チョコとバレンタインとキス
二月十四日。水曜日。平日。
チョコレート戦略にのっとるイベント。
その戦略にまんまと嵌り、チョコレートは購入してある。
二月に入るとデパートやスーパー等、どこもかしこもバレンタインデーのイベントで盛り上がっていた。
私はというと、それを見込んで一月末にはもう買っていたのだ。
部屋の中に隠してはいたが、彼女にはバレていない、はず。
お互い平日ということと、彼女には余裕があっても私には仕事の余裕はなかった為、週末にバレンタインデーを開催することになった。
一つに決めれなくて何個か買ってしまったが、二人で食べればちょうどいいだろう。まぁ、彼女なら一人で食べれそうな気もするけど。
あとは、今年はどうだかわからないが、義理チョコならぬ日頃の御礼チョコが配られるのかどうか。
来月のお返しには忘れてしまいそうだから、バレンタイン限定の某有名お菓子のくまちゃんチョコを何袋か買って、鞄に忍ばせておいてはある。
まぁ、今年は……。
左手を見ると薬指に嵌っている指輪が光っていた。
これもあるからなぁ。大丈夫だろう。
「で、これはなに?」
私の目論見は見事に外れて、頂いたチョコレートの前に座って、彼女からの追求を受けていた。
食べて証拠をなくしてしまえば早いのだが、彼女には嘘はつきたくない。
信用、信頼は一瞬で地に落ちる。
それを挽回、回復しようにもどれほどの努力が必要になるのか知っている。だからこそ、嘘はつかない。それが一番なのだ。
そして、机の上に並べられた一個のチョコレートと、義理とわかるチョコレートが何個か置かれていたが、聞かれているのは立派なチョコレートのことに違いない。
「後輩がくれました。あっ、けど、お返しにくまちゃんのチョコレートを三袋返しておいたし、来月にはお返ししないよって言ってあるから大丈夫だよ」
彼女の顔が険しい。
そうなのだ。まさかと思ったが、後輩がチョコレートを持ってきたのだ。
酷いと思ったが、一度はいらないと断った。
だが、それでも受け取って欲しいと言われて貰ってきてしまったのだ。けど、お返しはできない旨と、その場で某有名お菓子を三袋渡してきた。
その時の後輩はなんとも言えない表情だったような気がした。
そこで気にしてたらたぶんダメで……。だから今回のこの対応は自分の中では良かった方なんじゃないかと思っているけど。
彼女を見るが、いまだに険しい表情だ。
「本当はさ、貰ってくるのも嫌だけど。それも人間関係の為だとわかるから義理チョコとわかるのはいいんだけど。これはさすがに……」
「……うん」
「でも、一度は断ってくれてるし、お返しはしないって言ってくれただけで嬉しいと思ってしまった自分も嫌で」
「うん」
「好きな人に渡す勇気もわかるから……」
「うん」
「けど、やっぱり嫌なもんは嫌だ!」
「ごめんね」
「こっちこそなんかごめん。ただのやきもちだから」
あの険しい表情は色んな葛藤からきていたらしい。
彼女の表情は、さっきより幾分か和らいだような気がした。
ちなみに彼女は義理チョコ交換はしたらしいが、そういうお高いチョコレートは断ったそうだ。
彼女を見習わなくてはと思う。というよりやはり渡す奴がいるのかという……。
「じゃあ、気を取り直して。はいっ」
彼女が机の上にあるチョコレートを纏めてキッチンの方に持って行って、帰ってきた開口一番がその言葉だった。
その言葉が指すものはあれしかない。
「ちょっと待ってて」
急いで寝室の、涼しい部分の隠し場所にお目当てのものを取りに行く。一纏めにしておいた分、袋が大きくなってしまったのは致し方ない。
「はい、ハッピーバレンタイン」
彼女にチョコレートを渡すと、その量に予想外だったのか驚いた表情に頬が緩んでしまった。
「こんなにあるの?」
「これでも絞ったんだけどね。買ってよかったならもっと買ってたよ」
彼女の顔が綻んで、私も胸をなで下ろした。笑ってくれてよかった。
「見てもいい?」
「うん。全部見て」
チョコレートを取り出す彼女に、一つ一つ説明していくと、どれから食べればいいのか選べないと困っていた。
「あっ、私もあるよ」
チョコレートの中身を確認しながら気づいたらしい彼女が、おもむろに立ち上がって紙袋を渡してくれた。
「ハッピーバレンタイン。開けてみて」
急かす姿に笑ってしまう。急かされたままチョコレートを見て自分の動きが止まった。
ん?なんだろ。
彼女を見ると目配せで開けてと訴えてる様子で、そのまま箱を開けていくと、出てきたのは……。
「リップ?」
どう見てもコスメだった。もう一つは、私が好きなプラリネのチョコレート。
「匂い、嗅いでみて」
彼女に言われてリップの匂いを嗅ぐと……。
「甘い……匂い?」
「正解。これもチョコレートなんだって。見た時びっくりしちゃったから買ってみた」
「へぇ、今時のチョコレートってすごいね」
コスメ風なチョコレートだったらしい。ネットで調べてみるリップの他にもあるようだ。精巧に作られていて見た目もまんまで本物と区別が難しい。ものを作る人はすごい。
「ねぇねぇ、つけてみて」
「えっ?」
「んー、だってさ。これ買う時に絶対にしてみたかったんだもん。それにさ、どんな味がするのか気になるじゃん」
彼女の視線が熱っぽいものに変わっていく。触発されるように自身の顔が熱を持ち始めた気がした。
私の手からリップが抜き取られ、そのまま唇に剃って塗られていくのを、大人しくされるがままだ。
「あんまりつきは良くないけど、いっか」
彼女の顔が近づくと同時に目を瞑ると、唇に這う感触と熱が伝わり背筋がぞくりとする。
次の瞬間、仄かにチョコレートの甘さが口の中に広がった。
緩やかな熱が徐々に激しさを増していく。
今夜は甘くなりそうだ。チョコレートだけに。というくだらないことが頭に浮かんだが、すぐに打ち消して彼女の熱に集中した。
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