俺の部屋はハーレムが過ぎる。(3)
廊下に追い出された俺は硬い床で寝ていた。
ベッドと比べると明らかに寝づらさがある。ただ、長時間の練習のおかげか眠気は充分にあり、寝れないなんてことはなかった。
「……せくん」
どこからか声が聞こえる。これは夢だろうか。
すると、肩が大きく揺らされた。この感覚は夢ではない。現実だ。
「片寄くん」
「……ん? なんだ?」
目をこすって、重たいまぶたをなんとか上げる。
目の前には月明かりに照らされた天井がある。まだ朝ではないようだ。
すると、視界の中にぴょこりと紗里奈の顔が入ってきた。
「片寄くん、起きた?」
「……なんだ、紗里奈か」
ため息を吐いて、再び目を閉じる。
「『なんだ』って酷くない? って、また寝ようとしないでよぉ」
紗里奈が再び体を揺すってきた。これではとてもじゃないが寝られない。仕方なく、俺は起き上がった。
「分かった、分かった。で、要件は?」
「これ」
そう言って、紗里奈がスマホを手渡した。
「なんでスマホ?」
「片寄くんに美月先輩と私が一緒に寝てる姿を撮って欲しくて」
「……」
「ねぇ、なんで黙ってるの? 寝ぼけてるの?」
「寝ぼけて黙ってるわけじゃないわっ! なんで俺が盗撮をしなくちゃいけないんだよ」
こんな深夜に何を言い出すかと思えば、とんだ変態行為を要求してきた。変態は夜に活動が活発になるのかもしれない。無駄な知識を得てしまった。
「ねぇ、お願い! どうしても美月先輩と寝ているツーショットが欲しいの」
紗里奈が手を合わせて懇願してきた。
「それって、美月先輩との距離を縮めるために必要なのか?」
「必要だよぉ。美月先輩に慣れるために家でじっくり鑑賞するんだから」
「慣れるって、何だよ?」
「今、一緒のベッドで寝てるんだけど、少し間を開けてるんだよね。それ以上近づくと私が本能的に美月先輩を襲っちゃうから」
「オオカミか」
「だから、ツーショットの写真を撮っておいて、少しずつ慣れていきたいの。ねぇ、お願い」
本来なら、こんなお願いはさっさと断るべきだ。ただ、このまま断り続ければ、紗里奈が駄々をこねて、いつまでも寝られなくなるのがオチだ。早く寝るためにも、さっさと面倒事は終わらせるべきだろう。
「……しょうがないな。じゃあ、スマホ貸して」
「やったぁ! じゃあお願いね」
紗里奈からスマホを受け取る。そして、息を潜めて静かに俺の部屋のドアを開ける。
毎日使っていたはずの俺の部屋からは、今までに嗅いだことのない匂いがしてきた。鼻の奥にスッと透き通っていくような爽やかさを感じる。これが女子の匂いというものなのか。
常夜灯が点いているおかげで部屋の様子も簡単に確認できる。どうやら美月先輩は寝ているようだ。
紗里奈を先頭に、足音を立てず静かにベッドまで近づく。
ベッドには美月先輩がスー、スーと、静かに寝息を立てて寝ている。体を丸めて寝ている姿が何だか子供っぽくて可愛らしい。時折、「んっ」と言いながら寝返りをうつのも色気を感じる。
今更に思い出したが、この人も黙っていれば普通の美少女なのだ。仮に、美月先輩の隣に寝ているとすれば、紗里奈でなくとも襲っていたかもしれない。
「じゃあ、お願いね」
紗里奈がそっとベッドに寝て美月先輩の方を見る。美月先輩は紗里奈に背中を向けるように寝ている。紗里奈は目を閉じて寝たフリをした。
俺はそっとスマホを構えて2人を画角に入れる。ピントを合わせて慎重にシャッターを押した。カシャッと音がした。だが、美月先輩が気づいた様子はない。かなり深い眠りについているようだ。
「どう?」
紗里奈に写真を見せる。紗里奈は不満げに首を傾げた。
「もう1回。もっと、美月先輩とくっついてる感じの写真が欲しい」
「んなこと言われてもな。紗里奈が頑張ってもう少し近づかないと」
「そっか」
紗里奈が納得して、モゾモゾと美月先輩の方へ近づいていく。すると、それに合わせるように美月先輩が寝返りをうった。
紗里奈の鼻先と美月先輩の唇が触れそうになる。紗里奈は驚いて目を見開いた。頬が暗い中でも分かるほど真っ赤になっている。だが、すぐに目をつぶって寝たフリをした。
俺は慌ててスマホを構えた。指を震わせながらシャッターを押す。幸い、写真はブレることなくキレイに撮ることができた。
「どう?」
紗里奈がスマホを受け取り、写真をじっくりと確認する。すると、起き上がっていきなり俺に抱きついてきた。
「ありがとう!」
小さな腕を背中に伸ばして、ぎゅっと力を込めてきた。俺はいきなりの出来事に何もできずにいた。
すると、俺の胸のあたりで顔をうずめていた紗里奈が俺の方を見てニコニコと笑った。夜中に現れた太陽のようでとても眩しい。
「ちょっ、ちょっと。抱きつくなって」
そう言うと、紗里奈はさっと俺から離れた。
「エヘヘ。嬉しかった?」
「嬉しくないわ!」
「エヘヘ。でも、本当にありがとう」
「まったく、迷惑なお願いだ。俺はさっさと寝るからな」
「うん。おやすみ」
紗里奈が小さく手を振った。
俺は、はいはいと軽くあしらって部屋を静かに出ていった。そして、再び廊下で体を横にした。眠気はある。どうせすぐに寝れるだろう。
そう思っていた。だが、何故か眠れなかった。心臓がバクバクと激しく音を鳴らしていて、少しも落ち着けないのだ。
「……なんでこんなに寝れないんだよ」
普段から一緒にいたはずなのに。彼女の性格は知っているはずなのに。突然の出来事に俺の体は正直な反応をしていたのだ。落ち着くのをゆっくりと待ってから、俺は再び目を瞑った。
*
「……た」
どこからか声が聞こえる。これは夢だろうか。ん? 少し前にも同じようなことがあった気がする。
すると、肩が大きく揺らされた。この感覚は夢ではない。現実だ。
「純太」
「……ん? またか」
目をこすって、重たいまぶたをなんとか上げる。すると、目の前にいた美月先輩と目があった。長い綺麗な黒髪を垂らして俺を見下ろしている。毛先が俺の頬に触れて少しくすぐったい。
廊下が暗いので、まだ朝ではないようだ。
「おぉ、起きたか。って、『またか』とはどういう意味だ?」
「こっちの話なんで気にしないでください。ものすごいデジャヴを感じただけなんで」
「ん? まぁ、いいか」
「それで、美月先輩は何か用ですか?」
「その、お手洗いに行きたいのだが」
「トイレですか。なら、階段を降りて、右に曲がった所にありますよ」
「そ、そうか……」
そう言って、美月先輩は階段の方を見た。だが、全く動こうとしない。そして、どこか気まずそうにこちらを見た。
「よ、よし。純太。トイレまで私を案内しろ!」
「え? だからその階段を降りればすぐですよ」
「だ、だから……」
そうして黙り込んだ。
美月先輩の様子が明らかにおかしい。
よくよく考えてみれば、美月先輩はこの家のトイレの位置を知っているはずだ。家に来た時点で俺が部屋の案内をしたからだ。それに、練習中にもトイレに何度か行っていたはずだ。
何を企んでいるのだろうか。まさか、トイレに行くまでの階段でトラップでも仕掛けているのか。怪しすぎる。
「イヤですよ。俺は寝ますからね」
「純太! こ、これは部長命令だ! 早く案内しろ!」
「紗里奈に案内を頼めばいいじゃないですか」
「そ、それは……恥ずかしいと言うか……」
珍しく美月先輩が動揺している。まさか、寝ている間に紗里奈に襲われたのだろうか。……いや流石にないか。
美月先輩の様子は明らかにおかしい。ただ、ここでいつまでもウダウダとしていては寝ることができない。
俺は諦めて起き上がった。
「……分かりましたよ。じゃあ行きますよ」
「……あぁ」
今にも消えてしまいそうな弱々しい返事だ。美月先輩らしくない。
一応、トラップなどが仕掛けられてないかと警戒しながら階段を降りていく。だが、特になにかが起こることもなくトイレに到着した。トイレの電気をつけて、ドアを開けておく。
「それじゃあ、ごゆっくり」
「ま、待て!」
この場を去ろうとした俺を美月先輩が呼び止める。その声には何故か緊張感がある。
「なんですか?」
「そ、その、私が出てくるまでここにいろ」
「イヤですよ。眠いんですから」
「だ、ダメだ。もし戻ろうとしたら、あの写真を職員室でばら撒くぞ」
「脅しのレベルが高すぎる! ……はぁ。わかりましたよ」
「よ、よし」
何故か意を決したような表情の美月先輩がトイレに入ろうとする。
とここで俺は気づいた。美月先輩の様子がおかしい原因に。
「美月先輩。もしかして、オバケ怖いんですか?」
「……っ!」
美月先輩の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。どうやら当たっているようだ。
「う、うるさいっ!」
そう言って、勢いよくドアを閉めた。
「ハッハッハッ!」
思わず笑ってしまう。普段は強気で男勝りの美月先輩にそんな弱点があったとは。
「わ、笑うな!」
「ご、ごめんなさい。でも面白くって」
「それ以上笑ったら、明日の練習量2倍にするぞ」
「それなら、今すぐこの場からいなくなりますよ」
「それはダメだ! わ、分かった。練習量は変えないから……」
こんなにもあっさり美月先輩に口喧嘩で勝ってしまうなんて。ドアの向こうにいるのは本当に美月先輩なのかと疑わしくなってしまう。
「……純太」
「はい」
「……純太」
「はい」
「……純太」
「だからなんですか!」
「こうしないと、純太がいるかどうか分からないだろう」
「はぁ……」
そんなこんなで美月先輩がトイレから出てきた。特に話すこともなく、美月先輩を後ろにつけて階段を上がる。
「それじゃあ俺、寝ますからね」
廊下にバタリと倒れ込むように横になる。ゆっくりと目を瞑る。
「あぁ。……純太」
まだなにか用があるのか。いい加減に寝かせてほしいのだが。イライラしつつも美月先輩の方を見る。
「だから何ですか!」
美月先輩は細い指で口元を隠すようにしながら俺のことを見ていた。だが、俺と目が合うとすぐに目をそらした。頬も僅かに赤く染まっているし、体を子どものように縮こまっている。まるで、恥ずかしがっているかのような態度だ。
一体何だというのだろうか。
すると、子猫の鳴き声のような甘さのある小声で話しだした。
「その、さっきはありがとう。おやすみなさい」
「あ、あぁ。おやすみなさい」
美月先輩が部屋に入っていった。そして、静かにドアが閉まった。
俺は目を瞑った。
これでようやく落ち着いて眠れる。……そう思ったのだが少しも眠れない。瞳の奥に美月先輩の最後の姿が焼き付いて少しも落ち着けないのだ。
そうして姿勢を変えつつ、どうにか寝ようと数分ほど試行錯誤している時だった。窓から光が差し込んできた。朝がやってきたのだ。
「ウソだろ……」
そんな独り言を吐きつつ、俺は光から目を背けるのだった。
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