女は化け物。役者は魔物。下冷泉霧香は変態(1/2)
波乱しか想像できない人生初の女学園での学校生活は初日だったという事もあってか、クラス委員だとか簡単なクラスの役割の分担だとかそういうものを決める作業で終わった。
帰りのホームルームの際に先生から受けた説明によると、明日から学年ごとの新入生を祝する入学式があるらしく、小・中・高校生の1年生たちにそれぞれの入学式を執り行うとの事だ。
とはいえ、僕は高校2年生なので入学式には参加しないし、お嬢様は学校関係者ではあるけれどもその日には理事長がいるらしいから代理を務める必要性もないらしく、僕はお嬢様の案内で百合園女学園の近隣にある女子寮に足を運んでいたのであった。
「では改めて説明する。ここが私たちの寝床となる場所。百合園女学園の女子寮こと『
色々と訳ありの僕が今日から住むことになったこの寮の外装を一言で言うのであれば『洋館』。
それも金持ちの道楽で建てるような洋館ではなく、大体100年前の大正時代に建てられたというガチの洋館……という事を、徒歩で下校がてらこの寮の最高責任者である百合園茉奈から説明を受けていた。
「その『椿館』というのがこの女子寮の名前という事で宜しいんですかね?」
「お堅い名称がお望みなら百合園女学園第一寮でも構わないが。とはいえ、我が学園の生徒にわざわざ寮生活をしたがる変わり者は少ない。事前に説明した通り、この寮の利用者は私たちだけだ」
「こんなに立派な建物なのにそれはそれで勿体無いですね」
「当然だろう。家から離れて生活をしたいだけならそこら辺の高層マンションを借りればいい。わざわざ寮則に縛られたいだなんていう酔狂なお嬢様はいない」
「あぁ、なるほど納得です。だから女子寮なのに利用者がお嬢様1人だけだったんですね」
立派な建物と言えどもそれほど大きな建物ではなく、住んでいる寮生の数も目の前にいる彼女に僕を合わせての2人ぐらいしかいないとの事だったので、一つ屋根の下で僕の女装事情を知らない女子生徒に鉢合わせてしまうというハプニングだけは回避できそうであった。
「お嬢様のクラスメイトの皆さんからたくさん質問攻めをされてしまった所為でクタクタですよ……」
「全くだ。まさかこの私が近づくことすら叶わないほどの人数の野次馬たちに囲まれるだなんてな。だが、ここはひとまず、おめでとうと言うべきだろうね? 嬉しい事に君に対して違和感というモノを覚えた女子生徒は今のところいないのだから」
「それはそれで本ッ当に複雑な気持ちになりますね……」
「幸先が良いのは良い事じゃないか、えぇ?」
ニマニマとした意地の悪い笑みで僕を見てくる百合園茉奈お嬢様であるけれど――彼女は僕の秘密を知っている。
というのも、とても外では言えない内容ではあるのだけど、僕は男だ。
女装をしながら学園生活をするという事は常日頃から女装の意識をしないといけないという訳であり、そんな状態でありながら心身とも休めていなかった所為で精神的な疲労が積み重なってしまっていつの日かボロを出してしまうだなんて、考えるだけでも最悪でしかない。
そういう意味においては、利用者が僕とお嬢様の2人しかいないこの女子寮は――皮肉にも女子寮だというのに――男の僕にとっては安息地とも言える場所であるのかもしれない。
「とはいえ、休日になれば私に会いに来る女子生徒もいるから気を付けるように。宿泊施設は整っているから女子会のノリでここに泊まりに来る女子生徒が1人だけいてな」
「わぁ、それは楽しそうですね。その方はお嬢様のご友人ですか?」
「変態だ」
即答だった。
まさか、そんな安息地になるであろう場所に変態が来襲してくるだなんて聞いていないですよ茉奈お嬢様。
「……うぅ、胃が痛くなってきた……」
いつも毅然とした態度を取ることが多い彼女にしては珍しく歯切れの悪い言葉を口にしては、ポケットの内側に入れていたのであろうガラス瓶を取り出してみせた。
一瞬だけ視界に入ったその瓶に貼り付けられているラベルを見るにどうやら胃腸薬らしく、今朝の理事長室で見た胃腸薬と同じ銘柄であった。
「今朝も思いましたけど、お水は飲まないんですか? 駄目ですよ。お水も一緒に飲まないと胃潰瘍になったりしますから、ちゃんと飲まないと」
「もう慣れたよ。いや、本当はこんなものは飲みたくはないんだが。ヤツに出会うと思うと胃がキリキリしてきて仕方がない」
「意外です。お嬢様はいつも自信満々な方でいらっしゃると思っておりましたので。まさかそんなお嬢様に苦手とする相手がいるだなんて」
「他人事だと思っているな? よし、予言してやろう。唯にとっても一番の驚異になる事は間違いない人物になるだろう」
「一番の驚異、ですか?」
「うん。というのも、あの先輩は我が学園の中でも一番の――うわぁ、いる……」
本当に嫌な人物に出会ってしまった時の声と、苦虫を嚙み潰したかのような苦そうな表情を浮かべた彼女の視線の先……椿館なる女子寮の扉の前に百合園女学園の制服を身にまとっている人影がいたのである。
「……っ!」
女性である百合園茉奈にいくら女装が様になっていると言われても、僕が女装をしている事情を知らない人間とこうして遭遇してしまうのはどうしても慣れない。
一応、念のため人目があるだろうからと女装の演技をし続けていて良かったと心の底から安堵しつつも、それでも自分の正体がバレてしまうのではないのかと思うと心臓がバクバクと稼働する音がとてもうるさくて、こうして頭の中で考え事が出来るだけでも奇跡にしか思えなかった。
「お嬢様。寮の前に立たれているあの方は御知り合いですか? それとも会話の中に登場した先輩とやらですか?」
水分という水分が無くなってカラカラに乾いた喉に涎を流しつつ、僕は努めて平静を装いながら、横にいる茉奈に質問を投げかけた。
「その両方! あの女の名前は
「ちょ、それって……⁉」
その人物は下手すれば、僕の女装を看破するかもしれない超がつくほどの危険人物って事じゃないか⁉
だって、演劇部と言えば当然ながら演技をする部活であり、その演技をどれだけリアルに見せられるかどうかで日々精進するような部活であって……僕のような女装経験弱者がするような演技なんて簡単に見破られてしまうのではないのだろうか⁉
いや流石に初見の人の嘘をいきなり見破るだなんて真似はとても出来ないだろうけれど、それでも普通に生きている人間と比べて僕の女装という嘘を見破る可能性が高くないだなんて、果たして断言できるだろうか……⁉
そんな意図を孕んだ僕の視線を受けた茉奈にも、どうやら言葉に出さずとも僕の懸念は伝わったようで、彼女はとても深刻そうな表情を浮かべてはこくこくと何度も頷いていたのであった。
「いくら演劇部部長と言えどもそんな都合の良い、いや、悪すぎる展開は流石にないと断言してくれませんか茉奈お嬢様……⁉」
「苗字だけでも何となく分かるだろう……⁉ 下冷泉家は日本の旧華族! しかも、アレは演劇だけでなく茶道だとか華道だとか日本古来の文化を嗜んでいるものだから陶芸品だとか芸術品だとかを見る目も備わっている! 本物だとか偽物だとか、そういうのはすぐ看破するような女で性格は最悪極まりない……!」
「何その聞いているだけで僕を殺しにかかってくる設定だらけの人……⁉ なんでそんな凄すぎる人が女子寮の前にいらっしゃるんですかぁ……⁉」
「そんなの私が知る訳ないだろう⁉ そもそも、だ! アレの考える事が分かって溜まるか! もう二度と寮に来るなって何度も釘を刺したのに何度も来るようなヤツだぞ! どうしてアレは私の話を聞いてくれないんだ! 私の胃に穴でも開けたいのか⁉」
「ちょっ⁉ お嬢様、声が大きいですよ……⁉ 折角、遠目から危険人物を発見した訳なんですから、ここは慌てず騒がず落ち着いて退却するべきですよ……!」
僕の指摘で自身の声のボリュームが大きい事に気づけたのであろう彼女は若干恥ずかしそうに赤面をしては、こほんと可愛らしい咳払いをしてみせた――のだが。
「――フ。御機嫌よう、百合園茉奈さん」
僕たちのやり取りに気がついたのであろう件の人物が余裕たっぷりな薄笑いを浮かべながら近づいてきた。
濡れた
透き通るような白い肌に、遠目から見ても分かるぐらいの大きな
モデルのように細身ですらりと伸びた細い手足。
細く整った鼻梁と、芸術品を思わせる顔の輪郭線。
上品さと初々しさを連想させる桜色の薄い唇。
色白なことも相まって、いかにもな深窓の令嬢といった雰囲気。
そして、どんな嘘すらも見透かされそうになってしまいそうなほどに深く、夜を思わせるような深い色をした黒色の瞳。
だけど――どうしてだろう?
「……?」
この人と僕は、遠い昔に出会った事があるような――そんな錯覚を覚えた。
一体どこで会ったのだろうかと、自分の頭の中にある記憶を呼び起こそうと彼女の顔をまじまじと見つめてみたのだけど、やはり錯覚は錯覚だった。
どれだけ頭を捻って記憶を整理しても、僕なんかに黒髪の彼女のような大金持ちのあんな美人と交流を持った記憶なんてなかった。
「御機嫌よう、下冷泉先輩。早速で悪いが消えてくれ」
とても目上の存在に対して言うような内容ではないなと思ったのだけども、当の本人は寧ろとっても嬉しそうな表情を浮かべてさえいた。
「あら不躾で他人行儀。……フ。そういうのとっても大好き」
無敵の笑みとは、正しく今の彼女が浮かべているものであるのだろう。
それに対して、茉奈お嬢様は怒りかあるいは苛つきの感情によるものか、ぴくぴくと口端を動かしていた。
僕のお嬢様はクールそうに見えて、案外感情的というか、ついつい素を出してしまいがちである。
とはいえ、僕はお嬢様と違って、演技自体がバレてしまえばその場で社会的に終了してしまうという事情がある訳なのだけど。
「そうか。私は大嫌いだ。すっごく大嫌いだ。特に先輩が大ッ嫌いだ」
「私はそういう茉奈さんがとっても大好き。ところで茉奈さんは丁度帰ったところ? それとも今から逃げるところ? 宜しければ私も一緒について行って――」
ついて行っていいか。
そんな言葉を発するつもり筈だった彼女はまるで信じられないモノでも視たかのように、黒曜石を思わせるような宝石のように綺麗な目でこちらをまじまじと見つめてきた。
「――そちらの方は? 茉奈さんのお知り合い?」
「今日からこの女子寮を利用する事になった2年生の菊宮唯さんだ。私は彼女に寮の施設の案内をしなくてはいけないから先輩に構う時間なんて微塵もない。それではこれで失礼する」
未だに気持ちを上手く切り替えられない僕とは違って、彼女は極めて事務的で冷淡な態度を取り続ける事で乗り切る方針に切り替えたようである。
実際、じろじろと僕を覗き込んでくる下冷泉霧香の視線から僕を守るように、茉奈は一学年上の先輩である彼女と僕の間に堂々と立ってくれていた。
いや、男なら普通に考えて逆なんじゃないのだろうかと薄々思ってしまうのだけど、そもそも今の僕は女子である訳なのだからそういうのを考える必要はないのではと思いつつも、やはり胸の中がモヤモヤするといいますか、何と言いますか。
「――菊宮、唯。……ねぇ、茉奈さん。案内の途中なのは承知の上だけど、彼女と少しだけ話をしてもいいかしら?」
危険人物である下冷泉霧香が僕の事を『彼女』と言ってくれた事で、僕と茉奈の間に張り巡らされていた緊張の糸がほんの少しだけ緩み、全く同じタイミングで安堵のため息を吐き出した。
「だから、私たちは忙しいと言っただろう」
「本当に少しだけの時間でいいから。別に取って食うつもりなんてないのだから、そこまで警戒しなくてもいいじゃない。まぁ、確かにとっても可愛らしい女の子ではあるけれど、ね? お願い。本当にお願い」
先輩は優しい笑みを浮かべながらそう口にするが、茉奈は彼女に対して楽しい思い出が無い為なのか、下冷泉霧香に対する態度が軟化する事は無かった。
一体全体、どうしてお嬢様は彼女を一方的に嫌っているのだろうか。
こうして話をしている分には、あの先輩には不思議な雰囲気……というよりもカリスマだとかオーラのような近づきがたい雰囲気があるけれども、それでもこうして彼女たちの会話を聞く分にはこれといった不愉快な気持ちに陥る事はないのだけど。
「まぁまぁ。茉奈お嬢様、本当に少しぐらいなら下冷泉先輩と立ち話をしてもいいではありませんか。始めてお会いする先輩方に挨拶が出来ないままだなんて、流石に失礼だと思いますよ?」
僕がそんな言葉を発するのと同時に下冷泉先輩は目をキラキラとさせて、本当に嬉しそうな表情を浮かべてみせた。
そんな先輩と反して、無言で抗議の視線を向けてくる茉奈お嬢様であるけれども、逆にこういう態度を取り続ける事で演劇部部長である彼女に疑惑を浮かばせるのも頂けないし、そもそも僕を女であるという錯覚を植え付けるのは大事な事である。
僕とお嬢様の目的は僕の女装がバレないことであって、江戸時代の日本がやった鎖国のようにどんな人間であろうとも関係性を築かないという訳ではない。
寧ろ、ここで彼女に僕が女性であるという思い込みを更に強固なものにする事で、僕が平穏な日常を手に入れる為の未来の投資と思えば安いぐらいだろう。
――そう、思っていた。
「結婚しましょう。妊娠してくれませんか、唯お姉様」
「……は?」
「一目惚れした。大好き。見た目がすっごく性癖にストライク。妊娠して。私の子供を産んで。そしてお姉様の顔面にそっくりな男の子を産んで近親相姦させて3Pするわよ、唯お姉様」
「…………は?」
「は行から始まる返事の言葉の『はい』ね。両思いね、嬉しいわね、当然ね。それでは早速
「………………はぁ⁉」
この人、アレだ⁉
ただの変人だ――⁉
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