同級生のウソは変態が過ぎる。(2)
6月2日。金曜日。
バイト終わりに俺は紗里奈の住むアパートに来ていた。慣れた足取りで階段で3階まで上がる。既視感のある扉には「309」という数字。
数字を見て、1ヶ月前の紗里奈の本性を知ったあの日の記憶が蘇ってきた。せっかく女子の部屋に来たというのに、思わずため息が出る。美少女との関わりに興奮しときめいていた、過去の俺の純粋無垢な心を返して欲しい。
しかし、そんなことは叶うはずもない。
俺は諦めを込めてインターホンを押す。
すぐに扉が開き、中からひょっこりと紗里奈が顔を出した。
紗里奈は学校から帰ってから着替えたようだ。オーバーサイズのパーカーにショートパンツと非常にラフな服装だ。オーバーサイズのものを着ていると、小柄な紗里奈がより小柄に見える。
「待ってたよ。入って入って」
「お邪魔します」
なんの躊躇もなく部屋に入っていく。
「なっ……」
リビングに入ってみて驚かされた。部屋の壁の至る所に美月先輩が映された写真が貼られているのだ。
「紗里奈、この写真って」
「うん。私のお宝〜〜」
紗里奈がニコニコと嬉しそうに紹介している。ざっと部屋を見回す。
壁に貼り付けられた写真に、美月先輩のカメラ目線のものはない。つまり、これらは全て盗撮写真ということだ。
ただし、額縁に入れられている写真もいくつかある。それらはカメラに目線を向けていて、ピースサインをしていたり、ポーズをとっているものがある。部室とカラオケで撮っていたもののようだ。
「こんなの、前に来た時はなかったよな?」
「うん。前は私が美月先輩のこと好きだって知られたくなかったから、片寄くんが部屋に入る前に片付けてたの」
「あ〜〜」
そう言われて思い出した。確かに部屋に入る前に「片付けに手間取って」と言っていた気がする。
「って、そんなことは気にしなくていいから、座って座って」
「あぁ、うん」
諭されて、以前と同じように床に座る。
四方八方を写真に囲まれている状況を、気にしないなんてできるわけがないのだが。
「片寄くんって、コーヒー飲める?」
「飲めるよ」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
そう言って、紗里奈は台所で湯沸かし器のスイッチを入れた。お湯が沸くまでの間に、棚からピンク色とオレンジ色のマグカップを取り出した。水で軽く洗ってコーヒーを淹れる準備をしている。
「んーー」と声を出しながら背伸びをして、高い位置にある棚からインスタントコーヒーの袋を取り出した。上半身に対して下半身の露出が多いので、伸ばした生足に視線が自然と誘導される。
「ねぇ、どうかしたの?」
「い、いや別に」
慌てて視線を戻す。
「ふ〜〜ん」
紗里奈は疑問を含んだ目線を向けていた。だが、すぐにまぁいいやと気にしなくなった。誤魔化せたことに安堵する。
「なんでも1つだけ言うことを聞く」という約束がある以上、俺の視線はどうしても下の方へ向かってしまう。ただ、そう何度も誤魔化せるわけではない。視線には常に注意しなければ。
「おまたせ」
紗里奈はホットコーヒーを淹れたマグカップ2つを持って、俺の前のローテーブルに置いた。そして、俺とローテーブルを挟んで反対側に座る。
「いきなりだけどさ、良さそうな練習場所見つかった?」
「本当にいきなりだな。そんなの、簡単に見つかるわけ無いだろ」
「えぇ〜〜」
紗里奈が不満げに口をとがらせる。
「ことの元凶が文句を言うな!」
「だって、私ぜんぜんここら辺の土地勘知らないんだもん」
頬を膨らませて、ローテーブルにぐだーっと体を預けている。誰がどう見てもやる気がなさそうだ。
「ほんと、なんであんなウソついちゃったんだよ」
「だから、美月先輩にいいところ見せようと思っちゃったの」
「いいところって。ウソついてまで美月先輩に好かれたいのかよ」
「好かれたいよ。だって、好きなんだもん」
体勢はやる気がなさそうだが、目は真剣そのものだ。紗里奈は本気で美月先輩に好かれたいようだ。変態の思考は目に出やすいのかも知れない。
と、ここで俺はとある疑問を抱いた。
「そう言えば、どこでどうやって美月先輩を好きになったんだ?」
俺たちの住む群馬県の土地勘を紗里奈は持っていない。それは紗里奈が千葉県から移り住んで間もないからだ。千葉県にいた紗里奈が群馬県にいる美月先輩を好きになる。それまで、一体どのような経緯があったのだろうか。
「聞きたい?」
紗里奈が目線を上げて、俺の目を見てくる。
「いい練習場所を思いつくまで、暇つぶしとして聞きたい」
「そんなんなら話してあげない」
「じゃあ、めちゃくちゃ聞きたい」
「めちゃくちゃ聞きたいって? しょーがないなぁ」
紗里奈はすっと頭を上げた。自慢気に腕を組みながら胸を張っている。
美月先輩関連になれば紗里奈はチョロいようだ。
「それじゃあ特別に教えてあげましょう。私と美月先輩のロマンチックな出会いを」
紗里奈はほんの少しコーヒーを飲んでからゆっくりと話しだした。
*
私が美月先輩と初めて出会ったのは、暑さの厳しい去年の8月だった。
その日。私は洋服を買いに行くために1人で電車に乗っていた。
車内はなぜだか普段よりも明らかに混んでいた。派手な色合いのTシャツを着ていたり、派手な色合いのタオルを首にかけている人がたくさんいた。今考えてみれば、近くの大きな公園で行われる音楽フェスへ行く人達だったのだろう。
そのせいもあって、私はギュウギュウに押しつぶされながら乗る羽目になった。私が降りる駅は次の駅。少しの辛抱だと思っていた。
その時の私は、今日のようなショートパンツを履いていた。それが原因だったのかもしれない。
「……ぇ」
乗ってから数秒後。太ももからおしりにかけての妙な違和感に気づいた。ベタベタと触られているような感触があった。
最初はたまたまかと思った。ギュウギュウになるぐらいには混んでいるから、少しは触れてしまうのも仕方ないと思っていた。ただ、そう思っていた時だった。おしりをぎゅっと掴まれた。
その時、これが痴漢であると気づいた。
痴漢とはどんなものかを話だけは聞いたことがあった。でも、実際にされたのはこれが初めてだった。最初は助けを求めようとした。ただ、背後にいるのがどんな人なのかは分からない。それが怖くて声が出せなかった。
「……」
「……ァ……ハァ……」
背後から変に荒い鼻息が聞こえてくる。太ももやおしりを絶え間なく触ってくる。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
ただそれだけだった。
普段ならあっという間に到着するはずの電車が、このときだけは異様に遅く感じた。早く着いて欲しい。さっさとこの電車から降りたい。早くお風呂に入って、汚れを急いで体を洗い流したい。
でも、この汚れが本当に綺麗サッパリ洗い流せるのか。そう考えた時、私は恐怖に押し負けた。
あぁ、なんか涙でちゃいそう。
そう思った時だった。
床からドンッという大きな音が鳴った。
「痛っ!」
背後の男性が小さく悲鳴を上げた。同時に手が私のおしりから離れる。
私は音のした方をそっと見た。そこには、背後の男性の靴を踏みつけるように重なった、私の左隣にいた女子の足があった。
私はそっと目線を上げて彼女の顔を見た。彼女はなんともないといった凛とした表情で車窓を眺めていた。まっすぐにサラサラと伸びた黒髪。切れ長の目は1枚の絵画のように美しかった。
そんな彼女は美しい表情のまま足を軽く上げると、勢い良く振り下ろした。
「いっ!」
再び背後の男性の悲鳴が聞こえる。
すると、今度は何度も何度もテンポ良く踏みつけ始めた。リズムを刻んでいるかのような軽やかさはありつつも、威力はかなり高そうだった。それを喰らう男性は情けない声を上げ続けている。それでも、隣りにいる彼女はまるで気にしていない様子だった。
「お、おい! 痛いだろっ!」
我慢の限界がきた男性が、私の隣りにいる彼女を怒鳴りつけた。
突然上がった大声に、車内がザワザワとしだした。何人もの乗客が私の背後にいる男性を見ている。
隣りにいる彼女はキリッとした目つきで男性を睨みつけた。
「すまない。どうにも電車が狭くてな。踏んでしまったようだ」
「ど、どう考えたってわざとだろうがっ!」
「ふっ。そんなに騒がなくたって良いじゃないか。そうだな、よしっ。そこまで文句を言うなら警察を呼ぶとしよう」
「っ! は!?」
すると、隣りにいる彼女は私の肩を掴んでぎゅっと引き寄せた。
「私の隣りにいた彼女を私の証人にしよう。やましいことをしてなければ、捕まるなんてことはないしな」
彼女は余裕の笑みを見せた。引き寄せられたことによって伝わる彼女の体温が、夏の太陽なんかより遥かに暖かく感じた。
「な、なんだよ……」
男性の声が弱々しくなった。
すると、電車が駅に到着した。
私は彼女に肩を掴まれたまま電車を一緒に降りた。男性は気まずそうに電車に残っていた。
降りてからすぐ、私はベンチに腰を下ろした。どっと疲れが押し寄せてく。
すると、私を助けてくれた彼女が私の前でしゃがんで、私の目をじっと見た。
「良く耐えた。ここなら安全だ。大丈夫。君は1人じゃない」
そう言って、優しく手を握ってくれた。
その優しさで、私の涙腺のダムが崩壊した。ポロポロと涙が出てくる。今思えば、そんなところを見られていたのが少し恥ずかしい。
彼女は派手な色のタオルで私の涙を拭いてくれた。それに、持っていたスポーツドリンクを飲ませてくれた。そうして私が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。
「ありがとうございました。助けてくれて」
「別にいいよ」
そう言って、彼女はやってきた電車に乗り込もうとしていた。
私は慌てて立ち上がった。
「あ、あの、あなたのお名前は?」
彼女はニッコリと笑いながら澄んだ瞳で私を見つめた。
「
そう言い残して、彼女は去った。
この日、私が彼女に恋したということは言うまでもない。
*
「って感じ」
紗里奈は幸せそうに当時を振り返っていた。
ただ、紗里奈に痴漢被害のような辛い過去があったとは知らなかった。紗里奈の足に性的な視線を向けてしまった自分の情けなさを心の中での戒める。
にしても、美月先輩は昔からズルかったのか。ただ、そのずる賢さで紗里奈を救えたのは、他人事ながら嬉しい。
「それで、良さそうな練習場所、思いついた?」
紗里奈が希望を込めた目を向ける。
「いや全然」
「えぇ〜〜」
そう言って、再び紗里奈がローテーブルにぐだーっと体を預けた。すると、その勢いが強かったのか、マグカップが傾き中身のコーヒーが勢いよく俺のYシャツにかかる。
「あっ!!」
「うわっ!」
「ご、ごめん! いますぐ拭くもの持ってくるから」
紗里奈は大慌てでティッシュやタオルを持ってきてくれた。ただ、コーヒーの強い黒色を消すことはできず、Yシャツにハッキリとシミが残ってしまった。
コーヒーが冷めていたので、火傷をしなかったのが不幸中の幸いだ。
「ほんとごめん」
紗里奈が深々と頭を下げる。
「い、いいって。すぐに洗えばこれぐらい落ちるし」
「で、でも、流石にこのシミつけたまま帰れないよね?」
紗里奈の疑問に、俺はどうにか首を横に振る。
このシミは運悪くついてしまっただけだ。紗里奈に悪意はない。帰るまでの数分間、恥ずかしさを耐えることぐらい、どうってことはない。
見方を変えれば、オシャレなYシャツのデザインに見えなくもない。……いや、流石にただのシミにしか見えないな。
「う〜〜ん、私の服、貸してあげたいけど、サイズ的に無理そうだし……あっ!」
紗里奈が大声を上げた。
「どうしたの?」
「ちょっと、目つぶって後ろ向いてて。絶対にこっち見ないでよ」
「わ、分かった」
俺は素直に後ろを向いて目を閉じる。すると、背後から何やらゴソゴソと音が聞こえてきた。
「もういいよ」
数秒後に紗里奈がそう告げる。
そっと目を開けて後ろへ振り向く。
そこには、黒色のスウェットに着替えた紗里奈がいた。先程まで着ていたオーバーサイズのパーカーを俺に差し出している。
「これ着て。汚しちゃったシャツは洗濯して返すから」
「え? いや、いいよ。自分で洗濯するから」
「私が嫌なの。だから早く」
仕方なく、Yシャツを脱いで差し出されたパーカーを着る。オーバーサイズということもあり、俺でもギリギリ着ることができた。
パーカーがほんのりと温かい。紗里奈の身体に触れているかのようだ。
「何考えてんだ俺はっ!」
「え? なになに?」
変な妄想をするなと自分を再び戒める。
ただ、これは流石に刺激が強すぎる。変な妄想をしてしまうのも仕方ないような気がする。どうか紗里奈には許してもらいたい。
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