第12話
「……」
言葉を失い、ルルを見つめる。
ルルは急に黙ってしまった俺を見て、不思議そうな顔をしていた。
その純真そうな顔は、いつも悪辣な企みばかりしていた師匠とは似ても似つかないけれど。
吸い込まれてしまいそうなほどに大きな紺碧の瞳や薄く、けれど質感のある唇はどうしようもないほどに師匠にそっくりだった――。
『星堕とし』のメルレイア。
それが俺の師事していた女性の名前だ。
師匠は正真正銘の化け物だった。
星魔法を完全に使いこなすことでこのディスグラドという星そのものを俯瞰して自由に見て、あらゆる情報を瞬時に得ることができた。
戦闘能力も、俺なんかじゃ足下にも及ばないほどに隔絶していた。
恐らく当時、全世界の魔術師の中でも三本の指には入っていたと思う。
師匠はエルフが独自に発展させていた精霊魔術を人間の魔法と混ぜ合わせて昇華させ、魔法のレベルを飛躍的に上げてみせた。
故に彼女は人からすると伝説の賢者にも近しい存在であり、そして凝り固まった考え方を持つエルフ達からは逆に蛇蝎のように嫌われていた。
自身エルフであるにもかかわらず、師匠はエルフという種族そのものが大嫌いで、それ故にエルフ特有の長ったらしいフルネームのことを嫌っていた。
無駄や冗長性が大嫌いで何事もすっきりさせないと落ち着かない質だった師匠は、だから知り合いには自分のことをメルレイアとしか言わなかった。
「……ご、ごめんっ」
とうとう涙腺が崩壊し、こらえきれずに涙が出てくる。
これは俺が前世の記憶を思い出してから、初めての涙だった。
きっと俺は今まで、これ以上悲しい気分になったりしないように、無意識のうちに記憶に蓋をしていたのだと思う。
もう二度と会うことができないという事実に打ちのめされてしまわぬように。
決して叶うことのない初恋に、打ちひしがれてしまわぬように。
けれどルルを見て外れかけていた箍が、彼女の言葉で、ぶわっと一息に外れた。
師匠との今までの思い出が、走馬灯のように頭を巡っていく。
師匠に逆さづりにされながら、森の中に一人置いてけぼりにされた記憶。
半殺しにされながらもなんとか敵の魔術師を倒せた時に褒めてもらえた、あの時の何物にも代えがたいほどの喜び。
研究テーマに進捗があると見られる師匠の笑顔を見たときの、他には得がたい達成感。
今思い返すと半分以上はろくでもない思い出だが、それでも俺にはかけがえのない大切な記憶だ。
止めようと思っても後から後から溢れてきて、俺はとうとう涙を止めようと努力すること自体をやめた。
カスみたいな縫製のごわごわなハンカチで鼻を拭いながら、なんとかして気持ちを落ち着ける。
ルルは俺を見て、優しそうな顔をしてくれていた。
なんだか気恥ずかしくなって、そっぽを向いてしまう。
「ごめんな……同姓同名だったからか、つい師匠のことを思い出してさ」
「いえ、私こそ不用意な発言をしてしまってすみません……」
ルルを改めて見て、確信した。
彼女は間違いなく、師匠の血を引いている。
――あまりにも師匠の面影がありすぎる。
その事実に気付いて俺は少しだけ落ち込んで、でもそれ以上に嬉しくなった。
そっか、当たり前だけど師匠は……俺が死んだ後もこの世界で生きたんだ。
そして誰かと愛し合って、子供を産んで……そのまま幸せに、死んでいったんだと思う。
それを成したのが俺ではないという事実には、少しだけへこむけれど。
ルルという小さな糸を通して、俺とこのディスグラドという世界に関わりができたようで。
それが俺とこの世界が完全に断絶していたのではないと言ってくれているようで、なんだか嬉しいのだ。
「流石に人違いだけどな。メルレイアって名前は合ってるけど、流石に時代がズレすぎだし」
「そ、そうですよね、たしかに私のおばあちゃんが色々と凄かったせいで、メルレイアって名前がエルフの間では結構増えたらしいですし……」
「もちろん俺も知ってるぜ。ってことはルルは、あの『星堕とし』のメルレイアの孫になるのか?」
「はい、有名人の子孫というだけで、色々と大変で……普段耳を隠しているのも、そのせいです」
師匠、あなた有名人ですって。
あなたが嫌われて、あなたも同じように嫌ってやったって言ってたエルフ達からも、今では英雄扱いみたいですよ。
それに……死んでからも、自分の子孫に迷惑かけてるんですか。
相変わらず、傍迷惑な人ですね。
でもその事実が、どうしようもなく師匠らしい。というか、師匠らし過ぎる。
なんだか無性におかしくて、思わず笑ってしまった。
「魔法を教えたからその対価……ってわけじゃないけどさ。もしよければメルレイアさんの話、聞かせてくれないか?」
「え、えぇ。そんなことでよければ、いくらでもお話しますけど……」
結局その日、俺は番の交代をするのも忘れて、ルルからされる師匠の話に完全に聞き入ってしまっていた。
そして朝を迎え、ルルを寝させなかったことをエルザに叱られ……それでも俺は笑っていた。
そして、俺は一人決意を固めた。
彼女達を置いていくのはナシにしよう。
師匠のお孫さんを死なせるわけにはいかないし……悲しませたりもしたくないしさ。
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