俺達の顧問は慈愛が過ぎる。
7月14日。金曜日。
俺の家での泊まり込み練習を開始してからあっという間に1ヶ月弱が過ぎた。月、水、金曜日はアルバイト。火、木曜日は部室で練習。土、日曜日は俺の家での泊まり込み練習という、休む暇のない予定がギュウギュウに詰め込まれたスケジュールを続けてきたのだ。
特に、先週の1週間はハードであった。それまでは個別での練習をしていたが、先週からは3人揃っての演奏練習を開始したのだ。
これが想像以上に難しかった。コードの弾き間違い。タイミングがズレる。歌詞が飛ぶ。
それら全てのミスを1週間かけてみっちり練習して、なんとか完成形まで持っていくことができた。
そんなこんなで訪れた合同ライブの前日の今日。学校では1学期終業式が行われた。加えて言えば、
俺と
「あら。2人とも予定通りに来たみたいね」
「あっ。2人ともバイトお疲れ様です!」
紗里奈が警察官のような敬礼をして俺達を迎える。
「紗里奈もお疲れ様。運ぶ準備はできているか?」
「はい! 大丈夫です」
「菜生ちゃん。車の準備ありがとう」
「いいのよ。今まで練習の時に顔を出さなかったんだから、今日ぐらいは顧問らしいことしてあげないと」
部室には、俺のエレキギターや美月先輩のベース、紗里奈のドラム、その他エフェクターやケーブルなどの機材が、ケースに入れた状態で置かれている。ライブハウスに楽器を持っていくために、今日のうちに天野先生の車に載せておくのだ。
「それじゃあ、運んで行くぞ」
美月先輩の指示通りに機材を運んでいく。幸い、天野先生の車は大きめなファミリーカーだったので問題なく載せられそうだ。車と部室を往復して、少しずつ機材を載せていく。
すると、車に向かうタイミングで天野先生と一緒になった。
「あら、えっと……片寄不純太くんで合ってましたっけ?」
「純太です! 美月先輩の仕業か」
「ふふっ、冗談よ。さぁ。あともう少し頑張りましょう」
そう言って、大人らしい落ち着いた笑顔で機材を運んで行く。
先生の立場で生徒に対して「不純」という冗談を言うのはいかがなものかと思うが。まぁ、その件はわざわざ口に出す必要はないだろう。
「……」
「……」
一緒に歩きながらの無言の時間が続く。
天野先生と関わったことが少ないので、無言になってしまうのも仕方ないのかもしれない。ただ、これから顧問としてお世話になる人と、多少なりとも関わりは持つべきなのではないだろうか。
そんなことを考えていると、天野先生の方から話しだした。
「ほんと、片寄くん達が入部してきてくれて良かったわ」
「天野先生からすれば、入部しないほうが映画を見る時間が増えてありがたいんじゃないんですか?」
「それはそうね」
「認めちゃうんですね」
「でも、本当に良かったとも思ってるわよ。黒瀬さんが嬉しそうにしてる姿を見れたから」
「え?」
天野先生が星空を見ながら微笑んでいる。満足げな笑顔だ。
俺は天野先生が言っている意味をあまり理解できなかった。
「それって、どういう意味ですか?」
「言葉のままの意味よ。だって、あなた達が入部するまで、黒瀬さんはずっと1人だったのよ。寂しいに決まってるじゃない」
「あの人が『寂しい』とかいう感情を持ってるとは思えませんけどね」
なにせ、部活勧誘の際に着ぐるみを着て踊っていたような人物だ。寂しさなんて吹っ飛ばしてギターやベースを弾いていたに違いない。そう思えるくらいに、寂しがっている様子が想像できない。
すると、天野先生が目を細めた。
「コラ! 黒瀬さんは女の子なのよ。女の子はみんな繊細なんだから、そういう事は言わないの」
「……すみません」
怒られてしまった。ただ、あの人が繊細だとはとても思えない。
「もぉ」と困り顔をしてから、天野先生は前を向いた。
「私はね、去年の1年間で何度も見てきたのよ。黒瀬さんがあの部室で1人で練習している姿を。可哀想だと思わない? あんなに部室は広いのに、使っているのは1人よ?」
そう言われて、俺はハッとした。
確かに、あの部室にはイスが1つしかなかった。机も1つしかなかった。余分なものが何もなかった。物が散らかってもいなかった。その部屋を使っていたのが1人だったから。
「だから、5月の初めに彼女があなた達の入部届を持ってきた時はとても嬉しかったわ。なにせ、彼女がそれまで見せたことないくらい笑顔だったもの」
その時を思い出しているのか、天野先生も幸せそうに微笑んでいる。本当に心の底から幸せを感じているかのような表情だった。
こうして話を聞いているうちに車に着いた。機材を載せる。載せ終えた所で、天野先生が俺の肩を掴んだ。
「片寄くん。明日の初ライブ。黒瀬さんのためにも絶対に成功させなさい」
真剣な眼差しがまっすぐに俺の目に注がれる。
俺は深く頷いた。
「分かりました」
話し終えた所で部室に戻った。
物が減った部室の中で美月先輩と紗里奈が待っていた。
「お待たせしました。全部、運び終わりました」
「純太。お前は1つ運び忘れているものがあるぞ」
「え? 本当ですか?」
「あぁ、本当だ」
美月先輩がうんうんと頷いている。
何を運び忘れたのだろうか。一応、確認しながら運んでいたつもりだったのだが。今、部室を見回してみてもそれらしき物はない。
「すみません。何を忘れてました?」
「それはな『やる気』だ!」
美月先輩が自慢気に胸を張った。いかにも上手いことを言ってのけたかのような、満足げな表情だ。
「……。美月先輩の言葉を素直に受け取った自分がバカでした」
「美月先輩、カッコいい!」
紗里奈が美月先輩に憧れの視線を送っている。今の会話のどこにカッコいいシーンがあったのだろうか。
「そういうことを紗里奈が言うから、美月先輩が調子に乗るんだよ!」
「そうだろう、そうだろう」
「言わんこっちゃない……」
こんな調子で明日のライブは大丈夫なのだろうか。
「では、明日に向けて円陣でも組んでおくか」
「やりましょう! 私、美月先輩の隣がいいです!」
そう言って、すぐさま美月先輩の右隣を紗里奈が占領する。誰にもこの場を取らせまいと必死の様子だ。
「ほら、純太も早く来い」
「……分かりました」
大人しく美月先輩の左隣に行く。そして、美月先輩と肩を組んだ。美月先輩の腕は折れてしまうのではないかと思うほど細く軽かった。やはり美月先輩は女子なのだ。
「菜生ちゃんも早く!」
「え? 私も混ぜてもらっていいの?」
俺達から離れた所で様子を見守っていた天野先生が驚きの声を上げた。
「菜生ちゃんが顧問としていてくれたから、今の軽音楽部があるんだ。円陣に入らなくて言い訳がない」
「菜生ちゃん! 私の左隣が空いてるよ!」
「天野先生。2人がこう言ってますし」
美月先輩に円陣に誘われたことがよほど嬉しかったのだろう。天野先生が普段の大人っぽい雰囲気が溶けるように、子供っぽい柔らかな笑顔を見せた。
「そこまで言われたら、入れさせてもらおうかしら」
そうして、ゆっくりと歩いてきて円陣に加わった。
美月先輩が俺達3人と目を合わせる。そうした所で、ニヤリと微笑んだ。
「さて、明日は私達にとっての初ライブだ。出番は9組中の4番手。ラストを飾れないのは残念だが、私達の演奏で他校の奴らの度肝を抜かそうではないか。明日はぶっ飛ばしていくぞっ!」
「「「「おーーーー!!!!」」」」
俺はこの時、軽音楽部の全員が初めて1つになれた気がした。
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