第32話


 俺は今まで、一つの考え方に囚われていた。

 それは地球のものを異世界に持っていって使うことはあっても、異世界のものを地球で使ってはいけないという思考だ。


 固定観念というのはよくないものだ。

 人間視野が狭くなると、選択肢がグッと狭まってしまう。


 もちろん、こちら側の方がリスクは高い。

 至る所に監視カメラがあり、誰でも写真や動画を世界に発信することのできるこの現代の情報化社会では、個人の情報など簡単に特定されてしまう。


 日本でディスグラドのものを下手に出すわけにいかないというのは事実だ。

 だが下手に出すわけにいかないというのなら、しっかりと吟味した上で出せばいい。


「つまり誰にも見られずに一人で楽しむ分には、好きにやっちゃっていいってわけだ」


 俺は一人、台所に立っていた。

 今日は久しぶりに、日本で料理をしようと思い立ったのである。


 思い返せば台所で調理をすること自体、かなり久しぶりだ。

 見てみると三角コーナーには、何時入れたかもわからないくらいい古のゴミが、かっぴかぴに乾燥して入ったままになっていた。


「まず最初は掃除からだな……」


 カラ布巾とキッチン用洗剤を駆使しながら、塩素っぽい匂いを我慢して掃除を始める。


 男の一人暮らしというのは、悲しいほどに自炊をしない。

 俺がキッチンにやってくるのは、基本的に冷蔵庫の中で冷やしていたものを引っ張り出す時くらいだった。


 埃を被った家電もしっかりと拭いていく。

 使われているためあまり埃がついていないのは、電子レンジと冷蔵庫くらいだった。


 そもそも朝に食パンを食べない派の俺がほぼ使う機会のないオーブントースターに、引っ越しの時に家電量販店のセールストークに負けて買ったはいいものの、まったく使われていない食洗機……今まで使われる機会もなく待ちぼうけを食らっていた家電達が、もの悲しそうにこちらを見つめている気がした。


 なのでちょっとだけ念入りに拭いてやることにする。

 物には八百万の神様が宿ってるって言うしさ。


 うちのキッチンについているコンロはガスじゃなくIHだが、これはもはや使われなさ過ぎて物置になっていた。

 上に乗っていた酒の空き缶をゴミ袋に入れてから拭いて、戸棚の奥底で眠っていたフライパンを取り出す。


「そういえば引っ越してきてから使ってなかったけど、このフライパンってIH対応なのか……?」


 記憶を掘り起こしてみるが、値段が三千円くらいだったことしか思い出せない。

 まあ使ってみればわかるか。


 というか料理をするのにも一苦労だ。

 次からはもうちょっとこまめに掃除をしないとな……。


 ちょっとげんなりしながら、IHの電源を入れる。

 エラー音が出ないので、どうやら問題なく使えるようだ。


 油を薄く敷いて温まるのを待つ。

 処理が面倒なので、今日は揚げ焼きで済ませようという判断である。


 油がふつふつと泡立ってきたら、『収納袋』から本日の主役を取り出す。


「前々からオーク肉をこっちでも食いたいと思ってたんだよな」


 あっちだと油は高級品だから、揚げたりできないんだよな。

 一度オーク肉の揚げ物が食いたいと思ってたんだよ。


 オーク肉をブロック状に切って、塩こしょうを軽く振って味付け。

 そのままフライパンの上に載せて、調理開始だ。


 IHはガスと比べて火力が低めが、特有のガス臭さがない分調理の間の不快感が少ないのはいいな。

 火が通って良い匂いが漂ってきたら、ひっくり返して食事の準備を始める。


 既に炊いておいた米をよそい、冷蔵庫からハイボール缶を取り出した。

 焼き終えた肉を皿の上に盛り、テーブルに持ってくる。


 あぐらを掻きながら、缶をプシュッと開封。

 ハイボールで喉を潤してから、オーク肉に手をつけた。


「美味いっ!」


 するすると入ってくるのにしつこくない脂が、噛めば噛むほど沸き出てくる。

 素材が良い分、シンプルな調理法の方が良さが光るらしい。


「次はオーク肉でとんかつ作ろうかな」


 少し多めに0.7合くらい炊いたんだが、この調子だとすぐに食べきってしまいそうだ。

 俺の試算だと、レンチンご飯のお世話になる可能性が七割程度あるな。


 味をもう少し濃くしたいと思い、冷蔵庫から調味料を取ってくる。

 周囲のことを考えなくていいから、味変だって自由自在だ。


 焼き肉のタレを付けたり、生ニンニクを使って味変も試みてみる。


「なんでニンニクって、こんなに肉に合うんだろうな」


 ニンニクだけというのも芸がないかと思い、節操なくショウガを足してみたり、わさび醤油でいってみたりしていく。


 意外なことに、揚げ焼きにわさび醤油がマッチしていた。

 油っぽさを、わさびの風味が完全に消してくれるのだ。


 新たな発見をしているうちに、あっという間に肉がなくなってしまった。

 気付けばハイボールも二本目に突入している。


「明日も休みだし、今日は一人でやりあげるか!」


 適度に酔っ払いご機嫌になってきた俺は、三本目の濃いめのハイボール缶を開け、キッチンペーパーで油を拭き取ってから、今度はオーク肉を炒めていく。


 味付けはどうするかと思い冷蔵庫チェックをすると、オイスターソースの賞味期限が切れかけている。


 ――今日の味付けは、君に決めた!


 炒め始めると適度に漂ってくる磯の香り。

 味見をしてみるともう少しコクがほしいと感じたので、甜麺醤を足していく。


 そこに更に軽くニンニクも入れて、もうやりたい放題しているうちに完成。


 酒を飲んだからか妙に汁物が飲みたくなり、ケトルでお湯も沸かしていく。


 インスタントの味噌汁を取りに行くついでに、近くにあったポテトチップスも持ってきた。

 オーク肉を食らい、酒を飲み、味噌汁を飲んでからチェイサーの緑茶をがぶがぶと飲む。


 大量の水を飲んでおくのは、次の日にアルコールを残さないようにだ。

 アルコールがアセトアルデヒドになってしまわないように、大量に水を飲んでおくのである。


 その分だけ尿意も近づき、何度もトイレとテーブルを往復するが、その間もスマホは手から離さない。


 最近お気に入りの芸人の動画を見ながら、いつもよりバカになった状態でゲラゲラと笑う。

 こんな風にザ・独身男みたいな夜を過ごすのは、ずいぶん久しぶりな気がした。


 毎日こんな生活をしていた頃はなんとなくつまらないと感じていたが、色々と忙しく人付き合いも増えてきた今だと、以前よりずっと楽しく感じる。


「やっぱり、一人の時間も必要だよな」


 なんにも気にせず好き放題できるという開放感は素晴らしい。


 一人でいるのは、とにかく気が楽だ。誰にも気を遣わなくていいしさ。

 ……まあその分、少しだけ寂しかったりもするけど。


 でも定期的にこういう時間を作るのって、結構大事な気がする。

 月に一度くらいは、一人で晩酌する時間でも作るか。


 俺はそんな風に考えながら、結局朝の三時まで一人酒を楽しむのだった。

 ちなみに次の日の朝、飲み過ぎで頭が割れるように痛かったのは言うまでもない。


 ――もう二度と酒なんか飲むか!(n回目)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る