クーラーと鍋と体温

 温度二十六度。

 もう一度下げようと、リモコンに手を伸ばす。ピッとボタンを押す。リモコンの表記画面には二十五度と記されていた。

 外の温度は三十八度。温度差十三度。なかなかの温度差だ。

 ちらり、彼女を盗み見るとテレビを真剣に見ていた。装いは薄着で涼し気なのだが、カーディガンとブランケットを羽織っている。

 暑がりな私に合わせてくれる彼女。

 私とは違い、彼女はどの季節も好きだと言う。だから夏も好きなのだ。この暑さがいいらしい。

 私はというとこの暑さが苦手で、出来れば汗なんてかきたくもない。肌を焦がすような熱とムワッとした熱気。なにより息がしずらい。一番苦手な季節だ。

「ん? どうかした?」

 見つめていたのがバレて、彼女の視線が自分に向けられる。

「大丈夫?」

 主語がない言葉。何に対しての大丈夫と聞いたのか分からなくても当たり前なのに、彼女は至って普通にそれに対しての答えを返してくれた。

「ブランケットもあるし大丈夫。心配なら温かいお茶が飲みたいかなぁ」

「ん、いれてくる」

 大丈夫の一言で伝わったことが嬉しくて、どうしても緩んでしまいそうになる顔を隠すようにキッチンへと向かった。

 ケトルでお湯を沸かす。

 そういえば、と買っておいたものを見つけて、レンジで温める。

 気になって彼女の方を見ると、相変わらずじーっとテレビを見ていた。気だるそうに見ている仕草も様になるというか。好きだなぁと。

 ケトルの沸いた音に意識をそっちへと戻す。コップにお湯を注ぎハーブティーを作る。それと同時にレンジの音も鳴り響き、用意していたものが出来たことを知らせてくれた。

 両手でそれぞれ持って彼女の元に向かう。

「おかえりー」

「ただいま。はい、おまたせ」

 テーブルの上に両手に持っていたものを載せた。

 彼女の目が私を捕える。その目はキラキラとしていて、表情からして嬉しそうだった。

「食べていいの?」

「うん。その為に買ってきてたから」

 彼女の為に買ってきたパウチのぜんざい。

 つい最近、デートの時に冷やしぜんざいを食べていたのだ。その時に彼女が、寒い中で食べる温かいぜんざいも好きと言っていた。

 仕事の帰り道に買い出しで寄ったスーパー。たまたま目についたそれに、無意識に手が伸びてカゴの中に入れていた。

 会計を終え、袋詰めの段階で気付いて小さく笑ってしまったものだ。

 それと同時に彼女の喜ぶ姿を想像して、より一層、笑みを深くしたのを思い出す。

 部屋を冷やしすぎてしまう私に、彼女が文句を言ったことは一度も無かった。彼女から言われた言葉はブランケットと羽織るものを貸してと文句のかわりにもならない要望だけだった。

 その両方を貸せば嬉しそうに羽織っていたし、ブランケットも使っていた。彼女の家に行った時もそうだった。彼女の家なのにだ。それに申し訳なくなり、夏はなるべく私の家で過ごすことが増えた。

「美味しい」

 ハーブティーを飲んだあと、ぜんざいも食べていた彼女がそう呟く。

「ありがとね」

「こちらこそ。いつもありがとう」

 彼女のありがとうにそれ以上の気持ちを込めて返す。彼女が、目を細めて緩んだ顔で返してくれる表情が答えだった。

 ぜんざいも食べ終え、お互いにハマっているドラマを動画配信で見続けていれば時刻は既に夕方。

「夕飯、なににしようか」

「そうだなぁ。鍋にしちゃう?」

「夏なのに?」

「夏だから食べちゃダメっていうのはないし。このクーラーの中でならいい感じで食べれそうだよ」

 彼女が言う通りたしかにそうかもしれない。けど、汗だくになる未来も見えている。

「ちょっと冷蔵庫の中を見てくる」

「はーい」

 冷蔵庫を覗いてみれば、もやし、キャベツ、葱、鶏ひき肉、えのき、しめじ、舞茸とそこそこの食べ物が勢揃いだった。

 たしか、戸棚には……。あった。キムチ鍋の素。

 彼女に大声で冷蔵庫の中のものとキムチ鍋の素を報告すると、これまた大声で歓声が上がった。その喜びように、夕飯は鍋に即決定。

「いけるねぇ」

「じゃあ、仕込んじゃうか」

 そのままキッチンに立ち鍋の仕込みにはいる。

 どんっ。

 背後に突然の衝撃に前のめりになるが、グッと引っ張られて前後にガクガクと揺すぶられる形になった。

「私も一緒にやる」

 彼女が嬉しそうに抱きついていた。

「そのままじゃ一緒に出来ないじゃん」

「後ろで見てる係」

「ふはっ、なんだそれ」

「いいじゃん、いいじゃん」

「じゃあ鍋に具材を切り刻んでいれていきまーす」

「はーい。おねがいしまーす」

 キャベツ、葱を切って、キノコは手で割いて、キムチ鍋の素を入れた鍋に投入していく。鶏ひき肉はしょうがと醤油、塩で味付けをして肉団子にして、少し煮だった鍋に投入する。それからもやしを入れて蓋をして煮込む。

 その間、彼女はずっと背中に張り付いていた。

「手際いいね」

「そりゃあ、愛する人の為に作ってるので」

「愛されてる人は幸せですねぇ」

「そうだといいんですがねぇ」

 彼女と軽口を叩き合いながら、鍋を見守る。

 ぐつぐつ。ぐつぐつ。

 鍋の蓋の穴から出る湯気が食欲を誘ういい匂いだ。

「幸せだよ」

 私を抱きしめる彼女の腕の力が少しだけ強くなる。

「鍋を食べる前に暑くなっちゃうねぇ」

 少しだけからかいを含んで返事をする。

「それが目的なので」

 晒されたままの私の首に、彼女の唇が触れる。咄嗟に逃げようとするが、目の前には火元があり危なくて身動きが取れない。

 彼女はそれを見越しての行動なのだろう。

 くそぅ。やり返された。

「身体がポカポカですねぇ」

「……そうですねぇ」

 汗がじんわりと滲み出る。

 夏は苦手だ。だけど、やっぱり彼女のこの熱なら……。

 熱に浮かされそうになる頭を横に振り、煩悩も振り払う。

「鍋、食べたあとはどうする?」

 ビクリ、と身体がぎこちなく固まってしまう。それに気付いた彼女は笑っていた。

「それはさぁ……」

「それはさぁ?」

 くすくすと笑う息が首にあたって擽ったい。

 ひとまずは、目の前にあるキムチ鍋を彼女と食べることが優先だ。

 その後は……。

 振り払った煩悩を全て回収したのは言うまでもない。



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