04
それは、ラーミフがまだ成人する前のことだった。彼に抱かれたとき、彼女は既に処女ではなかった。
王女の処女が誰のものであったか、それはサズも知っていた。
ラーミフが深く愛する兄。サズの従弟にして、レンの第一王子。女王サクリエルに次ぐ絶対の存在、ラインたるアスレン。
レンの制度上、サズがアスレンの上になることはない。直系と傍系には天と地ほどの差があり、「レン王家」という括りであっても、サクリエル、アスレン、ラーミフ以外は「その他」に過ぎなかった。
身分のことだけではない。魔力に於ても同様だ。
完璧なる星辰により生み出される〈ライン〉は、他の追随を許さぬ強い魔力を持つ。
〈魔術都市〉の外の世界では魔力は遺伝しないというのが常識だが、〈魔術都市〉の王家に於いては異なった。
作り出せるのだ。強力な魔術師は。
その秘密はシルヴァラッセンだけが握り、余所へ洩れることはない。
アスレン。ひと目見れば誰もがはっとする美貌を持ち、女王をもしのぐ魔力を持つ、完璧なるレンの王子。
ラーミフは、兄を愛していることを隠さなかった。誰もがそれを知っていた。サズも、女王も、アスレンも。
近親の繋がりを禁忌とする常識もまたレン王家にはなく、過去には兄弟姉妹の婚姻も珍しくなかったと言う。いまでこそ、あまりに近しい血筋で子を為すことは避けられているが、孕み孕ませさえしなければ兄妹の契りを誰も咎めない。
母親ですら咎めぬその関係は、王子と王女に近い誰もが知るところだった。
サズはその身分、及び魔力について、従弟を妬んだことはなかった。恋しい従妹のことに関してだけは暗い嫉妬の炎を燃やしたが、それがどれだけ虚しいことであるかも知っていた。
たとえ
彼らの関係は続いた。
サズとラーミフ。アスレンとラーミフ。どちらも。
幾年も、続いた。
男たちもそれを知っていた。サズから何か言うことはなかったが、アスレンは平然とそれを話題に上せた。
暗い嫉妬の炎が湧いた。
何と虚しいことか。
「サズ」
「ねえ、サズ」
「大好きよ」
「私の――可愛い人」
王女は年上の彼をそう呼んだ。
ラーミフにとって、サズは一種の召使いであったかもしれない。アスレンが妹を相手にしないときの、代替品。
それでもかまわなかった。
ただ、彼女がアスレンの下でも同じように、いや、彼に抱かれる以上に悦んでいるかと思うと、はらわたが煮えくりかえるようだった。
彼に腰を押さえられているときでも、アスレンを想っているかと思うと。
だがどうしようもなかった。
サズがラーミフに焦がれるように、ラーミフはアスレンに焦がれていた。
どうしようもなかった。
世界中の宝玉を全部贈っても。夜空の星を全部集めても。
ラーミフはアスレンのものだった。
「ねえ、サズ」
絹のようにきめ細かい白き肌。情事のあとでその感触を楽しんでいれば、ラーミフはそっと声を出した。
「いま、お兄様が夢中になっているものを知っている?」
腹の辺りに黒いものが渦巻いた。彼はいましがたの悦楽を思い返していたのに、彼女は兄のことを考えていたのだ。
「知っている」
それを押し隠して、サズは答えた。
「誰もが知っているだろう。六十年の穢れを集める翡翠玉。珍しいものに目をつけたようだが、いったい何の役に立つものか」
六十年に一度やってくる〈変異〉の年。十二の月で巡る一年は、この年だけ十三番目の月を得る。
十三番目の〈時〉の月は災厄の訪れる月であると言われ、盛大な厄除けの祭りが行われる風習があった。
魔術師たちにとって、この年は大いに意味のある年だ。
十二で巡っているものに十三番目を足す。それには本来、六十年の間に少しずつ歪んでいく星辰を正す意味合いがあったが、正されるものばかりではなかった。
歪みを無理に直そうとすれば、どこかに破綻が起きる。野心のある魔術師たちは、乱れる魔力の流れを利用するべく、〈時〉の月に向けて大きな術を編むのだ。
〈時〉の月のレンは騒がしい。
もっとも、サズはもちろん六十年前のことなど知らぬから、そうらしいと聞いているだけだ。
彼自身は、特に何をするつもりもなかった。アスレンにはとても敵わぬとは言え、彼とてレン王家の一員。「外」の魔術師たちの感覚で計れば、
欲しいものは、既に傍らにある。
〈魔術都市〉レンの王位と同じように、決して、彼の手には入らぬものが。
「翡翠玉。魔除けの石」
ラーミフは夢見るような声音で言った。
「穢れを集めて払うほどの力を持つ翡翠ならば、さぞ美しいのでしょうね」
王女は呟いた。
「ねえ、サズ。私はそれを」
見てみたいわ――と王女は言った。
ああ、そうか、と彼は思った。
これはラーミフの考えた新しい遊戯なのだ。
アスレンに協力をする顔をして、アスレンの欲するものをラーミフのところに届けろと。
彼女はそう言ったのだ。
「――アスレンの気に召さなくても、いいのか?」
サズは問うた。ラーミフは笑った。
「いやだわ、サズ。アスレンの邪魔なんて、ラーミフはしないわよ」
ラインの妹は、きゅっと従兄に裸体を寄せた。
「私はお兄様のお手伝いをしたいの。お兄様が嬉しいなら、ラーミフは嬉しいし」
それから王女は、彼に口づけた。
「ラーミフが嬉しければ、サズだって嬉しいはずね?」
サズは濃厚な口づけを返すことでそれに答えた。
自分は、手玉に取られているか?
王女の遊戯盤に乗せられているだけだろうか?
そうかもしれない。いまはまだ。
いつか、この女を支配することができるだろうか。絶対的な、彼女の支配者を超えて。
難しいだろう、と理性は言った。アスレンには決して敵わない。愚かな真似はやめろ、と。
だが、と心は言った。
難関な遊戯であればこそ刺激的。
――刺激は快い、と。
「翡翠玉」
惜しむようにゆっくりと唇を放しながら、サズは呟いた。
「望むならば、アスレンのためにではない、お前のために手にしよう」
ずっと、そうしてきたように、とサズは言った。
これまでと同じことだ、と彼は思った。
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