女とメロンと下冷泉霧香は見分け難し

「お嬢様の言うとおり、下冷泉霧香は超がつくほどの危険人物でしたよ」


 今日知り合ったばかりだと思っていた彼女が実は僕がお世話になっていた孤児施設の利用者であって、あろうことか当時の僕に初恋の感情を抱いていたという事実を僕の雇用主……百合園茉奈に報告するべく、彼女の部屋に訪れていた。


 生まれて初めて女子の部屋に入ったというのに、全く胸が躍らなかったのはひとえにあの下冷泉霧香という先輩の所為で全くドキドキするどころか、むしろ、下冷泉先輩の所為で嫌なドキドキを繰り返していた僕なのであった。


「……ふむ、であれば今後の話し合いをするとしようか。とはいえ、あの女に盗み聞きをされるのも面倒だから携帯器具による筆談で情報共有するぞ。どうせ私の部屋の前で盗聴しているだろうからな、あの変態」


「え? ……それは流石にないんじゃないですかね……?」


「ほぅ、言ったな? 開けてみたまえ」


 茉奈お嬢様に言われたので、僕は誰もが想像するような質素な寮の部屋の扉の前に立ち、外で下冷泉霧香が盗み聞きをしていないかどうかを確認すべく扉を開けた。


「フ」


 うわ、いた。

 寮室の外の廊下には下冷泉霧香が堂々と直立不動しながら、堂々と盗み聞きをしている最中でありやがった。

 

「……」


 僕は黙って現実から逃げるようにドアを閉め、絶対にアレが入ってこないように鍵をかけた。


 鍵をかけた瞬間に「ベリーグッドな塩対応。☆5をあげる。でも警戒心が足りてないので今後の益々のご活躍を期待して☆4。フ。フフ。フフフ。ブヒヒヒ」だなんていう雌豚の声が聞こえてきた気もするけれど、僕はそんな声に反応を示すよりもお嬢様に対して、今日あった事の報告を携帯器具を用いて報告するのであった。







「――胃が痛い」


 本当に胃が痛い様子であらせられる茉奈お嬢様は本日何度目になるかも分からない胃薬を再び摂取し、本当に生きるのに疲れ切ったような顔を浮かべながら重い溜息を吐くお嬢様を見るだけでもこちらの気も重くなる。


「状況は理解した。あの女は私の胃を潰すつもりか?」


「そう言われましても、ねぇ……」


 生まれて初めて姉以外の女の子と連絡先を交換して、文通のように連絡ツールでのやり取りをしたというのに、全く胸が躍らなかった初体験を終えた僕たちは言葉を用いた会話を行う事にしていた。


「それで? これからどうするつもりだ、君」


「そうですね、ひとまずは晩ご飯作りをしようかと。今日は春キャベツと豚肉が安かったので楽しみにしていてくださいね」


「えっ⁉ うわー! すっごく楽しみー! 春キャベツ大好きなんだよね私! ……ではなく! 今日の食事の予定ではなく、下冷泉霧香の入寮の如何についてを聞いているつもりなんだが⁉」


「てっきりその事に関する事は筆談するものだとばかり」


「君の事情を話している訳ではないのだから別に言葉に出しても構わない。私が話したいのは下冷泉霧香の入寮を許可するかしないか、だ」


 お嬢様の言葉を要約するに、僕が女装をしているという事実は伏せたままで下冷泉霧香との付き合い方についてを考えようという事であった。


 確かに彼女の言動の多くは実に変態的であった。

 なので、その言動を理由として彼女の入寮を拒否する事も出来るのだろうけれど……問題は彼女が学校内では変態的な言動を取らないという事である。


「下冷泉霧香は学園内においては模範生。だから入寮を拒否するどころかむしろ歓迎しなくてはならない流れでしたよね? 実際にもう入寮の許可は出したんですよね」


「なぁに、事情というものはすぐに変わるとも。もうこうなったらアレだ。理事長特権だ。百合園家当主の兄の力をふんだんに使って、下冷泉家に全面戦争を仕掛けてやる所存だとも……!」


「うわぁ」


「私は君の為にあの女を排除するつもりだが⁉ その為には全力であの女を潰すだけだが⁉ というか幼馴染じゃんあの女! そんなの羨ま……ではなく! 度し難いに決まっているだろうが!」


 鼻息を荒くしながら、青筋立ててはそんな物騒な言葉を口にしてみせる彼女ではあるのだが、確かにお嬢様の言うことは分からないでもない。


 というのも、下冷泉霧香はあまりにも危険すぎた。

 何が危険かと言えば、あの人は言ってしまえば僕と幼馴染であるという点に他ならない。

 

 ……そう、彼女は僕と面識がある。

 下冷泉霧香は、男としての僕と面識がある。


 つまり、彼女は僕の正体を見破るする可能性が非常に高い存在であり、危険極まりない人間である。


「……とはいえ、あり得るのか? 幼稚園の時の初恋の人の名前を忘れるだなんて」


「幼稚園の時にお世話になった同級生の名前なんて親しい知人以外は10年経てば消え失せます。実際、僕も忘れていましたし」


 言い訳ではないのだが、かくいう僕も下冷泉霧香という存在の事を9割近く忘れていた。


 苗字が変わっていたというのも理由の一因だと思うのだが、人間という生き物はそれほど過去に思い入れを持たないのも原因の1つだろう。


 実際問題、幼稚園に通うか通わないかぐらいの年……しかも10年近く前の話で、それも限られた時間の中でしか交流がなくて再会することもなかったのであれば、そういうのは有り得る話ではある。


 それに幼稚園の時の恋愛事情なんて、言ってしまえばパパと結婚するとかそういう類の軽い冗談に該当するような笑い話でしかない。


 偶々、同年代の、異性の存在と親しかっただけで芽生えた感情を恋愛感情であると錯覚するのも無理はないとは思うのだ。


「確かに私も幼稚園時代から音沙汰のない友人がいたという記憶はあるが、顔と名前に関しては忘れているな……アルバムか何かを引っ張り出さないと確かに思い出せないな」


「実際、僕はもう父と母の顔とか覚えていませんし、名前とかも言う機会も書く機会もないので、ほぼほぼ忘れかけていますしね」


 唯一の救いと言えば、彼女が僕の名前を忘れてしまっている事ぐらいか。

 いや、そもそも彼女の言葉を信じていいものなのかも分からない。


 もしかしたら、彼女は昔の事を覚えていて、わざと忘れていると口にしているだけという可能性も無くはない。


 もしそうなのであれば、彼女はとっくに僕の女装に気が付いているという訳なのだが……ここで1つ疑念が生じる。


 


 女学園に女装した男子生徒が潜入をしているのは、どう見ても明らかに異常な行いでしかなく、世間一般で言うところの犯罪行為だ。


 もしそんな行いが露見したのであれば、誰だって悲鳴をあげるのが筋というものに決まっている。


 なのに、それをしないことから考えられる可能性はざっと考えて2つ。

  

 1つ。

 下冷泉霧香は僕が女装をしている事実を黙視している。


 2つ。

 下冷泉霧香が

 

 2つ目の考え方は非常に簡単な事で、周囲の人間がいない状態で僕の女装を暴くよりも、周囲の人間が多数いる状況で僕の女装を暴いた方が精神的にも追い詰める事が可能であるという事だ。


 もしくは女装に気づいたのであろう彼女に、僕が何かしらの報復――例えば、殺害だとか――をされてしまうのではないかという恐怖感から今はそうしないだけという事も考えられる。


 そんな内容を文字にして茉奈お嬢様に伝えてみると、彼女も概ね僕の意見に同意してくれた。


「……うわ、唯は頭が良いんだね……というか、完全に捻くれ者ならではの考え方だよ……友達が少ないタイプの人間の考え方してる……」


「言葉に出さないで連絡ツールで返答してくれませんかお嬢様。それから素のお嬢様にそんな事を言われると意外と傷つくんですけど、僕」


 とはいえ、それはあくまで下冷泉霧香が僕の女装が看破していればの話である。


 もしかしたら彼女は本当に僕の女装に一切気づいていなくて、偶々銀髪だった僕にそんな言葉を偶然投げかけただけという可能性もなくはない。


 或いはもっと単純に『目の前にいた僕は女性なのだから、銀髪と言えども男性である訳がない』という思い込みで当時の僕と現在の僕を結び付けられないだけというのも充分に考えられる。


 僕の正体がバレていても、バレていなくても、今のところは彼女は僕に友好的であるという事実は認めざるを得ないだろう。


 もちろん、何かを企んでいる――例えば、女装した男子の入学を許可した百合園家に対して、名誉棄損だとか弱味を握ったりだとか――可能性も視野に入れておくべきだろう。


 だが、どれだけ深く考えても下冷泉霧香の真意が分からない限り、僕たちは永遠に後手に回されるだけである以上、このままでは思考のいたちごっこのまま。


 どれだけ彼女の思惑を解明しようと思考を張り巡らさせても、それらがただの徒労に終わる可能性もある訳だ。


「まぁ、ご飯でも作って食べて現実逃避をしましょうっていう話な訳ですよ」


「……確かにそうだな。下冷泉霧香がどれだけ看破したのかというも考慮に入れないといけない訳か。本当に胃が痛くなる」


 最悪とでも言うべき事に僕はもう女装をして女学園に登校をしてしまった。


 そんな犯罪行為を実行してしまったというそんな事実がある以上、僕はもう犯罪者なのであり、もう引き返せない域にまで辿り着いてしまっている訳でもある。


 僕には微塵たりとも女性相手を性の捌け口にしようだなんていう意志は更々ないけれども、そんな事を他の女子たちが許す筈がないだろう。


「だけど、今回の得られた情報は本当に有意義なものでしたよ。もしもその情報を獲得出来ていなかったら、もっと最悪なタイミングと場所で、最悪な結末に終わっていた可能性だってあった訳ですしね」


「結果論だな」


「えぇ、結果論ですね」


 だが、結果論と言えども下冷泉霧香が僕の女装について言及をしていないのはまごう事無き事実であり、彼女が僕の女装に気づいていない可能性があるのも事実ではないか――そんな事をスマホで入力した文字を茉奈お嬢様に見せた瞬間、彼女の腹の虫が鳴る音が部屋中に響き渡った。


「……っ、ぅ、ぅぅ……」


 本当に死ぬほど恥ずかしいとでも言いたげに綺麗に整った顔を真っ赤にして、そんな顔を目の前にいる僕に見せないように俯いて隠す彼女は大変にかわいらしかった。


 とはいえ、そんな感想を彼女に馬鹿正直に伝えたら烈火の如く怒るか、或いはとんでもなく拗ねるかのどちらかを取るであろうことは想像に難くなかったので僕はその感想を飲み込む事にした。


「今日の考え事はこれぐらいにして、明日もお嬢様が考え事が出来るようにご飯を作るとしますね」


「……今日は美味しいご飯を作らないと絶対に許してあげない」


 いつものような男言葉ではなく、素の彼女がそんな事を唇を尖らせながら言ってのけた。

 

 困った。これはどう見ても不機嫌そのもののお嬢様であり、僕はこれからどうにかしてこのお嬢様の機嫌を直さないといけない。


 例えば、そう、彼女が言うように美味しいご飯を作ったりだとかで。


「責任重大ですね、僕」


 とはいえ、百合園茉奈は僕が美味しい料理を作らなかったとしても本当に怒るような人ではないだろうし、そもそも彼女は僕が作る料理は全部美味しいと思っているような人だ。


 理由は全然分からないけれど、、何となく分かっていた。


「うわー。全然そう思ってなさそうな余裕たっぷりな笑顔。自分の作る料理は全部美味しいって思ってる人の顔だ」


「そういう茉奈お嬢様は僕の料理は全部美味しくないと思っているのですか?」


「いやいやいや。そんなの思う訳ないじゃん……ではなく! 思う訳がないだろう!」


 今思えば、目の前にいる彼女は言ってしまえば共犯者なのであった。

 確かにこの異常でしかない生活を送る以上、持つべきものは腹の底から信頼できる相手だ。


 であるのなら、僕は彼女を、雇用主として……いや、人間として信頼するべきなのだろうけれど、彼女と過ごした時間は濃密ではあったけれども、時間の付き合いで言えば経ったの2日ぐらいの付き合いでしかない。


「…………」


 とはいえ、僕は百合園茉奈の事を信頼してもいい相手であると認識している。


 一体全体、それはどうしてなのだろうか――に、僕は今現在の状況を打破する光明を見出した。


「――それだ」


「唯?」


「ナイスアイデアです。お手柄ですよお嬢様」


「ん? ……え? 何が? 何がどうお手柄なんだ?」


ですよ、。僕がお嬢様の人となりが分かったのは、お嬢様が僕の作った料理を食べてくれたからです。人間という生き物は美味しい食事と楽しい食卓を前にすると、舌が思いのほか軽くなるんです。それはお嬢様ご自身が身を以て知っている筈です」


「それはどういう事だ?」


「ほら、僕のすまし汁を飲んだだけでお嬢様の化けの皮が剝がれたじゃないですか」


「いや全然全く剝がれてないが?」


「要するに人間は気分が高揚すると本性を表しやすいんです。そして、僕は昔から自分の料理を食べてくれた人がどう思っているのかが何となく分かるんです。その人が本当に僕の作った料理を美味しいと思っているのか、ただのお世辞なのかどうかが。だって僕の料理は和奏わかな姉さんに美味しいって思って貰う為だけに練習に練習を重ねてきましたから」


「待て。理屈は分かる。確かに楽しい食卓にいたら気分は軽くなるし、美味な食事を食したら誰しも幸せになれるだろう。実際、私も少しぐらいは饒舌になった――あ。……あぁ! え? もしかしてそういう事?」


「えぇ。滑らせてやればいいんですよ。僕の美味しい料理で、下冷泉霧香の、ね」


「確かにそれなら……でも、いくらキミでもあの下冷泉霧香を看破できるかどうかはちょっと難しいんじゃ……?」


「大丈夫です。僕の姉は昔から冗談や嘘が上手でした。僕の作った美味しくもない料理を食べて満面の笑みで美味しいって言うような人でしたからね。僕はそんな和奏姉さん相手に10年間は鍛えられましたので……自分の料理を食べている人間がどう思っているかだなんて、見極めてやりますよ」


「……出来るの?」


「出来ます。それでは僕は今からご飯を作ってきます。楽しみに待っていて下さいね、お嬢様」


 出会って数日も経っていない相手を信頼するだなんて、以前の僕ではとても考えられるような事だけれども、そんな僕のやりたい事を察したのであろう腹を空かした共犯者に笑顔を投げかけて、を今からどうやって作ろうかと頭を悩ませながら鍵のかかった扉を開けた。

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