#8

――牢番の仕事を引き受けてから数日後。


ワヒーダは今、昼食の休憩で石造りの建物から出ていた。


交代には村長のブルハーンではなく、別の男が入っている。


食事休憩で与えられているのは、朝昼晩にそれぞれ十五分。


就寝時間はワヒーダの裁量で構わないとの話だが、それでも長時間は勘弁してほしいと言われている。


外へ出たワヒーダは、陽の光を浴びながら湖の側で食事を取っていた。


いつもならわずらわしい太陽も、日に短い時間にしか浴びれないと懐かしく感じる。


それに吹く風も心地よい。


当たり前のことなのだが、あの石造りの建物の中には、そんな自然なこともない。


与えられた肉に食らいつきながらワヒーダは思う。


契約期間はとりあえず一ヶ月という話だった。


特に言われたわけではないが、それ以降はワヒーダの様子を見て判断するといったところか。


おそらくは悪夢を見て精神を病んだり、呪いで身体に異常が出始めるのが一ヶ月くらいでわかるのだろう。


今のところワヒーダには何の影響もない。


これも憶測だが、白い髪の少女がいう精霊の影響というのには個人差があって、ワヒーダには呪いに耐性があると思われる。


「まあ、あたしはとっくに呪われてんだろうね」


潰れた右目を擦りながら、残った目で鋼鉄の左腕を見つめる。


初日に白い髪の少女と話してからも、ワヒーダは彼女と会話を続けていた。


それはどうでもいいくだらないことから、彼女たちが住むこの砂の大陸サハラーウの世界情勢など多岐にわたった。


ワヒーダが何よりも驚かされたのは、白い髪の少女が博識なことだった。


少女は、生まれて間もない頃から閉じ込められていたというのに、草や木、花の種類、動物の習性、さらには地、水、風、火についての原理や仕組みなど、ワヒーダが知らないことまで理解していた。


外の世界のことをどうして知っているのだと訊ねると、どうやらすべて精霊に教えてもらったらしい。


とても信じられない話だ。


だが薄暗い建物内で、夜空に浮かぶ星のような無数の光を出現させた少女の超常的な力を見ているのもあって、その事実は受け入れるしかない。


幼い身でありながら、まるで高名な学者と同じ知識を持つ少女だが、それでも彼女にもわからないことがある。


それは人間についてだ。


理由はわからないが、どうやら精霊たちは、人のことだけは白い髪の少女に教えられなかったようだ。


「まあ、わからないよね……。同じ人間にだってよくわからないし……」


食事を終えたワヒーダは、湖の水を手ですくって飲むと、彼女の仕事場――石造りの建物へと歩を進めた。


村の中を歩きながら、ここ数日、少女と話をしていたことを思い出す。


あの白い髪の少女は、やはり生まれて間もない頃から牢に入れられていたようで、両親についての記憶はない。


少女が聞いた村の者が話していた内容によると、どうやら村にできた湖の側で、力尽きた男に抱かれていたようだ。


その男が親だとも考えられるが、肌の色も瞳の色も違う別の人種だったようで、その可能性は限りなく低いと言っていたらしい。


白い髪の少女の生い立ちを聞いたとき、ワヒーダは堪らなくなった。


それは、彼女もまたろくな幼少期を送ってこなかったからだった。


ワヒーダの両親は盗賊団のかしらをやっていた。


だがある日に貴族に雇われた傭兵に殺され、その後、両親を殺した傭兵の男に拾われて育てられた。


男からすれば手間はかかっても犬よりは役に立つだろうくらいの気持ちであって、けして父親としてワヒーダを食わせていたわけではなかった。


そうして幼い彼女が戦場で生きる術を身に付けた頃に、借りを返す前に傭兵の男は殺された。


そのときの戦場でワヒーダは、左手と右目を失いながらもなんとか生き残ったが、彼女を捕らえた野党によって娼館に売られてしまう。


しかし隻腕せきわん隻眼せきがんとなった影響もあって、彼女はその容姿を気味悪がられ、当然、客がつくことなく娼館を追い出された。


以後は、傭兵の男から仕込まれた生きる術を頼りに彼女も傭兵となり、今日まで死に物狂いで戦ってきた。


何度かどこかの傭兵団や、顔馴染みとなった者らと群れることもあったが、そのすべてが全滅の憂き目に遭い、彼女だけが生き残った。


何も際立って腕っぷしが強かったわけでも、頭の回転が速かったわけではない。


ただ幸運だったに過ぎない。


――が、ワヒーダは死に損なう度に、少しずつだが知恵と危険に対する嗅覚を育てていった(本人は否定するだろうが)。


世間の基準でいえばワヒーダはまだ若いが、彼女はその若さに何の価値も見出していなかった。


若さを喜べるのは未来がある者だけだ。


将来の夢、叶えたい希望があってこそ輝くものであって、そんなものはワヒーダとって望むべくもなかった。


物心ついた頃から戦場へ行き、文字の読み書きよりも先に剣の振り方を覚え、人を殺すことを学んだ少女にとって、若さあってこその可能性というものなど、理解できるはずもなかった。


ただ死に損なったという理由だけで今日も戦い、生を感じることなく明日へと歩く。


そんな人生の中で、一体どうやって未来の自分を夢想できるだろうか。


盗賊だった両親。


傭兵だった育ての男。


その男を殺した野盗に、ワヒーダを買った娼館の者たち。


これまで彼女が関わってきたすべての大人が、一人の少女の想像力を奪ったのだ。


そんな己を哀れに思うことさえ、今のワヒーダにはできない。


虫のように這いずり回って、ただ食うために生きるだけ――それが彼女の知っている人生のすべてだった。


「だけど、あの子は“まだ”あたしとは違うよな……。頭もいいし……」


ワヒーダは、自身の頭――黒髪に入った金色のまだらの頭髪をくと、そう呟きながら笑った。

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