第81話
『タイラー、もし良ければなんだけど……私の彼氏のフリをしてくれないかな?』
ウィドウにされたのは、まさかのお願いだった。
恋人のフリをしてほしいなんて言われるとは……流石に予想外である。
彼女の下にやってきた父親からの手紙。
そこには今から連れ帰るのでその相手と見合いをしろと、命令口調で記されていたのだ。
なんでもその相手は同じ剣術師範の息子らしく、両方の親の合意は既に取れているとのこと。
だが親の言う通りに結婚をすれば、ウィドウは『戦乙女』に居続けることは叶わず、道場に強制的に送還されることになってしまう。
それをなんとかするため、ウィドウはどうするべきかと頭を悩ませていた。
そんなことをしているうちに、両親がイラの街にやってくる日は着実に近づいていた。
もう一種の諦観を抱きながらその日を待っていると、俺に話をしたタイミングで彼女の脳裏に電流が走ったのだという。
『そうだそれなら、タイラーに頼めばいいじゃないか!』
とまあそんな感じで俺に白羽の矢が立ち、彼氏がいるから無理という理論武装でいこうということになったのだという。
俺に打ち明けるその瞬間まで、適当に彼氏がいると誤魔化せばいいやなどという考えはまったく浮かばなかったという。
ただその理由も、聞けば納得だった。
彼女は昔から、自分より弱い人間に娘はやらんと父親から言われ、育てられてきた。
そして、彼女の父親は――大神流の師範代。
今のウィドウですら勝てたことがないという、正真正銘の剣の化け物である。
そんな化け物の父親に勝てる男がいるはずがない。
そう刷り込まれていたからこそ、父より強い男を用意するなどという考えが、そもそも頭をよぎることもなかったのだ――。
「ふむ……」
ウィドウの父親であるカヅラさんは、いかにも武人といった感じの男性だった。
顎の下のひげをたっぷりと蓄えており、体格はウィドウと同じでかなりがっちりとしている。
本当にウィドウの父親なのかと思うほどに力強い筋肉をしており、少し身じろぎをするだけで胸筋がぴくぴくと動いていた。
「俺は大神流師範代、ダツラという」
身につけているのは、ウィドウが時折着て鍛錬をしているのを見かける道着。
空手とか柔道的な感じで序列があるのか、腰には紫色の帯を着けている。
背中に担いでいるのは、ウィドウの武器よりも更に大きな大剣。
当然ながら模造刀ではなく、抜き身の真剣である。
「ウィドウ、久しいな。息災だったか?」
「は、はい父上。幸いなことに怪我の一つもすることなく、無事に過ごすことができております」
「それはいかんぞ。死線をさまよわぬ武人に強さの壁を乗り越えることはできん。死なない程度に怪我はするように」
「は、はい……」
言ってることがむちゃくちゃだと思うんだが、ウィドウは何も言わずゆっくりと頭を下げた。
普段は勝ち気で男勝りな彼女も(ここ最近はすごく女の子っぽくなってきてるけど)お父さん相手だといつもの様子でいるのは難しいらしく、肩を縮こまらせている。
「してそちらの御仁が……?」
ダツラさん達がイラの街でやってきたのは夜で、今は翌日の朝。
前日の時点で彼らに説明はしているので、話はスムーズに進んでいく。
「は、はい。紹介します、こちらが私の……か、彼氏のタイラーさんです」
「どうも、タイラーです」
明らかに挙動不審なウィドウを見て気取られたりすることがないように、堂々と前に出る。 ダツラさんは何か言いたげな様子だったが、彼が口を開くよりも隣にいる御仁がずいっと前に出てくる方が早かった。
「あらあらどうもぉ、私アヤヒと申します」
ウィドウの母であるアヤヒさんは、小柄でかわいらしい女性だった。
彼女は武術は護身術程度にしか修めていないらしく、普通の女性である。
ただウィドウを産んだとは思えないほどに若々しい。
二人が街を並んでいたら、小柄な姉と大柄な妹という感じに見えるだろう。
「アヤヒ、いつも言っているが俺をおいてあまり前に出るものではない」
「普段の道場でならいつも三歩後ろをついているじゃありませんか。ウィドウの時くらいはきちんと話をさせてくださいな。ねぇタイラーさん、タイラーさんはウィドウのどんなところに惹かれたのかしら?」
「……」
ウィドウがじーっと、心配そうな顔をしながらこっちを見つめてくる。
そんなに心配しなくても大丈夫だって。俺ってそんなに信用ないんだろうか?
「ウィドウさんは剣の腕が立ちます。なので彼女に身体強化と剣を教わるようになったのがそもそもの始まりでした」
「師匠と弟子の関係だったのね。私とお父さんもそうだったわ」
懐かしそうに目をすがめている母を見て、ウィドウの方が驚いていた。
相変わらずの無表情でこちらをにらむように見つめているダツラさんの方も見ながら、話を続けていく。
別に嘘を言う必要はない。
俺が普段思っている気持ちをありのままに伝えるだけで、二人を説得するのには十分な気がしていた。
俺は普通にウィドウのことが好きだし、彼女の良さもしっかりわかっているつもりだから。
「それで一緒に時間を過ごすようになって。彼女の所属しているパーティーと一緒に依頼をこなすようになって、ウィドウさんの色々な顔を見ることができました。たとえば、彼女が料理が上手なところ、案外かわいいものが好きなところ。とにかくよく身体を動かすので、体臭なんかには人一倍気を遣うところ……」
「ちょ、ちょっとタイラー!」
「と、こんな風に恥ずかしがりなところも、愛らしく思っています」
「……きゅう」
ウィドウが顔を真っ赤にしたままフリーズしてしまった。
それを見てアヤヒさんはあらあらと頬に手を当てながら微笑んでいる。
「もちろん二人とも、プラトニックな関係です」
「あら、手をつけてくれていたらもっと話が早かったのに」
「お父さんの話のことは、彼女からも良く聞いていましたので」
「お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!」
おとうさんの綴りが違う気がするんだが、否定はするまい。
娘を連れて行かれそうになる父親の気持ちは、少しくらいならわかるつもりだ。
今のダツラさんからすれば俺は、いきなり現れて愛娘をかっさらっていこうとする悪漢か何かに見えているに違いない。
「私は賛成ですよ。一目見ただけで彼が表の顔を取り繕うだけの人ではないとわかりましたから」
「もちろん俺は反対だ! さっきから聞いていれば、好き勝手言いおって! お前はウィドウから剣を教わったばかりのひよっこらしいじゃないか」
ダツラさんがちらと俺の身体を見て、ふんっと鼻を鳴らす。
どうやら達人である彼から見ると、娘を任せるにはいささかどころではないくらい、頼りなく見えるらしい。
「見れば剣ダコもできていない。体つきから察するに、鍛え出してからまだ一年も経っていないだろう。こんな軟弱な男に娘をやるくらいなら、セッツのところの倅に嫁がせた方がまだマシだ。あいつなら後十五年もすれば、今の俺よりは強くなるだろうからな」
キッとこちらを睨み付けてくるダツラさん。
なるほどたしかにすごい眼光だが……ここで引くわけにはいかない。
『戦乙女』にとって、ウィドウは必要なメンバーだ。
彼女がいなければ『戦乙女』のパーティーハウスはゴミ屋敷になり、食事の栄養バランスも外食ばかりでおかしくなってしまうだろう。
「ったく、こんなことになるのなら冒険者になる許可など出すのではなかった。さっさと道場に入れてしまえば良かったのだ。そうすれば、こんななよなよした男に引っかかることもなかったというのに」
「ダツラさん、それは違います。俺は道場にいた頃のウィドウさんのことは知りませんが……間違いなく今の彼女の方が、輝いているはずです」
『戦乙女』にいる時のウィドウは、いつだって楽しそうにしている。
それが間違いだという風に、俺には思えない。
もし彼女の笑顔を陰らせるというのなら、立ち向かわなければいけない。
たとえそれが……彼女の実の父親であろうとも。
「とっ、とにかく……お前に娘はやらん! もし娘がほしいというのなら――俺の屍を超えていけ!」
「ええ、それでは……胸を借りさせてもらいます」
こうして俺はダツラさんと、ウィドウをかけた一戦を行うことになった。
相手はウィドウですら一度も勝てたことがないという強敵だ。
だが負けるつもりはない。
ウィドウのためにも勝ってみせるさ……どんな手を使ってもな。
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