったのだ。


その問いにワヒーダは、欲望を満たした男に言い寄られる女のような顔で答える。


「あんたも会えばわかるよ。あいつは……あの女はマジでヤバい……」


「マジでヤバい? それって本気で危ないってことだよね? だったら今からでも引き返したほうがよくない?」


「大丈夫だよ。特に害はないから。むしろあたしらを歓迎してくれると思う」


「本気で危ないけど害はない人? うーん……。僕は答えを聞いたはずなんだけど……ますますわからなくなっちゃった……」


ワヒーダのマルジャーナについての説明は、アシュレをさらに混乱させるだけだった。


これまでろくに他人と関わって来なかった彼女だけに、言葉尻を捕らえて、なんとなくどのような人物か察する能力が低かったのもあるが。


やはり同年代の子どもと比べても、明らかに人と話す経験に乏しいことで、ワヒーダがマルジャーナに対してどう思っているかを想像――または予想できないのだ。


知識だけならば、たとえ賢者と言われても誰もが納得するものを持っているアシュレだが、他者との対話、交流、意思疎通を通して学ぶことはまだまだ多そうだ。


それから――。


半球形をした屋根のある大きな建物へ到着したワヒーダとアシュレ。


衛兵に中庭へと通され、マルジャーナが待っているという大広間を目指していると――。


「ずっと、ずっとずっとずっと会いたかったぞぉぉぉッ! ワヒーダァァァッ!」


遠くから、発狂したかのような女の叫び声が聞こえてきた。

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