#11

――闇に紛れての逃亡。


ワヒーダは白い髪の少女についてくるように言い、音一つなく石造りの建物を出た。


彼女が白い髪の少女を説得していたのは午後だったが、出発は陽が沈んでからになった。


これは二人の長い会話と沈黙だけでなく、これまでろくに歩いたことのなかった少女に簡単に早く歩く方法を教えていたからだった。


「結構ヤバいかもしれない……」


ワヒーダは腹の減り方からして、もうすぐ夕食の時間になってしまうと思いながら、静かに村の中を進んでいく。


白い髪の少女は、彼女の言いたいことを察したようで、小声で訊ねる。


「夜ごはんの時間が近いから?」


「ああ、走ればこんな小さな村すぐに出れるけど。あんたを置いていったら意味ないしね。それにバタバタしてたら気付かれるし」


「でもさ。ワヒーダなら村の人たちが集団で襲ってきても倒せそうだよね」


白い髪の少女の言葉に気を良くしたワヒーダは、口角を上げながら返事をする。


「まあね。あたしがその気になれば村どころか千人、いや一万人いても皆殺しにする自信があるよ」


「確かに……。ワヒーダがどれだけ強いのかは知らないけど。二つ名があるような傭兵ならやり方次第で一万人はいけそう……」


「ほんのジョークだよ! マジになるなってッ!」


小声を荒げながら少女をなだめたワヒーダ。


そんなに強かったらこんなコソコソしないでもっと堂々と村を出ていると、彼女は本気で考え始めた少女に呆れてしまう。


しかし白い髪の少女は、ずっとこういう冗談を聞くような環境にいなかったのだ。


いちいち真に受けてしまっても仕方がないかと、ワヒーダの顔には乾いた笑みがこぼれていた。


言葉での説得は無理だったが(あっさりと論破された)、いろいろ考えて少女は自分のことを信じてくれたのだ。


それに応えるためにも、ここで捕まるわけにはいかない。


そう改めて決意を固めたワヒーダは、握った拳に力を込めた。


二人がゆっくりと歩いていると、突然、目の前に無数の火の手が現れ始める。


「牢から出てるぞ!」


「なんでだ!? ええーい! 早く捕まえるんだ!」


殺意のこもった声が次々に上がった。


ワヒーダにはどうして気付かれた見当もつかなかった。


逃げ出すようなそぶりも見せていないのに、どうして村の連中がこちらの逃亡に気がついたのか。


「まさか監視されていたのか? くそッ!? だったらなんで牢番なんて雇ってんだよ! 意味ないだろ!」


彼女は剣を抜いたが、村人たちに背を向け、白い髪の少女の手を引いて走り出した。


手を引かれながら少女が小首を傾げる。


「戦わないの? あなたならあの人たちくらい簡単に倒せるでしょ?」


「そりゃ包囲を突破することはできるだろうけど、確実に死人が出る。それは“善い”ことじゃないだろ」


「ただでさえ人攫いしてるのに人殺しはいけないと、あなたはそう言うんだね。うーん、なんかそもそもって気がするなぁ。村から湖がなくなるかもしれないのにわかってやってるから、どう考えても加害者はあなただし」


「あたしを雇ったのが連中の運の尽きってヤツさ。ともかくここは戦場じゃないんだ。殺しは身を守る最後の手段であって、率先して人を殺すようなヤツに“善し悪し”なんて語れない!」


後ろから村人の集団が一斉に追いかけてきた。


手には松明と、その光に照らされたどす黒い剣が見える。


中にはくわなどの農具を手に握りしめ、男はもちろん女と子ども、そして老人の姿もあった。


白い髪の少女はその様子を振り返って一瞥すると、ワヒーダに言う。


「それってあなたが一方的に思ってることだよね? でもまあ、言いたことは理解した。人を傷つけるのは最後の手段ってことで」


「こんな状況で余裕あんなぁ、あんたは……。連中に捕まったら逃げられないように、手足の二、三本は切られるかもしれないってのに」


「余裕なんてないよ。凄く怖い……けど、あなたがいるから」


白い髪の少女は微笑んだ。


恐怖を感じているとは口にしつつも、実に嬉しそうに。


そんな少女を見たワヒーダは、こんな状況でよく笑えるなと冷や汗をいて引きつった顔を返す。


そして、やはりこいつは頭のネジが外れているんだと改めて思いながら、無理に笑顔を作った。


「なら、期待に応えなきゃね。あたしはもう自分に嘘はつかない。あんたを連れて“善い”人生ってヤツを手に入れる!」


走るワヒーダと少女。


村には柵もないため、すぐに逃げ出せると思われたが甘かった。


村人たちはワヒーダの予想を超えて手慣れており、彼女たちを囲むように追いかけてくる。


それでも先ほど白い髪の少女の言ったように、ワヒーダが斬りかかれば簡単に逃げられるが、今の彼女には殺しは苦肉の策と決めているのでそれもできない。


次第に追い詰められ、ワヒーダと少女は湖の前で、完全に包囲されてしまった。


「ちょっと甘かったね。村の連中が思ったよりも頭が良かった。まさかこんな見事に囲ってくるなんてさ」


「どうする? 逃げ道がなくなったちゃったけど」


「くッ、やっぱやるしかないか――うぐッ!?」


湖を背に囲まれ、ワヒーダが剣を振るう覚悟を決めたとき、彼女は突然その場で苦しみ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る