第17話


【sideアイリス】



 私は男が嫌いだ。

 いつも下卑た視線ばかりよこしてきて、そのくせにこちらを侮ってくるから。


 男達が集まって話をすれば、その内容は大抵の場合下らないものばかり。

 誰がかわいい、誰と付き合った、自分の趣味がどう……どうでもいいことに熱を上げている姿は、傍から見ているとバカにしか見えない。


 もう一度言う。

 私は男が嫌いだ。

 そして、そんな風に思ってしまう……自分が嫌いだ。





 私はどこにでもいる普通の農家の次女としてこの世に生を受けた。

 貧しくもなく、それほどリッチでもない家庭だったけれど、両親は私のことをとってもかわいがってくれた。


 自分で言うのもなんだが、私は美人だ。

 一体お父さんとお母さんのどこをどう掛け合わせればこんな顔になるんだろうというくらいにパーツの形も配置も整っている。


 美人というのは、大抵の場合得をする。

 世の中というのは、そういう風にできているからだ。


 私もその例に漏れず、小さい頃から姉妹の中では一番ちやほやされて生きてきた。

 そのせいでお姉ちゃんからも妹からも陰口を叩かれることも多く、あまり姉妹仲は良くなかったように思う。


 持たざる者は、持つ者を羨むものだ。

 自分には手に入らないものだからこそ恨み、妬み、嫉む。


 私はかわいく生まれたせいで、とにかく他人からひがまれることが多かった。

 正直、うっとうしかった。

 もっと普通の子に生まれていれば、もっと普通の生き方ができたのに……。


 面倒なことの方が多いから、私は村ではいつも、一人で過ごすようになっていた。

 そしてすることもなくだらだらしていた私を見た元狩人のおじいちゃんは、私に弓を仕込んでくれた。


 私には才能があったらしく、弓の腕はめきめきと上がっていった。

 そしてどうやら魔力を扱う才能もあるらしく、私は無意識のうちに魔力で肉体を強化し、普通の女の子ではありえないほどの強弓の使い手になっていた。


 今まで何かにこれほどのめりこんだことはない。

 弓を極めてみたい。

 生まれて初めてハマったものを突き詰めたいという衝動が、私の身体を突き動かした。



 私は十五歳になると同時に、村を出ることにした。

 その時になって知ったんだけど、私の両親は私と村長の息子であるカタンとの婚約を勝手に進めようととしていた。私の意志なんかまったく無視してだ。

 カタンは私のことをいやらしい目で見てくる、嫌な男だった。


 彼と結婚すれば将来安泰……だから何だというのだろう?

 将来のためにそれ以外の全てを犠牲にしろとでも言うのだろうか。

 両親のそれは、完全に要らぬお節介というやつだった。


 婚約をきっぱりとはね除けた私は、憂いを断ったと一安心して家へ戻る。

 その帰り道でのことだった。


 私は後ろから、思い切り押し倒された。

 振り向けばそこに居るのは、はぁはぁと荒い息を吐くカタンだった。


 彼は獣の顔をしていた。

 瞳はギラギラとしていて、その奥はドロドロに濁っている。

 背中を這い回る指先は太いみみずがのたくっているようで、とにかく気持ちが悪かった。


 暇な時間で狩りを仕込んでもらったことを、これほどまでに感謝したことはない。

 私はある程度自由に使えるようになっていた身体強化を使い、カタンをボコボコにした。

 殺しては両親に迷惑がかかるため、あくまでも顔がパンパンに腫れる程度に加減はしておいた。


 そのまま急いで家へ戻り、予定を切り上げて今日のうちに村を出ることにした。

 すると報復のためか、村の若い男達が皆で私を追ってこようとした。


 私は逃げた。

 時に容赦なく罠を使い、足跡を偽造し、狩人として仕込まれた知識を総動員して彼らから逃げ続けた。


 私は今でも思い出す。

 カタンのあの気持ちの悪い獣欲と、私を組み伏せようとする男達の下卑た顔を。

 灯りもない中でガタガタと震えながら彼らをやり過ごさなければいけなかった、あの時のみじめさを。


 あの日から、私は男という存在が嫌いになった。

 男なんて皆、一皮むけばただの獣だ。

 だから私は、男が嫌いだ。



 それからも私の男嫌いは治るどころか、むしろ悪化していった。

 冒険者になり、男女混合でパーティーを組んでも、やはり男は問題ばかり起こすからだ。

 だから私は、女だけでパーティーを組むことにした。


 『戦乙女』は私にとっての聖域だ。

 ここでなら私は、男の影に怯えることもなく、安心して過ごすことができる。


 もちろんこの考え方を矯正しなくちゃいけないことはわかってる。

 だってこの世の中にいる人の約半分は、男性なんだから。


 けど今すぐになんて無理だ。

 あのカタンの指の感触が、男に関する全てを気色悪さに書き換えてしまう。


 あの記憶が薄れる時が来るまで、もう少しだけ……。


 けれど時折思うことがある。


 その時というのは果たして、待っていればやってくるものなんだろうか……と。



 全てがおかしくなったのは、あの男を臨時のポーターとして共同で依頼をこなすとエルザが言い出してからだった。


 銀ランク魔術師のタイラー。

 昼行灯などとも呼ばれている、なんだかよくわからない男だ。

 エルザの話では、彼が持っている魔道具があれば任務の達成率が上がるらしい。


 彼はするりと自然に、私達『戦乙女』の輪の中に入ってきた。

 私が追い返そうとしても、他の子達は実にあっけなく彼のことを受け入れてしまう。


 あんた達、わかってるの!

 男なんかを信じたら痛い目見るわよ!


 日に日に仲が良くなっていくタイラーとメンバー達を見て、私は苛ついていた。

 あんな男がいなくたって、依頼達成は私達『戦乙女』だけでできる!


 思えばそれがいけなかったのだろう。

 私の放った矢は、深部に住まう魔物であるロックオーガの眉間をしっかりと打ち抜いた。


 けれど私が完全にロックオーガに意識を集中させていた時を狙い澄ましたかのように――実際、タイミングを伺っていたのだろう――何かの影が、私の全身を覆い隠すようにかかった。


 影はどんどんと大きくなっていく。

 ある程度近づいたところで、飛翔してこちらに襲いかかってくる敵の正体が判明した。

 その正体はドラゴン――討伐ランクはミスリルを超えてオリハルコンとも言われる、最強の魔物のうちの一体だ。


 今の私じゃ、勝てない。

 それどころか『戦乙女』で力を合わせても到底倒せないような相手だ。

 

 ドラゴンがわずかに首を動かしたことで、その視界に他のメンバーも移っているのがわかってしまった。

 どうしよう、私のせいだ。


 勝手に焦って一人で飛び出したせいで皆にまで迷惑をかけて……なんて馬鹿なことをしたんだ、私は。

 狩りの最中は冷静にならなくちゃいけないことなんて、わかってるはずなのに。


 風を切りながらこちらに急降下してくるドラゴンのスピードは、今まで見たどんな魔物よりも早い。

 多少動いたところで避けるのは不可能だろう。


 為す術なし、万事休す。

 私の頭は完全に真っ白になる。


 ドラゴンががぱりとその口を大きく開く。

 ぎっちりと詰まった乱杭歯が迫ってくる。


 私は全てを諦めて、目を閉じた。

 ごめん、皆――。








 ガインッ!


 硬いもの同士がぶつかるような音が響き、実を縮こまらせる。

 けれどやってくると思っていた痛みは、いつになっても訪れなかった。


(なんだろう、これ……すごく、温かい)


 閉じた瞼の裏から感じたのは、白い光だった。

 恐る恐る目を開くと、そこには私の目の前に展開された真っ白なバリアが張られている。


 恐らく聖属性魔法の一種だろう。

 だが今まで自分が見たどんなものよりも清らかで、そして美しかった。


 迫っていたドラゴンの一撃を防ぐほどの硬度があり、同時に人を虜にするだけの美しさを兼ね備えている。

 芸術品のようなその美しい白の結界に、私は思わず見とれてしまっていた。


(でもこれは……ルルのものじゃない、それは断言できる)


 ルルの実力はよく理解している。たしかに彼女の聖属性魔法は素晴らしいけれど、そもそもルルは回復魔法以外の聖属性魔法は不得手としていたはずだ。

 だとすれば一体誰が目の前のバリアを張ってみせたのか。


 消去法で考えれば、その可能性は一つしかない。


「ふぅ……なんとか間に合ったか」


 気付けば私の前に立っていた、一人の男。

 今まで見たことのない七色に光る杖を持って立っているのは――何度も見ては憎らしいと思っていた、あのタイラーだった。


「大丈夫か、アイリス?」


 くるりと振り返って、タイラーがこちらを見る。

 彼はこちらを伺いながら『収納袋』の中から何かを取りだしていた。

 一、二、三……合わせて十の指輪を、左右のそれぞれの指につけていく。


 魔法に対する造詣がそこまで深くない私でも、それら一つ一つがとてつもない魔道具であることがわかる。


「GYAAAAA!!」


 タイラーが指輪を嵌めている間も、ドラゴンはバリアを破ろうと何度も突撃を繰り返していた。

 けれどタイラーが張ったと思しきその白い結界はドラゴンの侵入を完璧に拒んでいた。


 タイラー、あんたは、一体……?


「なぁに、安心してくれていいぞ。何せ……ドラゴンを討伐するのは、初めてじゃないからな」


 そう言って再びくるりと振り返り、ドラゴンと相対するタイラー。

 先ほどまで感じていた負の感情が、一瞬のうちに消えてしまう。


 彼の横顔を見た私の胸は……なぜだかどきりと高鳴った。

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