#9

「というわけで、あんたをさらうことにした」


昼食の休憩を終え、石造りの建物へと戻ったワヒーダは、口を開くやそう言った。


呆けた顔で彼女を見ている白い髪の少女は、いつものように小首を傾げ、眉尻を下げている。


「自分にしかわからないこと言うのやめてもらっていい?」


「何がわからないんだよ? ちゃんと理由は話しただろ?」


ワヒーダが少女にした説明とは、それは短いものだった。


彼女としては、なんの罪もない子どもが、こんなところに閉じ込められているのはおかしい。


だから攫う。


少女がいなくなったことで、湖が消えようが消えまいが知ったことか。


村の連中が自分たちが良ければそれでいいという考えも気に入らないと、ワヒーダは最後にそう付け足し、少女について来るように言ったのだった。


伝わると言えば伝わるのだが。


どうやら白い髪の少女にとっては、それはワヒーダにしか理解できない理由だったようだ。


「そもそも僕、ここから出たいって言ったっけ?」


「あんたはこんなとこにずっといるからわからないんだよ。人間ってのは本来、なんでも自分で選んで自分で決めるもんなんだ。こんな牢屋に無理やり入れられていいもんじゃないの」


腕を組み、さらに首を傾げて難しい顔をする少女。


一方ワヒーダは、鉄格子の扉を持っていた針金で弄り始める。


「前にあんたは言ったよな? なんで“善し悪し”で考えるのかってさ。自分の生まれた環境がハズレだってだけで文句を言っても意味ないって」


ガチャリと音が鳴り、牢の鍵が開いた。


「じゃあ、あなたは好きで傭兵をやっているの? 今の生き方を自分で選んで、善いことをして生きてるの?」


「そ、それはなぁ……」


ワヒーダには返す言葉もなかった。


息巻いて語ってみたものの、彼女もまた、他人を説得できるような道徳的な人生を送っているわけではない。


両親を殺され、その殺した相手に犬のように育てられた。


そして次に育ての親も殺され、その育ての親を殺した野盗に娼館に売られ、そこでは女としての価値がないと追い出され、傭兵となった。


彼女に選べる道などなく、ただ教えられた戦う術でしか自分が生きる道がなかっただけだ。


そんな人生が善いだの悪いだのなんて考えたこともなく、むしろ無意味だと自分に言い聞かせてきた。


白い髪の少女が牢に閉じ込められているように、ワヒーダもまた自分の人生を、血生臭い戦場に囚われているのだ。


「あなたはここを出て別の生き方を見つけるように言うけど。多分ここから出ても同じだよ」


少女は、呻きながら黙っているワヒーダに向かって、静かに話し始めた。


たとえ村を出ても、きっと自分は恐れられ、疎まれ、利用しようとする者に追いかけられるようになる。


出ることに意味などなく、自由にも意味などなく、それ以上に手に入れたものに四苦八苦するようになるに決まっている。


だからこそこの牢屋で、どれだけこの状況を楽しく過ごせるかだけを考えるだけで構わないじゃないかと、相変わらず他人事のように自分の現状と未来を語った。


「あなたが剣を振り続けるしかないのと同じだよ。何かを変えようとしたところで、命ある者は生まれ持ったものからは逃げられない」


言い負かされる。


十歳は年齢が下だろう子どもに論破ろんぱされる。


納得するしかない――と、頭ではわかっていても、それでもワヒーダの感情は素直に肯定することを拒否していた。


子どもにこんなことを言わせる世界がおかしいのだと、彼女は牢の扉を開けて言う。


「わかってるよ。あんたが言ってることは全部正しい……。だけど、あたしには無理でも、あんたには無理じゃないって思ったっていいだろ!?」


そう口から言葉が出たとき、ワヒーダは自分の気持ちに気がついた。


それは、長い間彼女が考えないようにしてきた想いであり、ずっと閉じ込めていた気持ちだった。


「何が“善い”人生かなんてあたしにはわからない……。けど! “悪い”人生ってのはわかる! だってそれはあたしがずっと送ってきた人生だから!」


開いた牢の扉から、ワヒーダは手を伸ばす。


腕を組んでいた白い髪の少女は手を解き、手を伸ばしてきた彼女から目を離さずに見据えていた。


「だから断言するよ! あんたがこのままでいいはずがない! そんなの“善い”ことじゃない! ここに閉じ込めているのは“悪い”ことだ!」


そう叫んだワヒーダは、手を伸ばしたまま両目を閉じていた。


少女は応えない。


しばらくの沈黙の後、ワヒーダが身を震わせながら目を開けた。


そこには、コクコクと頷く少女の姿があった。


「説得っていうには穴が多かったけど。なんか凄く引き込まれた」


さも感心したといったようにかぶりを振る少女は、まるで初めてスナネコを見た子どものような、年相応の笑みで嬉しがっていた。


「やっぱりあなたみたいな勇気のある人っていうか、無謀な人って外にはいないだろうね」


「なんだよ、それ? 遠回しにあたしがバカだって言いたいの?」


「そうかも。でも、そういうところで“善し悪し”が決まるって気がしたんだ。……僕、あなたそういうところ……。ううん、ワヒーダのこと好きだよ。これからよろしくね、優しい人攫いさん」


白い髪の少女はそう言うと、ワヒーダの手を取って牢から出た。

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