第38話


 いちかに色々バレかけた次の日、俺は久しぶりにディスグラドへと帰ってきていた。


 少しだけ気まずさを感じながらもまず向かうことにしたのは俺が宿の代金を支払っている『可能亭』である。


「こんにちは~……」


 見慣れた『可能亭』の中に入っていくと、そこには看板娘のアンナの姿があった。

 けれどその様子は、どうにもおかしい。


 いつも溌剌としていて座っているのをほとんど見たことがないほどの元気っ娘であるはずの彼女が、受付に頬杖をついてぼーっとしているのだ。


 どこか気が抜けた様子のアンナは、アンニュイな顔をしながら遠くを見つめている。

 俺が入ってきたことに気付いた様子もない。


「はぁ……」


 疲れからかその目は充血しているように見えた。

 ていうかアンナのため息なんて初めて聞くな。

 何か嫌なことでもあったんだろうか。

 

 一体、彼女に何があったんだろうか。

 俺の方が心配になってきてしまう。



「アンナ、どうかしたのか?」


「いえ……」


「悩みでもあるのか? どしたん、話聞こか?」


「悩みというか……タイラーさんが……」


「俺がどうかしたのか?」


「はぇ……?」


 外からこっちに、ゆっくりと首を動かすアンナ。

 彼女の綺麗な二重の瞳が、俺の姿を捉えた。

 さっきまで少し濁っていたように瞳が、一瞬のうちにすっきりした。

 まるで目薬のCMに出てくる女優のようなアンナはこちらを見て、


「タイラーさんっ!」


「お、おう」


 アンナは立ち上がったかと思うと、ものすごい勢いでこちらへ駆け寄ってきた。

 そして彼女は感極まったまま、俺のことを思い切り抱き寄せる。

 ちょ……どうしたんだよいきなりっ!?


「タイラーさん、タイラーさん、タイラーさんっ!」


 話が通じない様子のアンナ。

 半泣きになりながら必死になって俺を放そうとしない彼女を見て、なんとなく察してしまった。

 多分だが彼女は、俺が死んだと思っていたんだろう。


 たしかに少ないとはいえ、『可能亭』に荷物は残してある。

 宿代は一ヶ月分まとめて入れているから問題はないんだが、指名依頼も合わせると二週間以上空けてた計算だ。

 二週間も音信不通となれば、死んでいたと考えられてもおかしくはない。


 謝ろうとしたが……そうじゃないよなと思い返す。

 今アンナに投げかけるべき言葉は……


「ただいま、アンナ」


 アンナが顔を上げて、上目遣いでこちらを見つめてくる。

 彼女はぐしゃぐしゃにした顔を更に歪ませて、


「おかえりなさい……タイラーさん」


 そう言って、無邪気な笑みをみせたのだった――。





 あの後も、アンナはなかなか俺のことを離してくれなかった。


「もう本当に、帰ってこないと思ったんですから!」


 彼女の心配性が爆発してしまったからか、俺がどこかに出かけようとする度に目を潤ませるのだ。

 仕事に出かける時に子供とお別れをするパパさんの気持ちがよくわかる。


 俺は彼女の機嫌を治すべくお菓子を取り出そうとして……そのタイミングで気付いた。


(そういえば収納袋、『戦乙女』のパーティーハウスに置きっぱなしじゃんか!)


 来る時、なんか妙に身体が軽い気がしたとは思ってた。

 てっきり身体を鍛えた効果が出てるんだとばかり思ってたが……そう言えば俺、今手ぶらなんだったわ。


(どうしよう……『戦乙女』のやつら、会ったら俺にどんな顔をするだろうか……)


 流石に『収納袋』を持ち逃げされることは心配してないが、もう一回こんなことをすると思うとどうにも億劫になってくる。


 やはり全ての歯車が狂いだしたのは指名依頼のせいだ。

 あれもこれも、全てミーシャが悪いということにしよう(責任転嫁)!


 ということでこのままでは足が止まりそうだった俺は、全ての思考を放棄して脳死でパーティーハウスへと向かう。


 ドアを開くと、玄関にはルルの姿があった。

 どうやら買い物の帰りらしく、大きめの手提げ袋が両手に握られている。


 ドアの開閉音とちょうつがいの軋む音に振り返ったルルと、視線が合う。


「よぉ」


「……」


 ルルはジッと俺の方を見て……ゴトッ!


 両手に持っていた袋を、そのまま床に落とした。


 なんかすごい音したけど……大丈夫そ?


 ルルはこちらを見て、意を決したようにダダダダダッと駆けてくる。

 アンナと同じパターンかと思い身構える俺だったが、予想とはいつも現実の斜め上を行くものだ。


 アンナは俺の脇を抜けてそのままハンドベルに手をかける。

 そしてグッと振りかぶってから、思い切りハンドベルを鳴らすのだった。


 力を入れて振りすぎているせいで内側の球が上手く動かず、その音は普段より小さかったはずなのだが、皆の反応は劇的だった。


「タイラー!」


「タイラーさん!」


「あのバカが帰ってきたの!?」


 あちらこちらからドアが開き、ドタバタといくつもの足音が聞こえてくる。

 そしてあっという間に『戦乙女』のメンバーが勢揃いし……俺は彼女達に、心配かけてすまなかったと頭を下げるのだった――。


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