第78話


 次の日。

 『賢者の石』の研究に一段落ついたところでゆっくりと眠った俺は、イラの街へと戻った。

 そしてギルド……へは向かわずに、そのまま『戦乙女』のパーティーハウスへと転移する。

「よっ」


「タイラー、おはよう。朝早いねぇ……」


「いや、もう昼前だぞ」


 鳴らしたベルを聞きつけて俺を出迎えてくれたのは、『戦乙女』では斥候兼遊撃を担当しているライザだった。


 完全に気の抜けたパジャマをしていて、前のボタンが一つずつ掛け違いになっている。

 どうやらまだ眠いようで、しきりにまぶたをこすっていた。


「ウィドウはいるか?」


「うん、庭にいると思うよ」


 家の中に入ると、俺の屋敷ではあまり嗅ぐことのないふんわりと良い匂いが漂ってくる。

 なんで女の子の暮らす家の中って、妙に良い匂いがするんだろうな。


 中へ入って歩いていく。

 居間へ向かうと、そこには足を組みながら優雅にカップを傾けているエルザの姿があった。

 何やら本を見ながら難しい顔をしているが……肝心の本の上下が逆さまだった。

 慌てて見栄えだけ整えたようだ。


「本が逆だぞ」


「――っ!? これは……違うの! そういう読み方なの!」


 ものすごく慌てながら紅茶を噴き出して弁明するその姿は、残念美人そのもの。

 別に無理してごまかす必要はないと思うんだが……。


「はいはい」


 口元の紅茶を持っていたハンカチで拭ってやる。

 引いている口紅がハンカチについて、なんだかちょっとドキッとしてしまった。


「よくオリハルコンランクの冒険者としてやってけてるよな」


「エルザさん、外面はいいからねぇ」


「んんっ!! ルルとアイリスに会いに来たなら、二人は二階で寝てるわよ。昨日遅くまで勉強してたらしいし」


「いや、今日はウィドウの方だな」


 二人とも俺がいないところでも、しっかりと予習復習には余念がないらしい。

 結構結構、その方が教える側の俺もやりがいが出るってものだ。


「鍛錬が終わったら、昼ご飯でも食べていきなさいな」


「ああ、それならゴチになろうかな」


 プロ奢られイヤーな俺は、人から何かをもらえるタイミングを逃すことはない。

 彼女たちが指名依頼で遠くに行っていたせいで会うのも久しぶりだし、近況報告がてらご相伴にあずからせてもらうことにしよう。


 裏庭へ向かうと、そこには既に鍛錬を始めているウィドウの姿があった。

 どうやら小休止を取っているらしく、水を飲みながらタオルで汗を拭いていた。


 着ているのは薄着一枚で、身体のラインがとてもぴっちりと見えている。

 そこはかとないエロティックを感じさせるなぁと思っていると、彼女がこっちを向いた。


「あ、タイラー! 久しぶり!」


「お、おう」


 にっこりと快活なスマイルを浮かべるウィドウを見ていると、エロスを感じていた自分が情けなくなってきた。

 なんかごめんなさい……。


「よし、気を取り直して俺も混ぜてくれ」


「……? よくわかんないけど、久しぶりに一緒にやろうか! 鈍ってないか見てあげるよ!」





 以前は模造刀を使うことも多かったが、ここ最近のウィドウとの手合わせではお互い真剣を使うようにしている。

 いくらおもりを使い模造刀の重さを実物に近づけたところで、やはり細かいところには差異が出る。


 二人ともいざという時に一撃を軽くすることくらいならできるし、俺は聖属性魔法で切り離された腕くらいなら簡単にくっつけられる。

 それなら実践に近い形で訓練をしようという形に落ち着くのは当然のことだった。


「――いくよっ!」


 瞬間、ウィドウの姿がフッと消える。

 けれど残像を残すほどの高速移動をしても、身体強化を発動している俺は彼女の動きについていくことができた。


 眼前にまで移動してくるウィドウに対して構えるのは、バスタードソードと呼ばれる直剣だ。

 一応ミスリル製の業物である。

 『魔導剣シャリオ』と比べるとコンパクトに一撃を放つ。


 ウィドウは大剣の角度を微妙にずらし、俺の剣の機動を反らす形で前への突きを放つ。

 カンッと甲高い音を立てて、俺の剣がはじかれた。

 パリィを食らったような形になるが、足に力を入れて踏ん張ってから回避。


 俺が先ほどまで居たところに、大剣がうなりを上げながら迫っていく。

 その機動が途中でこちら向きに変わる。

 受けるのは不利。


 先ほどウィドウがしたのと同じように、剣の腹を使って無理矢理に相手の一撃の軌道を反らす。


 ウィドウが使っている剣も素材はミスリル。

 同じレベルの金属だが打ち付け合う時の質量差が大きいせいで、軋みを上げるのはこちらの方だった。

 そのままするりと剣の脇を抜け、側面からウィドウへ近づこうとする。


「――シィッ!!」


 対してウィドウは外向きに剣を振ることで対処した。

 俺はその様子をジッと観察し……。


「今ッ!」


「え、嘘っ!?」


 大剣の軌道を読み切り、当たるギリギリのタイミングで上にジャンプ。

 飛び上がり振られている剣をやり過ごすと、即座に着地。

 同時にウィドウへと近づいていき、剣を引き戻そうと動いているウィドウの腹へと剣を突きつけた。


「くっ……降参だ」


「ふううっ……なんとか勝てたか」


 最初の頃はウィドウにやられっぱなしだった俺だったが、ここ最近の戦績はおよそ五分五分くらいにまで持ち込むことができるようになっていた。

 といっても、俺の剣術の腕はウィドウには遠く及ばない。


「ゴリ押しで勝ってるだけだから、あんまり褒められたものじゃないんだけどな」


 俺が彼女に白星をあげることができている理由は二つ。

 一つは身体強化を使うことに慣れて、身体の出力が上がってきたこと。


 そしてもう一つは、なんでもありの実戦であれば俺が今まで魔術師として研鑽してきた戦闘技術を応用することができるからだ。


 間合いを見切る力だったり、相手の意識の間隙を縫う形で放つ一撃であったり、相手の呼吸を読む力であったり、純粋な剣技以外で戦える部分の経験であれば俺の方が豊富だからな。

「いや、剣技以外の力だってタイラーの実力だから。でもこうもあっさり負けちゃうと、自信なくすなぁ……まさか頼みの剣技でも、こんなにすぐ勝てなくなっちゃうなんて……」


「いやいや、肝心の剣技じゃあまだまだ足下にも及ばないから!」


 ウィドウの武器である大剣は、わりと一撃が重たい武器だ。

 その真価を発揮するのは一対一というよりむしろ多対一。

 デカい魔物をぶった切ったり、鎧ごと騎士を叩き切ったりできるような場所でこそ輝く戦場剣術だからな。


 自分にとって不利な領域でここまで戦えているわけだから、自信をなくす理由なんてまったくない。

 むしろこの条件でも普通に負けている俺の接近戦の雑魚さを笑うべき場面である。


「よし、それじゃあもう一回……あれ?」


「タイラー、どうかした?」


 もう一度戦おうと剣を持ちながらウィドウと向かい合う。

 するとそこで、ある違和感に気付いた。


「――ウィドウ、ちょっと髪伸びた?」


「うん、実はちょっとだけ伸ばしてるんだ。といっても、剣を振る時に邪魔に鳴らない程度に、だけどね。変……かな?」


 つまんだ前髪を見ながらそう聞いてくるウィドウの顔は、少しだけ赤くなっているように見えた。

 変なわけがない。純粋な俺の好みの話をすると、ベリーショートだった以前より今くらいの方が好みだ。


「そんなことない、似合ってるぞ!!」


「な、なんか勢いすごいね」


「似合ってる!!! 似合ってるぞ!!!」


「わ、わかったから、そんなに真剣な顔して言わないでってば! なんだか、こっちが恥ずかしくなってくる……」


 構えを解き、もじもじとし始めるウィドウ。

 しまった……過敏に反応しすぎたか。

 なんかもう一度戦う感じじゃなくなっちゃったな。

 あ、そうだ。せっかくだからウィドウに得物についての話でも聞かせてもらうことに……。

「二人とも、ご飯できたよ!」


 などと考えていると、ライザから声がかかった。

 仕方ない、剣についての話をするのはまた後でにしよう。


「ウィドウ、ご飯だってさ。今日は俺も食べるから」


「う、うんっ! ちなみにお昼も、作ったのほとんど私だよ! ライザはただ温めただけ」


「ちょ、それは言わないでってばぁ!」


「ぷっ」


「ちょっと、タイラーも笑わないでよっ!」


 のんきに笑っているこの時の俺は、知るよしもなかった。

 まさかこの後、得物なんてどうでもなくなるような怒濤の展開が俺に押し寄せてくるのだということを……。

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