俺達の軽音楽部は金欠が過ぎる。(1)
5月17日。水曜日。
授業を受けた後の放課後。
俺は
今日の美月先輩は、普段は下ろしている綺麗な黒髪を後頭部で一つにまとめポニーテールにしている。普段とは少し違う髪型を見るのはとても新鮮だ。それに、とても似合っている。
だが、今はそんなことはどうでも良かった。俺には、どうしても確認したいことがあるのだ。
「美月先輩」
「ん? なんだ純太?」
美月先輩が笑顔のまま応える。ただし、こちらを向くことはない。ただ、正面を向いてお手本のような笑顔をしている。
「いや、えっと。俺たち、担当の楽器を決めたんですよね?」
「そうだな」
「ボーカルも俺に決まったんですよね?」
「そうだな」
「で、今は放課後の部活をする時間ですよね?」
「そうだな」
「……じゃあなんで、今、コンビニでバイトしてるんですか? 俺たち」
そう。俺と美月先輩はどういう訳か、コンビニで店員としてアルバイトをしているのだ。
「無駄口を叩くな。ほら、そんなことより笑顔だ。ほら、お客さんが来たぞ。いらっしゃいませ〜〜」
美月先輩は相変わらず前を向いて笑顔をし続けている。
「……」
部活の活動時間に労働。これには呆れるしかない。
「おい、何をボーっとしているんだ。『いらっしゃいませ』を言え」
「いらっしゃいませ……」
「声が小さい」
「い、いらっしゃいませ〜〜!」
「それを最初からやれ」
「はぁ……」
さて。なぜこの様な事になったのか。それを説明するには、月曜日の放課後まで時を遡る必要がある。
*
5月15日。月曜日の放課後。
俺はホームルームが終わってからゆっくりと軽音楽部の部室へと向かっていた。数日前、カラオケでボーカルが俺に決まった。そのせいもあってか、妙に心がソワソワする。やはり、歌う練習などもするのだろうか。
そんなことを考えながら部室へ入る。
中にはすでに
……だが、どうにも様子がおかしい。
紗里奈は手足を床について、四つん這いになっている。床に顔を近づけてはキョロキョロと見回し、四足歩行でスタスタと移動していく。
女子に言う言葉ではないかもしれないが、ゴキブリのようだ。
すると、紗里奈がこちらに気づいた。
目が合った瞬間、思わず「ひっ」と声が出てしまう。
「あっ、片寄くん、おつかれ」
紗里奈が何ともないと言った表情で姿勢を変えずに挨拶をしてきた。そして、すぐにキョロキョロと見回す作業を再開している。
「……おつかれ。なにやってるの?」
「探し物があって」
「探し物?」
「うん。ここらへんに落ちてると思うんだけど……」
なるほど。何かを落としてしまったのか。床を凝視していることから考えると、コンタクトレンズのようなものであろう。
「俺も探すよ」
「ほんとに? ありがとう」
俺も四つん這いになってコンタクトレンズを探す。
すると、俺の目の前に紗里奈のスカートが広がった。探そうとして動くたびにスカートがひらひらと揺れて、下着が見えそうになっている。
俺は慌てて目を逸らす。
「と、ところで落としたのってどんなの?」
「あ! 落としたのは私じゃないよ。美月先輩が落としたの」
「え?」
「うん。私、自分の髪の毛拾っても全然嬉しくないもん」
冗談言わないでよとおかしそうに笑っている。
だが、俺はこの会話での違和感に気づかずにはいられなかった。
「……もしかして、いま紗里奈が探してるのって」
「美月先輩の髪の毛だけど?」
純粋無垢な瞳でこちらを見つめる紗里奈。
「なにやってんだっ!」
大声でツッコミつつ、紗里奈の頭を叩く。
「痛っ! ちょっと髪型崩れちゃう」
せっせと髪型をただし始めた。
「こんなに早く部室に来て、何をしてるのかと思えば……はぁ」
思わずため息が出る。
「だっ、だってぇ、美月先輩の髪の毛が落ちてるんだよ? 拾うに決まってるじゃん」
必死に弁解をする紗里奈だが、言っている内容は理解しがたい。というより、理解したくもない。
「っていうか、美月先輩が部室に来てこんな所、見られたら困るんじゃないか?」
これを美月先輩に見られれば、紗里奈の変態的な行動はなくなるかもしれない。ただ、それでは紗里奈と美月先輩の仲が悪くなってしまう。紗里奈の家で俺が紗里奈と交わした約束を破ることとなってしまう。
なんて面倒な約束をしてしまったんだ、俺は。
俺の疑問に対して、紗里奈は大して焦ることなく応える。
「大丈夫だよ。今日は美月先輩部室に来ないもん」
「部室に来ない? なんで?」
すると、紗里奈があっ、と小声で言って目を見開いた。
「そうだ! 美月先輩からの伝言で『純太は生徒玄関に来るように』って」
「生徒玄関?」
「うん。荷物も全部持って、すぐに来るようにって言ってたよ」
「なんでそれを早く言わなかったんだよ!」
「探しものに夢中になっちゃってて」
テヘペロとベロを出している。少しも許す気にはなれない。
「まぁ、いいや。とにかく、教えてくれてありがとう」
「うん。頑張ってきてね!」
紗里奈の言葉を背中で受け取って部室を出る。とはいえ、生徒玄関に行くだけで頑張ることはないと思うのだが。
なぜ生徒玄関に呼び出されたのかは分からない。思い当たるようなことも特にはない。ただ、美月先輩の言うことだ。ろくでもないことが待っているに違いない。
なにが起こっても良いように心しておく。
そうして考えている内に生徒玄関に着いた。
「おーい、純太。早く来い!」
声のする方には美月先輩がいた。ロッカーの向こうからひょっこりと顔を出して手を軽く振っている。
「美月先輩。なんで生徒玄関になんて呼び出したんですか?」
「事情を説明している暇はない。早く靴を履き替えろ。外に行くぞ」
「外ですか?」
「あぁ。早く」
美月先輩はなにやら焦っている。口調が普段よりも早口で、仕切りにスマホで時刻を確認している。時間が関わるもの、電車にでも乗るのだろうか。
慌てて靴に履き替える
「ついて来い」
そう言って、美月先輩は校門へと走り出した。
俺は後を追う。
校門を通り抜け住宅街を走っていく。そのまま速度を落とさずに、
どうやら、電車には乗らないようだ。
幸い電車に足止めされることなく踏切を渡ることができた。そしてなぜか、渡ってすぐ左手にあるコンビニへと入っていく。
店内には主婦らしき女性一人と、上毛中央高校の制服を着た生徒たちが数人いた。レジにはこちらも主婦らしき女性店員と、60歳ほどで白髪の男性店員が立っている。
美月先輩はその男性店員になにやら話しかけている。すると、なぜか事務所へと案内された。戸惑う様子もなく事務所へと入っていく。
美月先輩が事務所から俺を手招きしている。
状況が理解できないまま、俺も事務所に入れてもらう。
事務所には長机が一つとパイプ椅子が三つ置かれている。あとは、壁際に服や荷物をしまっておくようなロッカーがいくつか並んでいる。
男性店員にパイプ椅子に座るように言われたので座っておく。
美月先輩も俺の隣に同じようにパイプ椅子に座った。ピンと姿勢を正し手を膝の上に置いている。まるで、これから面接でも受けるかのような態度の良さだ。
男性店員はどこからか書類のようなものを取り出すと、ざっと目を通している。時折、こちらを見て、また再び書類に視線を戻すようなことを繰り返している。なにかを確認しているのだろう。
「君が
男性店員が尋ねてきた。
なぜ俺の名前を知っているのだろうか。
「はい。合ってますけど」
「分かりました。私はここの店長をしている
「はい。分かりました」
美月先輩がハキハキと返事をする。そして、そのまま事務所を裏口から出ていった。
残された俺は林さんの様子を伺う。林さんは優しい笑顔のまま俺の正面に座った。
「それじゃあ、いきなりだけど、面接を始めようか」
林さんが丁寧に頭を下げてきた。
何が何だか分からないが、ひとまず頭を下げておく。
「……面接っ!?」
こうして、突然面接が始まった。アルバイトとしての採用を決める面接が。
*
こうして、現在に至る。
「って、なんなんだよ、これ!」
お客さんに聞こえないような小さな声で異常な状況にツッコむ。
面接の結果、俺は採用となり、今日から働くことになった。月、水、金曜日の週に3日間、部活が終わってからの3時間を働くことになっている。時給が約1000円なので、1ヶ月で4万円ほど貯まる計算になる。
初給料を貰えるのが楽しみだ。
ただまさか、いきなりアルバイトをすることになるなんて思ってもみなかった。一応、ろくでもないことが待っていると分かってはいたし、心構えもしていた。しかし、現実は想像の斜めを上をいった。
加えて、美月先輩からは未だになぜアルバイトをすることになったのか教えてもらえない。仕事中、に話しかけても少しも事情を話してくれないのだ。
そのため、アルバイトが終わるまでは黙々と働くことにした。
俺は林さんに教わりながら品出しをしていた。丁寧に教えてもらったおかげで、すぐに品出しのやり方を理解できた。
その間、美月先輩はレジ打ちをしている。テキパキと仕事をこなしている。
そんな美月先輩は以前からこのコンビニで働いていたらしい。つまり、美月先輩の紹介で俺がアルバイトの面接をうけるという形になったのだ。
俺への相談が1つもないのに。
美月先輩への恨みを溜め込みながら4時間働いた後、林さんから「お疲れ様でした」と声がかかった。俺の初アルバイトがこれで終わったようだ。
文字通り、グッジョブ、俺。
俺は林さんと山田さんに挨拶をしてから事務所に入り、さっさと着替える。そして、店舗の裏口で美月先輩が出てくるのを待つ。
しばらくして、制服姿の美月先輩が出てきた。髪型は普段通りに下ろしている。
「おつかれ、純太。さぁ、帰るぞ」
美月先輩は自然と北高崎駅へ向けて歩き出した。
「いや、なんで平然と帰ろうとするんですか!」
「もっと働きたいのか。なら、林さんにいますぐ声をかければ……」
「そういう意味じゃないですよ! なんでバイトすることになってるんですか?」
「お金を稼ぐために決まってるだろう? 純太はそんな社会の常識も知らないのか」
美月先輩が面倒くさそうに俺を見た。ため息を吐いて、やれやれと首を振っている。
その態度に、無性に腹が立つ。
「それぐらいは分かってますよ。そうじゃなくて、なんのためにお金を稼ぐことになったんですか?」
「部費を稼ぐためだ」
「部費、ですか?」
「そう。部費だ。部費は学校から支給されるのだが、部員一人当たり、たった3000円。つまり、軽音楽部の部費は9000円しかないんだ」
「なるほど。それで?」
「今後、ライブハウスを借りて活動することになるだろう。その他にも、必要な備品を揃えなければならない。そう考えれば、お金が足りないのは明白だ。そこで、バイトでお金を稼ごうというわけだ」
「なるほど。で、なんで俺がバイトすることになってるんですか?」
「私が申し込んでおいたからだ」
堂々と美月先輩が言ってのける。
「なんで勝手に申し込んでるんですかっ!」
「手続きとか色々大変だったんだからな。心優しい部長に感謝するんだぞ?」
「心優しい部長は無断でバイトに申し込んだりなんてしません。ってか、だったら、なんで紗里奈にはバイトをさせないんですか?」
「紗里奈は一人暮らしだろう。身の回りのことを全て一人でやるのは大変なはずだ。それに加えてバイトを無理矢理させるなんて、可哀想な話だろう?」
「確かに……って、俺に無理矢理させることは可哀想じゃないんですか!」
「ん? なにか言ったか?」
「あんたはどこのラノベ主人公ですか!」
すっとぼける美月先輩には、何を言っても無意味だった。本当にこの人のやり口はズルい。
まぁしかし、アルバイト自体はいずれ経験したいと前々から考えていた。できれば大学生になってからと思っていたのだが。ここは早めに経験できたと、前向きに考えることにしよう。
そうでもしないと、隣で微笑む美月先輩を殴りたくなってしまう。ただ、実際に殴れるような度胸はないので、睨みつけるだけにしておく。
「ん? なんだ?」
「いいえ、別に」
「はぁ。仕方ないな」
美月先輩がスマホで時刻を確認する。今は午後7時15分。
「それじゃあ、純太の機嫌を良くなる場所に、特別に連れて行ってやろう」
「機嫌を良くする場所ですか?」
「あぁ、そうだ」
美月先輩は自信ありげに口角を上げた。
「どこに行くんですか?」
「軽音部員の機嫌を良くする場所なんて決まってる。楽器屋だ」
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