1章 ~ 下冷泉霧香編 ~

僕が勃起(♂)したらお嬢様が死ぬ

 姉が死んでから、1ヵ月が経過した。

 そんな最中、姉の遺品の整理と身の回りの片付けにお世話になっていたマンションの引き渡しを済ませた僕はとある場所に訪れていた。


 マンションを引き払った時には姉との数少ない思い出を手放しそうでやっぱりためらってしまいそうになったけれども……いつまでもあそこに居続けたところで死んだ姉を思い出してしまうので、正解だったと思う。


 だから、僕はあの日やってきたお嬢様である百合園茉奈が理事長代理を務めているという仕事場……即ち、超がつくほど有名なお嬢様学校である百合園女学園の理事長室に単身でやってきた。


「――理事長である兄の代わりとして言祝ことほごう。君の入学を祝福し、許可するよ、唯。私は嬉しい。とても嬉しい。何が嬉しいって君には私の純潔を奪ったという責任を取るつもりがあって、そんな素敵な人とこれから学園生活を送れるという事実が凄く嬉しい」


 アニメや漫画で見るような理事長室にあるような豪華絢爛な机に、まるで我が物顔で座っている金髪の少女がそこにいた。


 窓から入ってくる朝の光よりも眩しい笑顔で、とんでもない発言を口にした彼女  以前に会った時の彼女の姿は喪服を思わせるような黒いコートであったのだけれども、今の彼女はここ百合園女学園が指定する制服に袖を通しており、恩人であるという贔屓目なしでも彼女はとんでもないほどの美少女であった、が――。


「せ、責任って何ですかぁ……⁉ あれは貴女が勝手に勘違いしただけですよね⁉ それと純潔を奪われたのは僕の方ですよ⁉」


「黙らっしゃい。私は君のような見た目が美少女な男に汚された。この事実は未来永劫どうあれ変わらない。それから私の事は貴女ではなく、お嬢様あるいはご主人様、或いは理事長代理、もしくは妻と呼ぶように」


「つ、妻ぁ……⁉」


「何を豆鉄砲を喰らった鳩のような顔を浮かべている。私は君の異性の象徴たるアレを目の当たりにしてしまった。……その、ね? あの日以降、私はキミ以外の男の人と一緒にいるだとか全然考えられなくなっちゃって、唯のことしか考えられなくて……ではなく! 私を辱めた責任を取れ。これは命令だ、いいな?」


 寧ろ責任を取って貰いたいのはこっちの方であるのだが。


 だがしかし、こうしてお金持ちの彼女の傍で仕事を与えられる僕としては、何も言い返す事が出来なかったので、貞操観念がお堅い彼女の言う事に僕は従う事にした。


「うぅ……分かりました、お嬢様……」


「妻と呼んでくれなかったので君の給与から100万円を天引きしたい気分だが……まぁ、君は和奏の忘れ形見だし大目に見てやるとしよう」


 不敵そうなニマニマとした笑みを浮かべつつも、頬と耳が隠せないぐらいに赤くなっている偉そうなお嬢様であるが……彼女は偉そうではなく、実際に偉い。

 

 そんなお嬢様と僕は数日前に会ったばかりでそれほど面識があるという訳ではないのだが、仮に紹介するとしたら、僕の姉はお嬢様のお気に入りのメイドであるらしく、その縁が巡りに巡ってお嬢様は僕を専属メイドにしつつ、百合園女学園の女生徒と寮母としての職務を全うするようにと新しい学習環境と職場を紹介してくれたのだ。


 しかも、私立学園特有の多大な学費はゼロで、決して安くはない入寮料も無料。

 それどころか月単位でお給金をくれると言うのだから、まさに破格の待遇である。


 ――とはいえ、だ。


「ところで君は本当に男なのか? もしかしたら、あの日の事は夢だったりするのか? 随分とまぁ百合園女学園のが似合っているじゃないか、唯」


「僕は男ですよぅ……⁉ というか、何で僕がをしないといけないんですかぁ……⁉」


「何故って、そういう制服を着用しなくてはならないという決まりがあるからな。決まりなら仕方ないだろう?」


「決まりだったら、男の僕が女学園に入るのはおかしいに決まっているじゃないですかぁ……⁉」


「私から言わせると君は自称男の癖にそこらの女子生徒よりも女子らしいのがおかしいんだが?」


 からかうようにそう口にするお嬢様であるのだが、確かにこの格好で最寄りの駅からキャリーバックを引きながら学園までやってきたというのに、僕は数にして4回ほどのナンパに遭遇したたし、何なら駅の中で痴漢に襲われてまた犯罪者を警察に突き出した。


 おかしいだろう、例え女性の服を着ていたとしても僕は男だぞ⁉

 この世の人間の目は節穴なのか⁉

 いや、確かにまぁ僕の姿形は男らしいだなんてとても言えたものではないけれど!


「初めて君と会った時から思っていたが、君の声は変声期前の子供みたいに高いし、身体もちょっとどころじゃないレベルで華奢。しかも、肩も女性が羨むであろう撫肩だし、お尻は色っぽく膨らんでいる。これで男はちょっと無理があると思うんだ」

 

「男ですよ⁉ 入学する為に必要な書類に僕の個人情報がいっぱいあったじゃないですかぁ……⁉」


「いや、それは君が男性であるという前提を知っている人間としての忌憚なき意見だ。主観抜きで本音を言えばこのまま街に出歩いても女装だと絶対に疑われないとも。やっぱり君は男じゃなくて女なのでは?」


「お嬢様や世間がどう言おうとも僕は男ですよ⁉ 市役所や病院に行けばすぐにでも分かりますってば⁉」


「とはいえ、なぁ?」


 そう言いながら、疑念の目で制服姿に身を包んだ僕をじろじろと見つめてくるお嬢様であった。


「うちの制服がロングスカートで良かったな。チラリと見える黒タイツも、その黒タイツに覆われた脚も大変健康的で実に良い。うん、これなら君の突起物が学園生活中に勃起しても注目されなければバレそうにないな」 


「ぼっ……⁉ し、し、し、しませんよそんな事ぅ……⁉」


「頼むから男だとバレるような勃起だけはしないでくれよ? 君が勃起したら退学処分を下さねばならないし、私も社会的にも死ぬ」


「そんな心配をするぐらいなら最初からこんな真似をしないでくださいよぅ……⁉」


「ボレロ型の制服だから男性特有のボディラインが浮き彫りにならないか少し心配だったが問題はなさそうだ。というか腰が細すぎるし、くびれがエロいな君。これで突起物がついているだなんて生命の神秘さえ感じるな」


「ぅ……! うぅ……! じろじろと僕の下半身を見ないでくださいよぅ……! 拝まないでくださいよぅ……! 恥ずかしくて頭がおかしくなりますよぅ……!」


「安心しろ。私はキミの所為で頭がおかしくなっているからこれでお相子だ。全く、人の性癖を壊すだなんて、君は酷い人間だな」


「それは勝手に壊れたお嬢様が一方的に悪いだけじゃないですか⁉」


「絶対に許さんぞ、この性癖破壊テロリストめ」


「そんな事を僕に言われてもどうしようもないじゃないですかぁ……⁉」


「にしても男の子がスカートを穿いているというのに、全く違和感が仕事しないな」


「持ってくださいよ違和感⁉」


「持てるものか。鏡越しで自分の姿を見てみるといい。どこからどう見ても和奏にそっくりな美少女じゃないか」


 そう口にした彼女はどこかのお偉い様が印籠を差しかざすように手鏡を持つと、それの鏡面を僕の方に向けて、今の自分の姿をまざまざと見せつけてきたのであった。


 ――そこに写っていたのは死んだ姉によく似た自分の姿であった。


 一瞬だけ自分の事を姉と勘違いしてしまったのは、姉がよく着用していた百合園女学園が指定する紺色のボレロ型の制服に身を包んでいたからであった。


「今の君の背格好は在りし日の和奏を彷彿とさせるな。髪の色も和奏と同じだから、こうして見ると本当の姉妹のように思えてならないよ」


姉弟していです……! 姉妹じゃありませんよ……⁉」


「とはいえ、紺色の制服の色に映える髪色だ。うん、私は好きだな」


「それを言うのならお嬢様だって金髪が映えているじゃないですか。別にどうでもいいじゃないですか髪の色なんて」


「いいじゃないか、銀髪紅目。金髪碧眼の私と対を為すという絵面も良いし、まさに理想の主従関係じゃないか、なぁ?」


「よくありません。こんな髪の良さなんて、食事を作った時に自分の髪が料理の中に落ちているかいないかが分かりやすい程度ぐらいで全く使い物になりませんよ」


 僕の血の半分は海外の血が流れている。

 というのも、母方の祖先が北欧に住んでいたらしく、遺影に写っている母親の髪色は銀髪だった。


 同じように遺影に写っている父親の髪色は典型的な日本人の黒い髪であったのだが、僕も姉のどちらとも彼の髪色を遺伝する事はなかった。


 幼い時に両親を無くし、姉弟2人揃って奇抜な髪色をしていたものだから、周囲の視線というものにはもう懲り懲りだし、そんな視線で人にじろじろと見られるのも慣れてしまったのももう昔の話だ。


 姉弟揃って孤児を保護する為の施設に入れられた時は髪色で差別を受けないかどうかで心配した事もあったけれど、色々と複雑な家族問題を抱えている孤児たちは僕たちの特徴を『』で捉えてくれたので、案外充実した生活を営む事が出来た。


 僕の自慢とする料理の技術も施設の先生が教えてくれたので、その先生と一緒に施設の皆に手作りのお菓子を振る舞ったのも今では懐かしい記憶だし、よくイタリアのお菓子のティラミスとかを作っていた記憶がある。


「まぁ確かにな。周囲の髪の色が違うと色々と面倒なのは同意するよ。とはいえ、だ。銀髪紅目の美少女とか、君はどこのアニメやゲームの住人だ。ここ百合園女学園はそういうのが大好物な淑女共が蠢く魔境だというのに……あぁ、今にも君を慕うであろう女子生徒を想像すると胃が痛くなる」


「あはは、まさかそんな百合小説みたいな事が起こる訳がないじゃないですか」


「そうだな、普通の学園なら起こらないだろうな。だがここは小中高一貫どころか、保育園に幼稚園も利用できるお嬢様学校でね。そういう意味では世間一般の常識から保護されてきた魑魅魍魎が跋扈する異界そのものだとも」


 面白い冗談を仰るのですねお嬢様! 

 ……と、口にしたかったのだが、目の前にいる彼女の目は至って本気――即ち、マジであった。


 どれぐらいマジなのかと言うと、理事長の机の棚から胃腸薬と書かれたラベルの薬瓶を取り出して、数粒の錠剤を取り出して水を飲まずに口の中に流し込むぐらいにはマジであった。


「あの、ここ、お嬢様学校ですよね? 何ですかその説明? その説明だとまるでここがヤバい学校のように思えてならないんですけど? お嬢様の胃が痛い原因がここにいる素敵なお嬢様の所為だと思うと僕も胃が痛くなってくるんですけど?」


「良いことを教えてやろうか、唯。不祥事はな? 金で揉み消す事が出来やがるんだ」


 怖いなぁ、お嬢様学校。

 なんで僕はそんな魔境に女装をして乗り込む事になったのだろう。


「まぁ、0歳から18歳までかけて行われる情操教育のおかげかは他校に比べて少ないがね。なので、唯は本当に一般女子生徒相手でも気を引き締めて演技をするように。まぁ、今までの君の堂々たる女装っぷりを見る限り、経験者であらせられるようだから心配はしないが」


「分かりました、気をつけま――ちょっと待ってください⁉ 僕にそんな経験がある訳がないじゃないですか⁉」


「そうなのか? だが部屋に入ってくる時も、歩き方がまるで女子のソレだったぞ。現に今の君はまるで女性のような内股をしているじゃないか」


「それはおかしくないように歩き方とかを何度も必死に練習しましたから! バレたら社会的に死ぬのは僕の方なんですよ⁉」


「驚いた。なんだかんだ言いながら女装する気満々じゃないか、この変質者」


「変質者は僕をこの学園に入れようとするお嬢様の方だと思いますけど⁉ それに女子校に男の格好のまま入れる訳ないじゃないですかぁ……⁉」


「いや、教職員や業者の方々は普通に男性の格好だが」


「お嬢様学校なら男子禁制であって下さいよッ⁉」


「いささか非現実すぎないか、君の脳内の女学園とやらは――さて、無駄話もここまでにして早く私たちの教室に行こうじゃないか。君と私が同じ学年の同じクラスになれるように色々と便宜を図っておいた。君は安心して私に守られろ」


 金色の髪をたなびかせながら理事長の椅子から立ち上がった彼女はそんな格好いい言葉を口にしながら、直立不動になっている僕のすぐ傍までやってきて、僕に向けて綺麗な手を差し出した。


「朝のホームルームに行くぞ、唯。女装の心配なんてしなくていい。君は移動中に私の従者として恥ずかしくない転校生の挨拶の言葉だけを考えていろ」


 





「初めまして、僕の名前は……ではなく! 私。私の名前は菊宮唯です。よろしくお願いいたします」


 そんなやり取りから数分後。

 僕はお嬢様に案内されて、これからお世話になるであろう女子生徒だけしかいない教室にやってきて、簡単な自己紹介をした――のだが。


「御覧になられまして? ナマモノの僕っ子ですわよ。しかもただの僕っ子ではありませんわよ。普段は私という一人称で生活している類の絶滅危惧種の偽装僕っ子ですわよ。わたくしたちで大至急に保護しなければならなくてよ?」


「あのお方、私に挨拶をしてくださいましたから絶対に私の事が好きですわよ」


「は? 僕っ子? あのお方はわたくしをドキドキさせて心臓発作にさせて殺すつもりですの? わたくしの普通極まりない性癖を捻じ曲げるおつもりですの? 僕っ子銀髪お姉様とか属性モリモリすぎではなくて? なんなんですのよあの吊り目のラインから繰り出される優しくもエッッッッな双眸。あのお方はあの魔眼で一体何人もの人間の性癖をぶち壊しましたの? あんなの聖女じゃなくて魔女でしてよ? 制服と下着を剝がしたら全裸でしてよ? とんだド淫乱かつド変態ではありませんこと?」


「ァァァ恋に堕ちる音と性癖がぶっ壊れる音ォォォ」


「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!! 菊宮お姉様ァァァアアア!!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!! 素敵素敵素敵ィィィィィィィィィィイイイ!!!」


「はぇ~。すっげぇ美人ですわ~。菊宮お姉様を視界に入れるだけで清楚がドクドク作られる音を感じますわ~。たまらねぇですわ~。ぱっと見た感じ、菊宮お姉様の属性は受けですわね~。コミケのネタが出来ましたわ~。取り敢えず~。ん~。そうですわね~。『菊宮お姉様×茉奈お姉様』を軽く想像しましょうかしら~」


 簡単な自己紹介をしただけだというのに、僕がこれからお世話になる教室はお嬢様らしからぬ阿鼻叫喚で覆われた。


「えぇい! 君たちは歴史ある百合園女学園の女子生徒であり、淑女であるという自覚を持たないか⁉ 確かにあの編入生には人を狂わせてしまう魔性の気はあるが、アレは私の従者であり、私の所有物であり、私の大切な……あぁ、もうっ! だーかーらー! 私以外の女子がべたべたと唯にさーわーるーなー! 私だけのモノだぞそれー! 私の唯からはーなーれーろー!」


 先ほど僕を守ってやるとかっこよく口にしてくれた茉奈お嬢様だが、休み時間に転校生である僕に質問をしようとやってくる鬼気迫る女子生徒たちに阻まれた所為で全く近づけなかったようであり、お嬢様が僕を守ってくれる事は学校が終わるまでの間、ただの一度たりとも無かったのであった。

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