西と言ったら東と悟れ。元気じゃないと言ったらティラミスを食せ。
「フ。フフ。フフフ。唯お姉様とこうしてお買い物ができるだなんて、今まで毎日善良な女子生徒を騙して生きてきた甲斐があったわ」
「僕個人としてはなんでこんな目に遭ってしまうのかが甚だ疑問ではあるのですが、それでも先輩が買い出しを手伝ってくれて嬉しいです……ん。春キャベツ、いいお値段」
「あらやだ嬉しい興奮する。唯お姉様はこの私と一緒にお出掛けデートをしているのだから興奮するわよね? してるわよね? なんで私の身体よりも春キャベツの方をまじまじと見ているのかしら? ほら、あそこにこんにゃくと大根があるわよ。エロいわよね。ほら食材でエロい妄想をするなって怒ってもいいのよ? さぁ! 怒って! この薄汚い雌豚め責任を取って僕と結婚しろ、と!」
「……この春キャベツは芯の切り口が小さいからダメ……これは巻きがダメ……こっちは軽すぎでダメ……うん、これなら重さもいい……」
「フ。ガン無視。まさかこの私が野菜に負けるだなんて思わなかったわ。花より団子とはよく言ったものね。放置されてとってもゾクゾクする」
「ごめんなさい、雌豚先輩よりも魅力的な春キャベツがあったものなので購入を検討してました」
「まぁ同じ寮生なのだから、寮母である唯お姉様のお手伝いをするのは当然なのだけど。ほら、私が押してるカートに春キャベツを投げ込むといいわ。ところであのお豆腐、処女膜のような膜が張ってあって美味しそうだから買って、2人でぐちょぐちょになるまで
「豆腐ですか、いいですね。すまし汁用に買うとしましょう」
「フ。すまし汁とガン無視は嫌いじゃない。むしろ興奮する。すまし汁って語感が何か卑猥な感じがするわよね。アレかしら。澄ました顔で汁を――」
そんなこんなで見て分かる通り、僕は今日の昼に遭遇してしまった
やはりと言うべきか、彼女はとんでもないほどのレベルである為かこうして僕と一緒にスーパーの中にいるだけでも人目を集めがちであり、特に男性相手の視線を集めていた。
本当、顔と身体だけは凄く美人なんだよね、この先輩。
言動がアレなだけで。
「とはいえ、先輩が荷物持ちと送迎用の車の手配をしてくれて本当に助かりますよ」
実際問題、買い出しというものは何回もしなくていいように出来るだけ多くの食材を買い貯める必要がある。
理想を言えば、商品が安くなる時間帯で出来るだけ安い買い物が出来る最新情報を確保するのがベストなのだろうけれど、そんな事が出来るのは歴戦の主婦だけの特権であり、勉強する時間や学校に拘束されてしまいがちで新鮮な情報を収集するのが難しい学生ではとても真似出来ない芸当なのである。
買い物が出来る日が限られている以上、一度の買い物で多くの食材を購入するのが理想と言えば理想である。
……まぁ、そんな事は頭の中では分かっているのだが、それでも暇さえあれば最寄りのスーパーで何か安い根切り品がないかどうかを探してしまいがちなのだが。
「今は茉奈お嬢様が先輩の入寮の手続きやらをしなくてはいけなくなったので、先輩が買い物の手伝いをしてくれて嬉しい限りです。とはいえ、あの下冷泉家のお嬢様にこんな手伝いをさせてしまって非常に申し訳ないのですが」
「フ。お礼は言わなくてもいいわ。働かざる者は何とやらとも言うし、茉奈さんが私のワガママを聞いたというのに私だけが何もしないっていうのは居心地が悪いもの」
「うわ。意外と常識があるんですね。びっくりです。出来るのなら衆目のある環境で下ネタを言わないという常識も身につけて欲しかったです」
ここで言うワガママというのは、つい先ほど目の前にいる彼女が僕がお世話になる百合園女学園の女子寮に自分も入寮すると宣言した事だろう。
おかげ様で、僕の安息地である筈だった女子寮は一瞬にして彼女という異分子が発生し、誰もいないから女装をし続けなくても大丈夫だという安直な行動が取れなくなった。
だがしかし、過ぎた事を悔やんでも仕方がないと判断した茉奈お嬢様は下冷泉霧香の入寮手続きの為に一旦学園の方にへと戻り、僕は僕で下冷泉霧香の人となりをより近くで判断するべくこうして2人で買い出しに出かけている……というのが、今回の
「フ。当然、常識は持ち合わせているわ。だって常識が分かっていないと非常識を演じられないでしょう。逆もまたしかり。非常識が分かっているから常識が演じられる。万人共有のルールは要するに常識。人間は常日頃から常識を利用して生きている生き物なのよ」
「なる、ほど?」
「フ。いまいちよく分かっていない表情ね。
「……う、わぁ。それは何とも分かりやすい説明ですね……?」
怖い。この人やっぱりすっごく怖い。
当たらずとも遠からずと言うべきか、貴女のその例えはまるで正確そのものですよ、怖い。
うん、彼女が僕の女装生活における最大最悪の難敵になるであろうという予見は見事に当たってましたよ、茉奈お嬢様。
とはいえ、動揺して自分の正体を露見させなかった自分を褒めてあげても良い気がしてきたので、ご褒美代わりにこのセール品でもある豚小間肉を購入する事にしよう。
今日は現実逃避に春キャベツと豚小間肉をメインにした春特有の季節の夕食でも作ろうかなぁ。
「フ。人は皆、常識に縛られて生きているものよ。だって、そっちの方が頭を使わなくていいから楽だもの」
とはいえ、やはり僕は彼女の考え方が嫌いではなかった。
というか、彼女の人となりにどうしてか好感すら持てている。
もしも、仮に僕が女装という嘘をついていなければ、彼女と僕はとてもいい関係性を築けていたのではないのかと思えるぐらいだ。
――どうして、こんなにも自分と彼女にシンパシーのようなものを感じているのだろうか。
やはり、僕は遠い昔に彼女と出会った事でもあったのだろうか……?
何回も何回も今までに経験してきた体験全てを頭の中で振り返ってみても、それでも僕は彼女のような存在と触れ合った事がないし、そもそも下冷泉だなんていう日本の旧華族のお嬢様と親睦を深めたような経験もなかった。
「先輩は随分とひねくれた価値観をお持ちの様ですね」
「フ。そういうのはお嫌い? 私の話を聞いている唯お姉様は随分と熱心に耳を傾けていたようだけど」
「いえ、それを言うのでしたら僕の方も中々に捻くれていますので」
「ご存知? 自分の事を捻くれ者と自称する人間は捻くれ者を演じているだけのつまらない人間か、筋金入りの捻くれ者のどちらかよ」
「なるほど。でしたら先輩の目に映る僕はどちらでしょうか」
「フ。圧倒的後者。私と同じく人生の荒波と胸と尻を揉まれに揉まれまくった人間特有の捻くれっぷり。同族と出会えた嬉しさで興奮しちゃう」
自分自身の事を同族と呼称する彼女は捻くれ者であると宣言しているようなもので、実際に彼女は僕の目から見ても疑いようが無いほどに捻くれ者であった。
よく世間一般では美人の事を花に例えるけれど、彼女の場合は『綺麗なバラには棘がある』というよりも『綺麗なバラから棘を抜いて、タコの触手を生えさせてセクハラしてくる』というべき捻くれっぷりであり、近しい食材で例えるのなら『タコスッポンタケ』とも言うべき奇天烈な人だった。
「へぇ、人生の荒波。確かに僕もそこそこ揉まれてきてはいますが、先輩も?」
「フ。多少は揉まれた自覚はあるわね。というか私、孤児だし」
予想だにしていなかったワードが彼女の口から飛び出てきて、僕は思わず転びそうになってしまった。
もしも買い物かごを持っていたのであれば地面にばら撒いていただろうし、カートを押していたのであればどこかの誰かにぶつけてしまいそうだったので、何も持っていない事が不幸中の幸いだった。
「……それは、簡単に話しちゃいけない事じゃ。それもこんな僕みたいな、今知ったばかりの人間に話すような内容じゃないですよ」
「フ。それはそうね。じゃあ、聞きたいようならあそこのデザートを買ってちょうだい。もちろん2人分。買い物帰りにどこかに座って食べながら話をしましょう?」
◇
「結論から言うと、私は養子。外から迎え入れられただけで日本の有数の旧華族である下冷泉家の血は一滴も流れてない。ところでこのティラミスすっごく美味しいのだけど」
業務用スーパーでの買い物を終えた僕たちは近くにある公園にあるベンチに横に並びながら座って、2つ入りのティラミスをプラスチックのスプーンで掬いながらパクパクと食しながら、そんな食事の最中にしないような話題を口にしていた。
「養子縁組という事ですか」
「フ。その通り。顔だけは昔から整っていたから、孤児施設にいきなり現れた金持ちの道楽で拾われたって感じかしら」
「ですが、それは素晴らしい事じゃないですか。身寄りが全くない孤児から旧華族の一員に仲間入りって。中々見られないような逆転劇ですよ」
当然の事ではあるけれども、孤児施設には稀に養子縁組を希望する物好きたち……里親が現れる。
いや、物好きと言うのは失敬な事なのかもしれないけれど、当然、里親に選ばれる孤児もいれば、選ばれない孤児だっているのだから、物好きとしか言いようがないだろう。
下冷泉霧香は前者で、僕と姉は後者だったけれど、選ばれなかったからと言って僕は彼女を非難するつもりも、ましてや睥睨するつもりは更々ない。
ましてや、僕と姉に至っては髪の色からして日本人受けしないのは火を見るよりも明らかであり、そんな孤児を養子にしたところで髪の色だなんていう『貴方と僕がどれだけ絆を深めようと血の繋がっていない他人なんですよ』と言わんばかりの特徴がある時点で選ばれる筈もない。
要するに、選ばれやすい特徴を有していた彼女と、選ばれにくい特徴を有していた僕を選ぶかどうかの話であって、そこに選ばれた彼女を羨む気持ちはあれど、蔑む気持ちは一片たりともないのが正直な所であった。
だけど『実は僕も孤児で、先輩と違って里親に恵まれなかったんですよね』と善意ではない言葉をぶつけて、彼女の顔を歪ませたいという気持ちが全くないかと言われれば、嘘になる。
随分と自分は難儀な人間だなと思いつつも、封を開けたばかりのティラミスをスプーンで掬って、それを口の中に投げ入れた。
「……うわ、美味し……」
コーヒーをふんだんに染み込ませたのであろうスポンジケーキは甘さと苦みとがあり、それをかき消してくれるマスカルポーネチーズ特有の甘酸っぱさとコクによる味の余韻。
そして、喉が熱くなったかと思いきや、その喉をケアするかのような心地良い清涼感が襲ってくるティラミスムース。
甘味と酸味に苦味がリズミカルに襲ってくるこの味の組み合わせは、素人にはとても作れないような絶品であり、値段価格も良心的。
最近ではコンビニデザートのクオリティが上がったとはよく耳にするけれども、僕個人としてはコストパフォーマンスが圧倒的に良い業務用スーパーのスイーツが好みであった。
「フ。気に入ったようなら重畳。ところで唯お姉様はティラミスの語源をご存知かしら」
「確かイタリア語で『私を元気づけて』でしたっけ」
「フ。正解。……どう? 少しは元気になった?」
またもや彼女の口から出ると予想だにしていなかった言葉を耳にした僕は呆気に取られて、彼女の綺麗な横顔を食い入るように見つめるしか出来なかった。
だが、そんな僕の様子を横目で見ていた下冷泉霧香はくすくすと鈴がなるような声で笑っていた。
「唯お姉様が元気じゃなさそうなのは一目見れば分かるわ。それでよく隠しているつもりね」
「先輩の仰る意味が分かりかねるのですが」
「フ。捻くれ者ね。とはいえ、唯お姉様がそうしたいのならそうする事にしてあげましょう。もっとも自覚していない様子だしね」
一瞬、僕の女装が彼女に看破されたのではないのかと身構えてしまったのだが、どうやらそういう意味ではなさそうであった。
もしかすると、自分では振り切ったつもりでいた死んだ姉への思いがまだ引きずっていたのかもしれない。
確かに姉が死んでまだ1ヶ月しか経っていないけれども、唯一無二の肉親である姉を亡くしてしまった人間の心を癒すには1ヶ月は短すぎたのかもしれない。
そういう意味では、僕の事情も知らないというのに、気丈に振る舞っていた初対面に近い人間の感情を看破してみせた彼女の観察眼には目を見張るしかなかった。
「……なるほど、先輩はやはり捻くれ者ですね。そんな事をされたら僕が先輩に感謝するしかないじゃないですか」
「フ。どうして私が感謝されるのか全く見当もつかないのだけど。私は出所の分からない感謝を受けたらついつい疑ってしまうの。だって、私は――」
「――捻くれ者だから、ですね?」
「フ。私のキメ台詞を取らないで、この捻くれ者」
そんなやり取りを挟みながら、僕たちは互いにバカみたいに笑い声をあげながら、ティラミスを食していた。
遠目から見れば仲睦まじい女学生2人が制服姿でスイーツを買い食いしているだけなのだろうけれど、残念な事に僕は女装をしているという捻くれ者で、僕と一緒に食事をしている彼女もまたとんでもないほどの捻くれ者なのであった。
「にしても……フ。こうして食べていると昔の事を思い出す」
「昔の事?」
「初恋の男の子の事」
おっと?
これは何だか面白そうな話題だぞ?
恋愛の話題というものは古今東西、老若男女問わずに人々を夢中にさせるものである。
しかも、その初恋のネタを話すのが僕と同じ捻くれ者にして、面白そうな性格をしている下冷泉霧香その人だ。
興味を持つなと言われても、興味を持たないでいるのは非常に難しい事は想像に難くなくて、僕の口は勝手に聞きたいと口を滑らせ、僕の耳も勝手に彼女の話に耳を傾けていた。
「孤児施設にいた時にね、私が落ち込んだ時に美味しいティラミスを作ってくれる男の子がいたの。私よりも1歳下のかわいい男の子だった」
「へぇ」
「とはいえ、幼稚園ぐらいの年齢だったから9割方は先生がティラミスが作ってたけど。それでも、私が落ち込んだら背伸びをして、台所に立って、先生に黙って勝手にティラミスを作ろうとして、包丁で怪我して、それでも涙を堪えて作り上げようとして、先生に見つかって怒られて、それでも最後まで自分1人の力で作りきって……決して美味しいとは言えないけれど、とっても美味しかった」
「へぇ……!」
何そのめちゃくちゃいい話。
大抵の思い出話はお涙頂戴させる気満々で聞いていて白けるのだけど、料理を作ろうと頑張るその男の子に僕はとても感動した。
実際、台所って大人が立つ前提の作りだから、子供の身長ではとても扱いづらい。
というのも、僕もそうした経験があるので、その男の子の苦労が手に取るように分かってしまうのだ。
「そんなとっても心が温まるティラミスを作ってくれたあの子は、貴女と同じ銀髪の男の子だった」
「――へ?」
「懐かしい。昔からあの子は私とお姉さんにべったりだった。あの子とは男友達のように毎日遊んでたなぁ……」
あれ?
待った。
色々と待って。
僕はとんでもないほどに嫌な予感さえ覚えている。
姉がいて?
銀髪で?
孤児施設出身で?
料理が好きで?
うわぁ、まるで僕みたいだなぁ。
「あの、先輩? その、男の子の名前とかって覚えていたりします……?」
「フ。こういうのって覚えていて当然っていう空気感さえあるけど、昔の事だから覚えてない」
「……本当に?」
「フ。本当。下冷泉家の勉強がハード過ぎて、色々と忘れてしまったというのが実の所。それにあんなに素敵な良い子だからきっと里親に拾われて苗字も変わっているだろうし……そもそも、下冷泉家の私に自由な恋愛はきっと許されない。だから、知ろうとは思わない。知っても悲しくなるだけだから」
「そ、それは……残念、でしたね……」
嘘だ。
僕は全く残念だなんて思っていなくて、かわいそうな彼女に同情するどころか、むしろ安堵さえ覚えている始末であった。
ごめんなさい。
その初恋の人、多分、僕だ。
「フ。すごく残念でしょう? それでも、あの子が作ってくれたティラミスの味だけは忘れられない。忘れたくない。だから今でも落ち込んだらティラミスを食べるのが私の数少ない習慣。あの子との大切な思い出を思い返せるから」
お願いだからその銀髪の男の子が僕でありませんように、と僕は心の中で祈りつつ、僕は苦笑いをしながらティラミスを口の中に運び、食べ終えた。
当然というべきか、緊張の余り、美味しかった筈のティラミスの味は全く感じられなくなっていた。
「フ。金が取れるぐらい感動したでしょう? であれば、今日の夕食のデザートにティラミスを作ってくれると嬉しい」
「……実は僕、ティラミスを作ったことが無くてですね……?」
「フ。それは残念。あぁ悲しい。落ち込んだ所為でティラミスを食べる手が止まらないわ」
拝啓、天国の
僕と貴女の昔馴染みと再会してしまった所為で、元々ヤバい僕の生活が更にヤバくなりそうです。
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