第73話


 店内はオレンジ色の光に満ちていて、全体的に薄い暗がりだ。

 そんな中で声をかけられたからか、ムルベリーさんはナンパか何かと思って顔をしかめていた。

 が、よく観察するうちに俺の正体に気付いたらしい。


「お前、いや、君は……タイラーか」


「はい、先日はお世話になりました」


「久しぶりだな……といってもそこまで時間が空いているわけでもない気がするが」


 たしかに言われてみると、試験を受けてからまだ半月も経っていない。

 そう考えるとミミを誘ったのは、タイミング的にはちょうど良かったのかもしれないな。


「というか、世話になったのはむしろ私の方だろう。君がいなければあのオーガジェネラルは倒せなかったはずだからな」


「いえいえそんな、自分の助力がなくてもムルベリーさんなら問題なく倒せていたでしょう」


「君は相変わらずの秘密主義なんだな。そういうところは、とても魔術師らしい」


 だって正直なことを言ったら、今みたいな生活は間違いなく送れなくなるからなぁ。


 日本人の得意技である曖昧な笑みを浮かべてのごまかしを発動させると、ムルベリーさんはそのままワインを入れたカップを傾け始めた。


 彼女がワインを飲みながら食べているのは、パウンドケーキのような焼き菓子だ。

 刻まれたフルーツが山のように入っていて、俺が頼んだバターケーキなんかより何ランクも上等そうだ。


 ていうかあんなの、メニューにあったか?

 見直してみるが、それらしいものが一つもない。

 常連向けの限定メニュー、みたいなものなのかもしれない。


 俺も頼んだケーキをちびちびと食べ始める。

 砂糖の量の少なさをバターでごまかしたケーキは、よく言えば素材の味そのまま。

 悪く言えばぼそぼそしていて味が薄い。


 これはたしかにムルベリーさんのように、酒のつまみとして食べるのが正解なのかもしれない。


 俺もワインを頼むことにした。

 ちなみにこの国にワインは赤しかない。

 白ワインの方が飲みやすくて好きなんだが、こればかりは仕方のないことだ。


「一つ、聞いてもいいか? もしかすると答えにくいことかもしれないが」


「はぁ、まあ答えられないならそう言いますので」


「試験官として、私は事前に君がこなしてきた依頼を見てきた。その上で言わせてもらえば、君の腕前と実績はあまりにも乖離している。私からするととてももったいない気がするんだが……」


「もったいない、ですか……」


 たしかに、冒険者というのは基本的に上昇志向の強いやつが多い。


 学歴やコネも誰でもなれる敷居の低さにもかかわらず、一番上のオリハルコンランクにでもなれば、そこらの下級貴族でもおいそれと軽口を叩けないくらいの社会的な地位が手に入るからな。


 俺のようにそこそこ、というか生活ができるギリギリの収入で満足しているやつというのはさほど多くない。


 一応迷宮の調査依頼に関しては『戦乙女』と受けたことになっているが、それ以外の九割九分はオーク退治だからな。


 マッガスはどちらかと言えばこちらよりだが、あいつにだって上に上がりたいって気持ちはある。

 ミミを誘うためにわざわざギロンまでやってきたのがその証拠だろう。


「ワークライフバランスの問題だと思うんですよね」


「わーくらい……?」


「簡単に言えば、仕事と人生の比重の話です」


 良く聞く話だが、日本人は仕事と人生というものを同一視して考える人が多いらしい。

 同じ会社に骨を埋める覚悟で働き続けていた人達っていうのは、働くことが自分のアイデンティティになりがちだ。


 仕事をするのはいい。

 ただなんのために仕事をするのかを考えないと、片手落ちになってしまうと俺は思っている。


 金を稼いで良い暮らしがしたい、かわいい女の子と付き合いたい。だから仕事を頑張る。

 これはアリだ。


 だがただ惰性で仕事を頑張り、その結果として自由な時間と引き換えに金を稼ぐ。

 これはナシだと個人的には思ってる。


 俺はあまりお金に頓着がない。

 もちろんお金がないと生きていけないのは承知の上だが、その上で最低限生活ができるだけの金があれば十分だと思っている。


 何に比重を置くかは人それぞれだ。

 俺の場合それが重きを置くのは自由な時間や、誰かに縛られたりすることなく、嫌なことをせずに生きることってだけの話で。


 地球での勤務もディスグラドでの冒険者活動も、あくまで俺がきつくないと思える範囲でしかやりたくない。


「だから金ランクに上がってバリバリ難易度の高い依頼をこなすつもりはないんですよ。そんなことをしたら、遊べる時間が残らないじゃないですか」


「ふむ、なるほどな……大商人が仕事を息子に任せて自由に遊んだりするが、それと似たような感じということか」


「そんな感じですね」


 ムルベリーさんはミスリルランクまで上がっているだけあり、まだまだ上を目指しているという感じがする。


 ガツガツいける人はすごいと思う。

 住む世界が違うというか、なんというか……とにかく俺には真似できない生き方だ。


 俺はとにかく、ゆるーっと過ごしていきたいだけだからな。

 ディスグラドだと、珍しい価値観ではあるだろうが、そんな自分を変えるつもりはない。


「なるほどな……もしよければ、どこかで飲み直さないか? お代は私が出す」


「え、いいですけど……」


「自分と考えた方の違う人間の話は参考になる、それが一流の人間であればなおさらな」


「二流もいいところだと思いますけど……」


「それを決めるのは自分じゃなくて周囲の人間さ」


 なんだか俺のことをずいぶんと買いかぶってくれているらしい。


 ムルベリーさんはなかなかな美人さんだ。

 地球で彼女のような人と酒を飲もうとすれば、間違いなく結構な金がかかるだろう。

 この先特に予定があるわけでもないし、おごってもらえるって言うのなら遠慮なく行かせてもらおう。


 俺はスマートに俺の分のお会計まで済ませてくれていたムルベリーさんと一緒に、近くにある酒場へと向かい……そしてしこたま酒を飲み、次の日猛烈な二日酔いに襲われるのだった。

 ――この世界の人達、皆酒強すぎィ!

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