軽音楽部の顧問はマイペースが過ぎる。
5月30日。火曜日。
大きな荷物を背中に背負って俺は部室に入る。
中にはすでに
「こんにちは」
「片寄くん、こんに……って、まさか背中に背負っているのは!」
紗里奈が立ち上がり、俺の背負っているものを指さした。早くも気づいたようだ。
美月先輩は机に肘を付きながらニヤリと笑った。
紗里奈のオーバーなリアクションを向けられると何だか照れる。照れ隠しをしつつ、俺は背負っているものを軽く掲げた。
「そう。俺のエレキギター」
俺は日曜日、美月先輩と一緒に楽器屋に行った。そこで、美月先輩に再度アドバイスをもらいつつ、エレキギターを買ったのだ。
「見せて見せて!」
「落ち着けって」
紗里奈が急かしてくる。俺はそっと丁寧にギターケースを床に置いた。傷がつかないようにそっとギターケースを開く。
黒いボディに黒いネックのテレキャスターの形をしたエレキギターが姿を表す。
「あっ。このギターって、ヨージェネのボーカルの人が使ってたやつと同じだ!」
「正確には、似てるだけで同じではないんだけどね」
そう。俺が買ったのは「
ヨージェネのライブを体験してからというもの、脳裏にあの時の光景が常に浮かんでいた。そして、そんな光景を創り出していたボーカルのオーラに俺は魅了されていた。彼のようになってみたいと思うようになった。だからこそ、彼と同じエレキギターが欲しくなった。
ただ、全く同じものを買おうとするととんでもない金額になってしまう。そこで、似たような色とデザインかつ、お財布に優しいものを買うことにした。
美月先輩が安いものの中でもより良いものを選んでくれたのだ。これで品質面でも心配はない。
「へぇ。カッコいいね。なんて言うギターなの?」
「えっと……」
名前を思い出そうとする。確か美月先輩が買う時に言っていたような気がするのだが。
「
俺が思い出すよりも早く、美月先輩が言ってしまった。
「そう。それです」
「まったく。自分のギターの名前も覚えていないとは」
「すみません」
「これだから、最近の若者は」
「いや、1歳差ですよね? 俺達」
冗談はさておき、美月先輩の言うこともごもっともだ。今度からは言えるように、自分のギターの名前くらいは覚えておくとしよう。
「しかし、これでようやく軽音部としてまともな活動ができそうだな。よーーし! 目指すは『屋外大型フェスでライブ』だ!」
「え? 武道館とかじゃないんですか?」
紗里奈が不思議そうに問いかける。たしかに、こういったものの定番は武道館のような気がする。
「武道館には屋根がある。遠くの空まで私たちの音楽を届けるには屋根が邪魔になるだろう?」
「なるほど! さすが美月先輩です! 私、感服しました!」
感服する程のことを言っていただろうか。
正直、美月先輩の目標の意味が俺には分からない。ただ、美月先輩と紗里奈が妙に盛り上がっているので、下手に水を差す必要もないだろう。
「では、『屋外大型フェスでライブ』を目指すぞ。えいえいおーー!」
「おーー!」
「お〜〜!」
3人で拳を高く掲げる。
やってみて気づいたが、この年齢で「えいえいおー」は少々恥ずかしい。その場のノリとは恐ろしい。
「では、これから本格的に練習していくか。2人とも。これを受け取ってくれ」
「なんですか?」
「美月先輩からの物ならなんでも貰います!」
俺と紗里奈に渡されたのは楽譜だった。
書かれている楽曲はアダルターズの「火花」。俺がカラオケで歌った曲と同じものだ。
「これって」
「そう。『火花』の楽譜だ。この曲は有名で初心者でも演奏しやすい。私たちの初演奏曲としてピッタリだろう?」
「なるほど」
「さぁ。これから初ライブに向けてみっちり練習していくぞ!」
「私たちの初ライブっていつなんですか?」
紗里奈が楽譜を見ながら素朴な疑問を投げかける。
美月先輩は黙ったまま動きを止めた。どうやら、初ライブの予定は今のところないようだ。
すると、背後のドアがガラリと開く音がした。すぐに振り向く。
部室の入口には、キッチリとした紺色のスーツを着た女性が立っていた。
肩に届くほどのセミロングの黒髪。前髪をセンターパートにしていてクールな印象を受ける。身長は俺と同じ程に高く、スタイルがかなり良い。年齢は明らかに俺達より上だが、そこまで離れてもいなさそうだ。恐らく20代後半だろう。全体的に大人の余裕のような雰囲気をまとっている。
「3人とも。ライブの予定持ってきてあげたわよ」
そう言って、彼女は紙を俺達に向けて差し出した。どうやら、ベストなタイミングで俺達にとっての初ライブの予定がやってきたようだ。
ただ、俺には疑問があった。
「えっと、まず、あなたは誰ですか?」
俺は彼女のことをまったく知らなかった。服装と雰囲気から察するに先生なのだろうが、見た覚えはない。そんな彼女から「ライブの予定」なんて言われても、意味が分からない。
彼女は俺を一瞥すると、やれやれといった表情で微笑んだ。
「ねぇ、先生の名前を忘れちゃいけないでしょう? ちゃんと教えてあげたじゃない」
「……えっと」
残念ながら思い出せない。
助けを求めようと紗里奈の方を見る。だが、紗里奈は首を横に振った。どうやら紗里奈も知らないようだ。
「2人とも忘れちゃってるなんて、先生、悲しいわ」
わざとらしく先生が落ち込んでいる。
俺は必死に記憶を遡り思い出そうとする。しかし、どう足掻いても思い出せない。一体どの授業で教えてもらった先生だろうか。
すると、俺と紗里奈の様子を見かけた美月先輩が声を上げた。
「
「……あ、あれ? そうだったっけ?」
先生は頭を掻きながら、困ったように笑った。
俺と紗里奈は思わずコケた。
「美月先輩は誰だか知ってたんですか?」
「まあな。よし。では私が紹介してあげよう。この人は軽音楽部の顧問。
「天野菜生です。担当は現代文です」
美月先輩の紹介に合わせて、天野先生が丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします。菜生ちゃん」
紗里奈がすぐさまフレンドリーに挨拶をする。ただ、俺は呼び方に若干の抵抗があった。
「先生を名前呼びで、ちゃん付けっていいのか?」
「私はいいと思うぞ」
「いや、美月先輩の意見を聞きたい訳じゃないです」
「私も美月先輩にちゃん付けで呼ばれてみたい」
「紗里奈の願望を聞きたい訳でもないから。その、天野先生がいいのかなって思って」
あくまで俺たちと天野先生の関係は先生と生徒。そこの区別はハッキリとさせておくべきではないだろうか。
「私は全然、気にしてないわよ」
「えぇ……」
あまりにもアッサリとした答えに、俺は困惑してしまう。
「あっ。でも、改めて考えてみると、先生がちゃん付けで呼ばれるっていいのかしら?」
そう言って、天野先生は黙ってしまった。ボーっとした目で遠くを見つめている。今、考えるべきことであろうか。
「菜生ちゃ〜ん。話、続けるぞ〜」
「あっ、ごめんなさいね。ボーっとしちゃって」
美月先輩が俺たちの紹介を続ける。
「それで、この子がドラムの
「紗里奈です。よろしくお願いします」
紗里奈が軽く頭を下げる。それに応えるように天野先生も微笑む。
「ふふ。よろしくね」
「で、こっちのRPGの序盤で仲間になりそうな見た目をしてるのが……」
「それって、終盤になるにつれてどんどん影薄くなる地味キャラって意味じゃないですかっ!」
「実際そうだろう?」
「違いますよ!」
「それじゃあ、普通でつまらない見た目をしてるのが、ギターの
「どちらにしても悪意がありますね」
美月先輩を睨む。しかし、少しも反省をする様子を見せない。この前の件もあって強く言うことができないのが悔しい。
「よろしくね。純太くん」
悔しがる俺を気にせず天野先生が微笑んだ。
「よ、よろしくお願いします」
紗里奈に倣って俺も頭を下げる。とここで、俺の頭にはとある疑問が浮かんだ。
「そう言えば、なんで天野先生は今まで部活に来なかったんですか?」
今は5月末。部活動が始まってから1ヶ月弱だ。それなのに、出会ったのは今日が初めて。顧問をしているのであれば、少なくとも顔を出す程度のことはしているはずだ。
なにか、部活動に顔が出せない理由があったのだろうか。
「あぁ〜〜。それは、映画を見ていたからね」
特に考える様子もなく、落ち着いた口調でそう言った。
「……はい?」
「高崎の街なかに小さい映画館があるでしょう? そこで映画を見るのが好きなの」
「は、はぁ……」
俺は違和感を覚えた。
キッチリとした服装とスタイルから、大人の余裕のような雰囲気を感じ取った第一印象。しかし、この僅かなのやり取りで、その印象と実際の彼女が大きくズレているように思える。
俺が彼女を余裕そうな大人の雰囲気をまとっていると間違えて捉えた原因。それは恐らく……。
その答えを美月先輩がすぐに明かしてくれた。
「菜生ちゃんは見ての通り、超マイペースだ」
「やっぱりか」
納得がいった。
マイペースな先生が顧問か。今後、活動で問題が起こらないと良いのだが。とはいっても、すでにこの部には、ズルすぎる先輩と変態な同級生がいるのだ。そう考えれば、マイペースなんてかわいいものだ。
そう考えられてしまう現状が悲しい。
「それで、菜生ちゃんの言ってた『ライブの予定』っていうのは?」
美月先輩が話を進める。
「あぁ。これね」
天野先生が紙を机に置く。
3人で置かれた紙を覗き込む。
そこには「軽音楽部合同ライブ」と書かれていた。
「合同ライブって、なんですか?」
紗里奈が美月先輩に質問する。
俺も紗里奈と同じような疑問を抱いていた。普通のライブとはまた違うのだろうか。
「他校の軽音部と一緒にライブをするということだ。場所は……おぉ! ライブハウスを借りてやるのか!」
美月先輩が目を輝かせている。口角が上がっていてかなりの上機嫌のようだ。ライブハウスで演奏できることが相当嬉しいらしい。
「楽しみですね!」
紗里奈が美月先輩に抱きついて一緒に喜んだ。いや、正確には、美月先輩は合同ライブに喜び、紗里奈は美月先輩に合法的に抱きつけていることに喜んでいる。
その証拠に、紗里奈の目は笑顔の美月先輩しか捉えていない。
目がガンギマリで怖い。
しかし、そんな視線に気づかず、美月先輩は合同ライブについての情報を読み進める。
「さてさて、日にちが……7月15日だと」
声のトーンがガクリと落ちた。明らかに美月先輩のテンションが低くなっている。
「日にちがどうかしたんですか?」
「……練習時間が全然足りない」
「「え?」」
俺と紗里奈の疑問の声が重なった。
「今日から合同ライブまで1ヶ月と少し。放課後練習だけだと、人前で見せられるだけのクオリティにするのは厳しい」
「土曜日にも練習したりとかどうですか?」
紗里奈が提案する。
「私は問題ない。ただ、土曜日に部室を利用するには顧問がいないと」
そう言って、美月先輩が天野先生の方を見る。
当の本人は話をまるで聞いていなかったようだ。なんで私を見てるの、といった感じで不思議そうに首を傾げている。
「菜生ちゃん。土曜日に部活をしたいので、顧問として来てもらえないか?」
「ど、ど、土曜日に部活!?」
天野先生は動揺していた。そして、嫌そうに顔を引きつらせている。
どうにか来てもらえないかと願いを込めて、3人でじっと天野先生の目を見つめる。
天野先生は目を泳がせた。そのまま、困り顔でこう言った。
「ど、土曜日には見たい映画が……ダメかしら?」
「……」
マイペースは全然かわいいものではないのかも知れない。
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