第74話


 現在俺は、『可能亭』と呼ばれる宿にお世話になっている。

 基本的にはずっと宿を取っていて、帰ったり帰らなかったりするパターンが多い。

 ちなみに帰ってない時は適当に外で依頼をこなしていると言ってごまかしているので、察しの良いアンナ達には色々と感づかれていたりするかもしれない。


 イラの街にやってきてからはずっとここに滞在している理由は、なんやかんやで居心地がいいからだ。

 看板娘であるアンナがかわいくて、妹みたいな感じという理由もある。


 前は料金を払っていたが、ここ最近は宿泊費用をタダにしてもらえることになった。

 もちろんタダより高いものはないなんて言葉があるように、ただのご厚意ってわけじゃない。


 俺はその代わりに、『可能亭』の看板娘であるアンナに魔法を教えているのだ。

 さて、その進捗はどうかというと……。


「ウォーターボール!」


 アンナが持っている杖に魔力を込め、杖から飛び出した魔力を変質させて水の玉を作る。

 初級水魔法ウォーターボールはふよふよと宙を浮かび……目算で三メートルほど動いてから形を失い、バシャッと地面に染みこんでいった。


 それを見たアンナはふるふると身体を震わせてから、ぴょんぴょんと勢いよく飛び跳ね始める。


「で……できたっ! できましたよ、タイラーさん!」


 履いているスカートがふわりと浮かび上がり、中のパンツが見え……そうになるが、見えなかった。女の子の下着って、絶妙に見えそうで見えないよな。

 女の子のスカートの中は、何よりの魔法なのかもしれない。


「良くやったな、アンナ」


 そんなくだらないことを考えているとは微塵も思わせないように、いかにも魔術師といった感じでキリッとした表情を作ってしたり顔で頷いておく。

 男は皆、むっつりスケベなのだ。


「しっかし、思ってたより早いな」


「そうですか?」


「ああ、みっちり修行ができる状況ならまた話は違うけど、アンナの場合は仕事の合間を縫ってやる形だったからな。それならかなり早いほうだと思うぞ」


 俺が魔法の基礎のキから教えてから、概算で一ヶ月ほどしか経っていない。

 俺が教鞭を執った回数も両手で数えられるくらいだ。

 たったこれだけの勉強で魔法が使えるようになったと考えると、実際かなり上出来だろう。


「アンナ、受付にいる時も教本読んでたもんな」


「はいっ、やっぱり少しでもお母さん達の役に立ちたいですから!」


 魔法を教えるに当たって、一応しっかりと教本は用意させてもらった。

 参考書があるのとないのとでは、全然勉強の効率も違うしな。


 現在使われている魔法技術書と比べると格段にわかりやすいものにはなってるはずだが、それでも一朝一夕に覚えられるようなものじゃない。


 彼女が魔法を使えるようになっているのは、しっかりと復習を続けてきたという何よりの証拠だ。

 これだけのものを与えても、サボるやつはサボるからな。


「ウォーターボールさえ使えるようになっておけば、他の水魔法にも色々と応用が利く。とりあえず魔力を増やすためにも、井戸水の代わりにアンナが魔法で出した水を提供する形にしてみたらどうだ?」


「はい、そうしてみます! 早く井戸から水くみしなくてもなんとかできるようにならなくちゃ!」


「向上心があって大変よろしい」


 井戸水を汲むのは、地味に重労働だ。

 ロープを引っ張って水の入ったバケツを持ち上げるタイプの井戸なので、水を取るのにも一苦労だからな。

 以前田舎の宿に泊まった時にやったことがあるが、何回か往復させるだけで手のひらが真っ赤になるくらいにきつかった。


「魔力にまだ余裕はあるか?」


「えっと……わかりません」


 まあそりゃそうか。

 この世界の魔法は、ゲームのように厳密に数値化がされているわけではない。

 それならどうやって魔力量を把握するのかと思うかもしれないが……これは完全に計算してやるしかない。


 流石に魔力が切れる直前くらいまで行くと明らかに体調が悪くなるのでわかるんだが、半分使ったくらいだとかなり熟達した魔法使いでないとわからない。


 そのため自分の魔力が何発くらい魔法を打つと切れるのか、そして自分の魔力の回復するペースをおおよそ知っておき、そこから先は今何発魔法を使ったかから総魔力量を逆算する必要がある。


 俺は魔力量がかなり多い方なのであまり残存魔力量は気にせずバカスカ魔法を打てるが、これは特例だ。

 ルルを始めとして、この世界の人間はしっかりと自分の魔力量を把握しながら、余力を残して戦うことが多い。


「こればかりは人によるからな……今日の仕事はまだ残ってるか?」


「掃除と洗濯は終わったので、お母さんに言えば後は休みにできるはずです!」


 これからのことを考えると、一度しっかり魔力を使い切る感覚を覚えさせた方がいい。

 魔力量を伸ばす一番の方法は、常に魔力を減らしておくことだったりする。


 そうしておくと身体が魔力を回復させようと動き続けるため、気付けば魔力を生産する量が増え、そのまま魔力総量の増加につながるからだ。


「ほら、行きましょタイラー先生っ!」


「先生はやめろっていつも言ってるだろ」


 アンナのお母さんに許可を取ってから、階段を下っていく。


 というか先生というのは柄じゃないので勘弁してほしい。

 師匠が師匠と呼ばれるのを嫌がっていた理由が、今になってわかった気がした。


「やっぱり恥ずかしいですね……」


「何回か入ってるからか、俺は慣れたぞ」


 自分の部屋を見られてもじもじとしているアンナに連れられ、彼女の部屋へと入る。

 アンナの部屋は、宿の左側の従業員用のスペースにある一室だ。


 魔法の学習は、基本的にアンナの私室で行うようにしていた。

 あんまり人目につくような場所でやって他の奴らに頼まれても面倒だし、俺の部屋に彼女に来てもらうというのも要らぬ噂を立てられかねないからさ。


「よし、それじゃあ適当に入れていってくれ」


 『収納袋』から水瓶をとりあえず五つほど取り出し、並べていく。

 最初だし、これだけあればまず足りるだろう。


「あの……一ついいですか?」


「ん、どうした?」


「ずっと気になってたんですけど……その袋って、一体どうなってるんですか? どう見ても水瓶が入るようには思えないんですけど……」


「これは見た目以上に物が入る魔道具でな、『収納袋』っていうんだ。『戦乙女』の子に頼んで作ってもらったんだ」


 今の俺が使っている『収納袋』は、自分で作ったものではなくルル謹製のものを使っている。

 彼女は使われるのを恥ずかしがっていたが、弟子の作ったものを使うというのはなかなかどうして悪くない。


 ――最近になって、ルルはようやっと実用可能なクオリティの『収納袋』を作ることができるようになった。

 これで何かあってもルルのおかげですと言い張ることができるようになったぞ!

 まあそんなこと言う気はほとんどないけど。


「はぁ~、やっぱり……タイラーさんってすごい人ですよねぇ」


「ま、まあな」


「あのアイリスって人とも仲いいですもんね」


 アンナは相変わらずアイリスとものすごく仲が悪い。

 アイリスがちょいちょい俺の部屋まで来る時があるんだが、その時は大抵の場合けんかしながら上がってくるからな。

 普通に他のお客さんの迷惑になるレベルである。あと普通に恥ずかしいので、本当にやめてもらいたい。


 やめて、俺を巡って争わないで!

 次回、鏡死す。

 デュエルスタンバイ!


「よし、それじゃあ魔力が切れるまでガンガン魔法を使っていくぞ。まずはウォーターボールから指向性を抜いたクリエイトウォーターの魔法を使ってみてくれ」


「は、はいっ!」


 純粋に水を出すクリエイターウォーターの魔法を十回ほど使い、水瓶が三つほど満タンになったところでアンナが糸の切れた人形のように倒れてしまった。

 ウォーター十回か……悪くないな。

 このまま魔力量が伸びていけば、一般的な魔術師くらいにならなれそうである。


 彼女にその気はなさそうなので、とりあえず洗濯や乾燥なんかの宿屋で使えそうな魔法を教えていくか。

 点火の魔道具や薪の代金のことを考えると、火魔法や魔道具作りも今のうちから仕込んでおくのがいいかもしれない。


「しっかし、俺の教え子達はどんどん成長していくな……」


 意識を失った彼女をそっとベッドに寝かしながら、ちょっとだけ感慨深い気分になる。


 ルルは今こうしている間も、彼女は魔道具作りのために頑張っているだろう。

 ちなみに現在俺は、お願いされたのでアイリスにも魔法を教えている。

 彼女は俗に言う天才で、既に三百年前のメルレイア式の風魔法を実用レベルで使いこなしていた。


 この調子じゃあ、師匠としての威厳が保てるのもあと数年かもしれない。

 どうしよう、せっかくだし師匠の威厳をみせるためにも俺ももう少し頑張って……いや、面倒だな。

 俺は俺のペースで、ゆる~っとやっていくことしかできないし、やるつもりもない。

 今は弟子達の成長を、ゆっくり見守らせてもらうことにしよう。

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