03

 きっかけは、単純なことだった。

「ねえ、サズ」

 何気ない様子で、或いはそれを装って、ラーミフは従兄を呼んだ。

 彼女が私室に彼を呼ぶこと自体は、それほど珍しいことではなかった。王女という地位は、王甥など召使い同然に扱うことが可能なのだ。

 サズはいつも、熱の籠もった視線でラーミフを見た。

 芸術のように美しい少女。瀟洒なレースのかけられた窓を背に、それは超一流の絵師ロットが描いた絵のような。

 ラーミフを目にすれば、ほかの女など同じ「女」として括ることなどできなくなる。いや、ラーミフだけが特別なのだろう。

 と言うのも、サズとて、ほかの女に全く性的なものを覚えないと言うのではないからだ。

 彼に正式に奉仕する女もいれば、地位を目当てに寄ってくる女もいる。若さに任せて彼はそれらを抱き、一時的な欲望は簡単に満足させることができた。

 異性との交わりは魔力を弱める、という考え方もある。

 世にクジナ、ラムドと呼ばれる同性同士の肉体関係は、殊にレンでは珍しくない。それは必ずしも魔力の減少を怖れる動機からだけではなく、楽しみのひとつとして普遍的に行われていることだった。サズも男を相手にしたことはあった。悪くなかったが、それでも一部にいるように、のめり込むことはなかった。

 女にも。男にも。

 欲する相手は、ひとりだけだった。

 それは、命じてかしずくことのない、気高き王女。

 手の届かぬものをこそ。

「〈ヴィダリンの腕輪〉はとても素敵だったわ。詩人の歌に謡われるようなあの腕輪が私のものになるなんて、全てあなたのおかげ」

「お前が望むなら」

 サズはラーミフから目を離すことなく、言った。彼女を前にすれば瞬きすら惜しかった。

「世界の全てでも」

「まあ」

 少女は目を見開いた。それから、くすっと笑う。

「それじゃつまらないわ」

「つまらない?」

「そうよ、だって世界が手に入ってしまったら、そこで楽しみが終わってしまうじゃない」

 それが王女の返答だった。

 もっとも、本当にラーミフが「それなら世界の全てを頂戴」と言ったところで、サズにはどうしても手に入らないものがある。

「ねえ、サズ」

 ラーミフはまた言った。

「知りたいことがあるの」

 これは珍しい、とサズは思った。ラーミフはいつも、彼には「モノ」を要求する。何か知りたいことがあるのならば、魔術であれ、密偵であれ、ほかの男であれ、彼以外の「手段」を使っているはずだった。

 サズが不思議そうに片眉を上げると、ラーミフはすいと窓際から離れ、彼の方に一歩を寄った。

「あなたのことよ」

「俺の?」

「そうよ。誕辰が近いわね」

 誕辰。この世に生を受けた日と、同じ日付が巡ってくる。

 レンではあまり日付を重視しない。星辰の動きは毎年ずれていくものだ。同じ星の位置にならば意味があるが、同じ日付というのは形式以上の意味を持たない。

 しかしそれでも、その日を祝う習慣はあった。

 魔力を精錬すべく禊ぎを受け、シルヴァラッセンが魔力を込めた酒を飲み、儀式と宴を行う。

 と言っても、女王とその直系たる王子、王女の誕辰以外は、王族であっても禊ぎを受け、簡単な儀式を行う程度だ。たいそうな宴は開かない。そう言えばそろそろ近いな、と思うことはあっても、別に心待ちにするようなことはなかった。

「サズ、贈り物は何が欲しいかしら」

 少女は美しく首を傾げた。

「あなたはいつも、私の望みを叶えてくれるもの。今度は私が、あなたを喜ばせてあげたいわ」

 ラーミフはそう言った。

 そう言ったのだ。

 悦ばせてあげたいわ――と。

 サズはそう聞いた。

 男の思い込みなどではないだろう。彼女は、知っているはずなのだ。彼の――男の望みなど。

 若くしなやかな肢体。朱い唇。まだ成長途上の、それでも張りのある乳房。

 同年の、ほかの少女であればいざ知らず、レンの王女たるラーミフが知らないはずはなかった。男の熱い視線が何を意味するのか。

 王女は試していた。計っていたのだ。

 こう尋ねたとき、従兄が果たしてどうするのか。

 サズは何も言わず、そのまま彼女に素早く近寄ると、乱暴にラーミフを抱き締めた。

「判っていて、そのようなことを言うんだろう」

 彼は言った。

「判っていて、言うんだな。俺の欲しいものを」

「何を言っているの、サズ」

 男の腕のなかで、女は戸惑った声を出した。或いはそのふりをした。

 サズはかまわず、そのまま唇を重ねた。ただ合わせるだけの優しい口づけではない。むさぼるようにそれを吸い、驚く――ふりをする――女の口に舌を差し入れた。

 王女は抗った。必死な様子――のふり――で、顔を背けた。

「やめて、サズ」

 ラーミフは首を振った。

「駄目よ」

「何を」

 判っているのだ。この女は。

 まるで思いもかけなかった風情で。当惑する演技をして。

 誘っていた。

「もう、やめて。――これ以上は」

 サズはやめなかった。

 彼の望みなど、最初から彼女は知っているはずだったから。

 知っていて、問うたのだと判った。

 男は再びからみつくような口づけをし、片手を乳房に這わせた。

 女は抗った。

 だが、抵抗は本気ではなかった。

 そのことはすぐに知れた。

 もしも男の欲望など知らぬなら、何故、女の肌から薔薇リティアの香湯の匂いがする? 何故、手触りのよいイルのドレスの下には、何も身につけていないのか?

 そのままサズはとどまることをせず、その日はじめて、ラーミフの背に刻み込まれた八枚羽根の美しい青蝶を見た。

 そのときには、ラーミフは、笑っていた。満足そうに。

 こうして、男は女を得た。或いは、女が男を。

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