第75話
アンナが意識を取り戻してからというもの、『可能亭』は大変な騒ぎになった。
何せ自分たちの娘が魔法が使えるようになったのだ、彼女の両親の喜びようはそれはもうすごかった。
帳簿に関してはうるさいマリーさんが明日は全員分の宿泊費をタダにしてもいいと言い出したくらいといえば、その喜びようが伝わるだろうか。
俺とアンナが必死になって止めていなければ、きっと次の日の赤字はとんでもないことになっていただろう。
イラの街は安定しているため、あまり大きなイベントごとは起きない。
良くも悪くも平穏な場所だからな。
だけど皆、お祝い事は好きだ。
そのため何かがあれば、それを皆で前のめりになって祝うことが多い。
アンナ家の三人と俺は従業員用の一室でささやかながらパーティーを開き、アンナの魔法使いとしての門出を祝福することにした。
俺がオーク肉を出し、アンナの父であるダンナーさんが秘蔵していた密造酒を皆で飲み、マリーさんがへそくりで買ったという砂糖菓子を皆で頬張り、夜更けまで飲み明かした俺は、二日酔いを冷ますため昼時まで眠ってからギルドへと向かった。
「ふわあぁ……」
「今日も重役出勤ですね、タイラーさん」
「それほどでもないぞ」
「褒めてないですよ」
昼になってからの出勤にもずいぶんと慣れたものだ。
受付嬢のミーシャから向けられる白い目も、まったくダメージを受け……嘘つきました、普通に心が痛いです。
だからそういう目を向けるの、やめてくれませんかねぇ……。
「はぁ……せっかく金ランクになったのに、タイラーさんは何も変わりませんね」
「俺が変わってたらそれはそれで困るだろ。ほい、オーク討伐な」
基本的に依頼は朝一でボードに張り替えられるため、昼になれば当然ながら余り物しか残っていない。
美味い依頼なんてものはない。
だがそもそも俺は基本雑魚モンスターしか狩らないから問題はない。
いつも置かれている魔物の討伐依頼を、いつもと同じ報酬で受ける。
変わらぬ日常を、愛していこうと思う。
ちなみに例外もあるが……ミーシャに頼まれた指名依頼で懲りたので、もうしばらくやるつもりはない。
金ランク冒険者として周りから期待されなくなるくらいまでは、現状維持で行くつもりである。
もちろん、街の危機とかになれば別だけどな。
「この額で、問題なく生活できてるんですか?」
「うん、むしろちょっとずつ増えてる」
「増えてるんですか!?」
最近は『可能亭』の宿泊代がタダになったおかげで、金には余裕がある。
宿代はかからないし、調味料を日本から持ってくれば食費もゼロみたいなもん。
狩れば狩るだけ金が貯まっていく状態だ。
俺の衝撃の告白に、ミーシャは戦慄している。
ふっふっふ……どうだ、俺はここ一週間で銀貨三枚は貯めたぜ!
ちなみに銀貨三枚は、豪遊すれば一日で吹き飛ぶ額だ!
まったく自慢はできないな!
「ほんじゃあ行ってくるわ」
ちなみにこんな風に長々と話をしていても余裕があるのは、今が昼時だからだ。
朝と日が暮れる前は、冒険者界隈での通勤退勤ラッシュなので人の数がやばい。
だが昼に来るのは遠くからやってきて依頼達成報告をしに来るやつらくらいなので、人の数がとてもまばらなのである。
いつものオーク討伐を俊足でこなし、地球に戻って軽くデスクワークを済ませてから再度ディスグラドへ帰還する。
最初は俺のことを新たに生まれた金ランク冒険者として歓迎していた衛兵達も、今では完全に表情筋が死んでいる。
討伐報告をするためにギルドへ向かうと、そこには久しぶりに見る顔があった。
「キキッ」
「おお、タイラー先輩じゃないか!」
サーカス団の猛獣使いから転身してテイマーとして冒険者になったアイーダと、その従魔であるアンガーエイプのカリカチュアだ。
冒険者として活動を始めてからしばらくして、今はたしか……
「銀ランク冒険者になったんだっけか?」
「うん、オーガくらいまでなら倒せるから、あっという間に上がったよ」
アンガーエイプ自体が銀ランクの魔物である上に、個体としてはアンガーエイプを一蹴できるくらいの強さのカリカチュアを従えているのだ、ランクアップが早いのも当然かもしれない。
だがしかし、急ぎすぎては足下をすくわれる。
こういう時こそ、先達として一言言っておかなくては。
「ここからが大変だぞ、何せ金ランクに上がるまでには時間がかかるからな」
「それはタイラー先輩がさぼってたからだろ?」
「なぜバレたし」
よくよく考えたら俺はダメなモデルケースだった。
俺を反面教師にして、二人には頑張ってもらえたらと思う。
大丈夫、君達ならやれるさ!
「ただ真面目なアドバイスをしておくと、依頼はきちんと選べよ。カリカチュアはかなり頭がいいが、魔物ってだけで下に見てくる奴らも多いからな」
魔物だったら何をしてもいいからと、テイマーが飼っている従魔を肉壁代わりに使おうなんていう下世話な依頼人も一定数いるからな。
そのあたりの見極めができるようになるまでは、しっかり依頼は吟味した方がいいだろう。
「忠告ありがとよ、先輩」
「おう、今度お礼にいっぱいおごってくれ」
「キキッ!」
俺の言葉に、なぜかカリカチュアが右手を挙げた。
どうやらアイーダではなく彼がおごってくれるらしい。
猿に奢られるのか……生まれて初めての経験だな!(ポジティブシンキング)
奢ってくれるのならそれが大男だろうが猿だろうが美人だろうが、なんだってありがたくいただくのが俺という人間だ。
とりあえずはその時を楽しみにしていよう。
俺はオークの魔石を出して依頼達成の報告をしてから『可能亭』へと戻り……今日はやりたいことがあったので、久しぶりに我が家へ転移するのだった。
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