嘘つきと、噓つきと、噓つきの、晩餐会(1/3)

「――よし。アレの下準備は終わらせた事だし、豚小間肉と春キャベツに取り掛かりますか」


 百合園女学園第1寮、椿館のキッチンを初めて利用した僕は調味料や調理機材を自分の手に届きやすくする為の整理を並行しつつ、空いた時間で軽くを作り上げた僕は今日買ったばかりの食材である豚肉と春キャベツを台所の上に並べ、ついでに緩んでいたエプロンの紐をきつく結び直した。


「……にしても、やっぱり髪の毛が鬱陶しいなぁ」


 認めたくないとはいえ、僕の見た目は完全に女子である。

 だがしかし、それでも僕は男であるので、女性の肉体とは違った箇所がたくさんある。


 なので、僕は予め演劇で使うようなシリコン製の増胸パットを胸部に直接貼り付けたり、髪はウィッグではなく自前で少し伸ばしていたりなどと言った努力を行っている。


 基本的に髪型は美容院で整えたし、姉の髪の手入れをしていた時期もあったのでそっち方面の知識も、髪質も女子に負けない程度にはあるつもりだけど、やはり男子だとバレないように若干長めに伸ばしていた髪は鬱陶しい。


 ミディアムヘア、あるいはセミロングヘアに整えた自分の髪は具材を切ろうと集中したら前髪が顔にかかるのが非常に億劫で――。


「フ。宜しければ私の紙紐でも使う? 安心して。新品だから。絶対に新品だから。本当に新品だから。安心して使って新品だから」


 そんなこんなで考え事に耽っていたら、いきなり背後からの髪紐使えコールを掛けてきた存在がいた。


 今、包丁を持っていたら自分の指を切ってしまうぐらいに驚いていただろうな、と冷や汗を流しつつも、この人は僕が包丁を持っているかどうかを自分の目で見てから声を掛けるか掛けないかの判断が出来る人だろうと1人で納得した。


「下冷泉先輩、寮のお引越しの準備はもう済んだんですか?」


 背後にいたのは僕が女装生活をする上での最大最悪の障害とも呼ぶべき存在、下冷泉霧香その人であり、制服姿の彼女の手の平には赤色の髪紐があった。


「フ。終わったわ。前に住んでた家もあるからここは一種の中間地点のようなもの。私物を持ち込む必要性もないからそこまで時間はかからなかった」


「御趣味とかないんですか?」


「唯お姉様のストーキング」


「暇人かつ最低っていよいよ本当に救いようがないですね」


 今日、入寮を即断した割には余りにも速すぎる引っ越しであった。

 確かに僕と彼女が業務用スーパーで買い物をしている間に下冷泉家に雇われた人たちが彼女の荷物を持ち込んでいたというので、そう考えれば速すぎる訳でもないのかもしれないが。


「そんな私の事よりも髪紐。使うの? 使わないの? 当分は使わなさそうになかったから誰かに押し売りできないかどうか探していた所だった。なので受け取って貰えると私が嬉しい」


「先輩がその髪紐に細工をしていなければ遠慮なく使わせて頂きます」


「フ。細工だなんてまさか。予め、位置情報を特定する機材を埋め込んであるとか、唯お姉様を想像してペロペロと舐めまわした使用済みだとか、私の髪の毛で編んで作った百合百合しい髪紐だとか、一度自分の体内に入れておいて熟成させた髪紐だとか、そういう細工は一切してないから安心して。100%安心で100%安全で100%信頼しても大丈夫。フ。フフ。フフフ」


「あはは、安心できない内容を列挙しておいてから、安心しろと言いつつ髪紐を渡そうとする心理が本当に理解できません」


「フ。唯お姉様の笑顔から出される毒舌は本当にゾクゾクする。素敵」


 僕にそんな言葉を言われて本当に嬉しいのか、下冷泉霧香は自身の両手で己を抱きかかえて震えており、そんな彼女の表情は若干赤らんでいて非常に気色が悪かったが、彼女はどうしようもない変人だという事は承知の上だし、見た目だけなら100点以上の女性なものだから非常に質が悪い事この上ない。


「でも、女性からの贈り物に警戒心を持つのは大事。……よくいるのよ、贈り物にそういうのをしてくる女子生徒。酷い時には画鋲がびょうをたくさん仕込んだだけの物を送り付ける輩がいるし」


「え。画鋲ってあのトゲの? そんな漫画みたいな話があるんですか」


「逆に無いと思っていてびっくり。まぁ、私は下冷泉という家名に守られたからそういうのは少なかったけど、偶にいるのよね。下冷泉家は古くて歴史があるだけの家だって思い込んでいる無学で可愛いお嬢様が」


「ちなみに聞きますが、その浅学非才なお嬢様はお元気で?」


「フ。知らない。5年前ぐらいに親の都合でいきなり自主退学したもの。噂だと何でも親の会社が急に経営難になって百合園女学園に通える学費が捻出できなくなったみたいだけど……フ。所詮は噂よ、噂」


 怖いなぁ、お嬢様。

 怖いなぁ、下冷泉家。


 だがしかし、僕の目の前にいる下冷泉霧香は手段としてそういう事も出来る人間なのは確かな事実であろう。

 

 彼女が許しても、彼女の家が許さないという事も当然ある訳で、そう考えるのであれば僕の女装が超がつくほどのお嬢様学校に大事な娘を通わせている親御さんにバレてしまえば『男が我が娘に近づくとか死にたいらしいな?』だなんていう死刑宣告を一方的にさせられた挙句、東京湾に沈められても何らおかしくないのだ。


「という訳で、はい、髪紐」


「わぁ! 今の話を聞いたら受け取るしか出来ませんし、流れ的にも今すぐ結べって言われますよね!」


「フ。唯お姉様は理解が早くて助かる。フフフ……私と唯お姉様との赤い糸……! フ。たまらない。本当は首輪にしたかったけれど私は清い乙女なので赤い糸あたりで妥協する」


「随分と気色悪い赤い糸ですね。切っていいですか?」


「フ。そんな事されたら泣くから本当に止めて」


 そんなやり取りを挟みつつ、僕は彼女から朱色の髪紐を受け取って短くも長くもない髪を1束にまとめた。


 僕はあまり女物の髪紐に詳しくはないけれども、そんな素人でも分かるぐらいには彼女がプレゼントしてくれた髪紐は高級品の予感が何となくした……というかこれ絶対に高級品だ。


 成人式やら卒業式やら結婚式などと言ったお披露目の場で着用するような着物の帯につけるような飾り紐のような髪紐の両端には、紐で結んで出来たお花と、煌びやかすぎない程度の宝石のビーズがついてあったし、紐自体も中々に丈夫であった。


「……良い材質の髪紐ですね、これ」


「フ。なら良かった。私もミニなポニーテール姿の唯お姉様を見れて眼福。幸せ」


 彼女を幸せにしてしまったという事実に少しだけの悔しさみたいな感情が膨れつつあるが、それでも料理中に髪の毛で鬱陶しくなる気持ちから解放されると思うととても喜ばしい気持ちの方が勝ってしまう。


 悔しい。

 下冷泉霧香に喜びという感情を与えられてしまって僕はとても悔しい。


「よし、じゃあ私にも料理のお手伝いをさせて」


「……え? 先輩が? 料理?」


「フ。これでも一応は料理の心得はあるから大丈夫。和食なら唯お姉様より上手く作れる自信がある」


 ここで和食が作れると自信満々に口にする事から、彼女は下冷泉家に和食についてのいろはを叩きこまれていたのだろうか。


 とはいえ、まさか下冷泉霧香が料理を作れる人間だとは思わなかった僕は却って、先にを作り終えていて本当に良かったと心の底から安堵していた。


「でも僕は一応ここの寮母ですし、料理を作るのは僕の仕事のようなものですからどうかお気遣いなく」


「……困った。それを言われるとどうにも言えない。確かに人の仕事を奪うのは駄目ね。でも、何か手伝いできる事があるようなら遠慮なく言って」


 先ほどから意外の連続が続く。

 まさか下冷泉霧香がプレゼントをするどころか、料理の手伝いをすると言い出し、更にはそれに断られても素直に引き下がるという一連の出来事は彼女の人となりでは全く想像が出来なかったものだから、彼女は案外気遣い上手なのかもしれない……変人で変態だけど。


「じゃあ、そこの冷蔵庫を開けないと約束できるのならいてもいいですよ」


「冷蔵庫? 何か作ってるの?」


「えぇ、スイーツを冷やしていますので。下冷泉先輩は何もせずに隣で僕が料理するところでも見てくださいな」


「フ。何そのご褒美」


「違います。僕の料理スキルは先輩の協力を頂かなくても十二分に凄いと自慢したいだけなので」


「フ。では遠慮なく実況するわね――おっとぅ⁉ ここで唯お姉様が包丁を取り出したァ! 来るのか? 来るのか⁉ 来てしまうのかァ……⁉ 出たァァァ!!! 唯お姉様の魔法のような包丁さばきだァ! 世界の料理人たちよ、見てくれ! これが唯お姉様の華麗な包丁さばきだァァァ!!!」


 とてもうるさい。

 まな板の上で春キャベツと豚小間肉を食べやすい大きさにしようと包丁で切っていると、隣に立つお嬢様がマイクでも握っているかのような手つきで僕の調理風景を実況してきやがった。


「紹介が遅れました、私、菊宮唯お姉様の専属雌豚である下冷泉霧香です。これから先に出てくる豚肉と春キャベツやその他調味料は私と唯お姉様が買いました。そう! 私と! 唯お姉様が! 2人で! 買いました! これは新婚と言っても過言ではありません! という訳で新婚ラブラブな夫婦でも簡単に作れる簡単料理を唯お姉様が実演してくださいます!」


「誰が新婚ラブラブですか、この雌豚先輩」


 しかし、流石は演劇部部長にして学園一の演技派女優という評価を受けている下冷泉霧香だ。


 声だけはいい。

 まるで何かの料理番組で料理人とスタジオとギャラリーたちを囃し立てる実況者その人のようだ。


 いや、彼女の身体もいいのだが、中身が絶望的なまでに変態で変人であるという点さえ取り除けば、彼女は本当に完璧超人の領域にいよいよ踏み入れそうではある。

 

 とはいえ、彼女から変態性と変人性を取り払ってしまったらそれはそれで面白くなさそうではあるけれども。


「ここで唯お姉様が動いたァ! 3㎝幅に切った豚肉に片栗粉をまぶし、ざく切りにした春キャベツと一緒に耐熱ボウルに投入したァ! おっと⁉ ここで予め用意しておいた合わせ調味料らしきソースの登場だァ! 一体何が入っているのでしょうか……⁉ 我々実況班はその秘伝のたれの原材料を知るべく唯お姉様に突撃した……!」


「にんにくペーストに、砂糖と味噌に醤油、後は豆板醬トウバンジャンです」


「そんな調味料をごちゃ混ぜしたソースを投入し、ラップがボウルを覆う! そして相手のレンジに投入シュウゥゥゥ!!! 超! 美味しそう! 電子レンジ500Wで5分でタイマー開始した唯お姉様はこのまま静観に――入らない! 2品目に取り掛かっているゥ! まさかレンジが使えない5分の間に2品目を作る算段なのかァ⁉」

  

 何だろう、うるさいけど楽しくなってきた。

  

「豚バラの薄切り肉を広げ、塩コショウを振りかけたァ! 一体何をするつもりだァ⁉ 豚バラ、春キャベツ……! いや答えは最初からあったッッッ!!! まな板の上に敷いた豚バラの上に春キャベツが襲いかかるッ! 豚肉で春キャベツをぐるぐると簀巻すまきにして火炙りにするつもりだァァァ!!!」


 そして彼女の実況を聞く限り、彼女は案外料理が上手なのだろうなと何となく察した。


 豚バラ肉の状況と予め一口大にちぎっておいた春キャベツを出しただけで僕のやりたい事をすぐに理解できるのはそうそういないだろうし、僕が移動をしようと思った瞬間に下冷泉霧香は僕の進路からすぐに退避しているのが何よりの証拠だ。


 学校の調理実習とかで隣にいる人間が調理を覗き込もうとして、邪魔で邪魔で殺したくなる時があるのだけど、下冷泉霧香にはそれがない。


 いや、確かにうるさいことはうるさいのだが、それでも場所的な意味合いでの邪魔だけはしていなかった。


 これは常日頃から人が行きかう厨房で調理をしてきた人間ならではの特徴……あるいは周囲の状況をよく観察している人間だからこそ出来る小技であった。


「しかし! レンジは残り4分半! それまでに春キャベツを零さずに豚バラを巻きつけるだなんて――出来たァ! 何という事だ! 恐るべき速さで6本分の豚肉巻きを作り上げたァ! 勝ち時計は1分半足らずゥ! 素人にはとても真似できないような神業だァ! これは歴戦の主婦の貫禄っぷり! 唯お姉様、その凄技をするときに心掛けている事をお聞きしても⁉」


「春キャベツはふんわりと柔らかいので、豚肉で抑え込むようにして巻くとよいでしょう。後は慣れです」


「簡単そうに言うが、フライパンに油を投入して熱し温めるという並行作業をこなしながらの離れ業だァ! 巻き終えたと同時にフライパンはちょうどいい温度になってスタンバイ! 後はそのフライパンに豚肉巻きを静かに入れ、茶色の焼き色がつくまでじっくり加熱し――その一方で向こうのレンジの過熱が終わった! それを合図にするかのように弱火にして、少量の水を入れ、蓋をして蒸し焼きだァ! 無駄が一切ないぞ、流石だ唯お姉様ァ!」

 

「蒸し焼きを4分ぐらいしたら春キャベツの肉巻きの完成です。お好みでチーズを挟んで焼くのも良いでしょう。後はレンジの中のボウルを回収して粗熱で放置します。2分ぐらい経ったらごま油を入れて香り付けすれば、春キャベツの回鍋肉ホイコーローの完成です。お好みで玉ねぎなどといった野菜を入れるのも良いですが野菜の水分量だけには注意してください。とはいえ、それさえ気を付ければレンジで簡単に作れるので普通にオススメです」


 後は炊飯器の白飯が炊き上がるのを待つだけ。

 その間に冷蔵庫に入れておいたマイ出汁を取り出して、以前と同じ要領ですまし汁を適当に作り、並行しながら見切り品で安かったほうれん草で適当におひたしを作って、僕と下冷泉霧香の奇妙な調理風景は幕を閉じたのであった。

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