彼女らのプライベートは裏表が過ぎる。(3)

 3人それぞれが約6曲ずつ歌い終わった頃。美月先輩が俺と紗里奈に曲を入力しないようにと伝えてきた。


 予定通りに「ボーカル決め」が始まるのだ。


「いいか。バンドにとってボーカルはそのバンドの代表、顔となるとても重要な存在だ。だからこそ、決める時は真剣に考えてくれ」


「分かりました」


「美月先輩。1つ質問良いですか?」


 紗里奈が小さく手を挙げた。


「なんだ?」


「私ってドラムじゃないですか。ドラムの人がボーカルをするってありなんですか?」


 言われてみればたしかにそうだ。


 ギターやベースを弾きながら歌う歌手は良くテレビや雑誌などで見かける。しかし、ドラムを叩きながら歌う姿は見たことがない。実際、そんなことは可能なのだろうか。


 美月先輩は紗里奈に向かって親指を立てた。


「全然ありだ。たしかにドラムボーカルは珍しい。でも、いないわけじゃない。それに、珍しい分ドラムボーカルの派手さは多くの人を惹きつける。だから、気にせずに紗里奈も歌って欲しい」


「そうなんですね! 分かりました」


 意外な知識を得ることができた。たしかに、ドラムを叩きながら歌う姿は派手そうだ。それが紗里奈のような美少女なら尚更目立つだろう。


 そんな紗里奈の姿を見れるかどうかが、このボーカル決めで決まるわけだ。


「決める基準は、声の良さ、表現の豊かさ、声の大きさ、音程の正確さ。大体これぐらいだな。音程の正確さはカラオケの採点機能を使えば分かるから、それ以外を特に注目して聞くように。

 決め方は、全員が歌い終わった後の投票。良かったと思う人に1人1票まで。もちろん、自分がいいと思ったら自分自身に投票しても良し。票数が同率になった場合は点数を確認したうえでの話し合い。これでどうだ?」


 美月先輩の説明はかなりしっかりとしていた。それに、決め方や投票方法もかなり明確にしている。それほど、ボーカル決めに真剣なのだ。


「大丈夫です」


「よぉ〜〜し。頑張るぞぉ!」


「では始めよう。歌う順番は平等にジャンケンで勝った人からだ」


 ジャンケンの結果、歌う順番は紗里奈、美月先輩、俺に決まった。


 歌う際は本番同様にステージに立ったつもりで歌うようにとのことだ。そのため、ソファーの上で立って歌う事になった。


 紗里奈はその指示通りにソファーの上に立つ。


 俺と美月先輩は立ったまま紗里奈の正面で聞く形となる。


 紗里奈の表情が数分前と違って明らかに違って硬い。かなり緊張しているのだろう。わずかに震えた指でカラオケのリモコンを操作し、曲を入力している。


「それじゃあ、歌います」


 入力された曲は、先程まで歌っていたの韓国系アイドルソングとは打って変わって、日本の女性シンガーソングライターのものだ。軽音楽部のボーカル決めという前提を考慮しての選曲だろう。


 ギターのサウンドがスピーカーから流れ出した。


 紗里奈はリズムを身体で取りつつ、硬い表情のまま歌い出した。


 声がかなり震えている。生まれたての子鹿のようで、弱々しく、すぐにでも倒れてしまいそうな声だ。


 横目で美月先輩の様子を伺う。


 美月先輩は普段は見せないような真剣な眼差しで紗里奈の歌う姿を見ていた。足元から頭の天辺まで。見落とすことがないような視線の動かし方をしている。


 それだけ美月先輩に見つめられれば、紗里奈が緊張しない訳が無いのだ。


 しかしそれでも、曲が進むにつれて声が徐々にしっかりと安定したものになってきた。声量も大きくなっている。緊張感に慣れてきたのかもしれない。こころなしか表情も柔らかくなったように見て取れる。


 紗里奈らしい元気のある声だ。原曲を歌うアーティストはどちらかと言えば暗めな声なので、アレンジとしては新鮮に聞こえる。


 こうして、出だしは失速しつつも、その後は右肩上がりの状態で歌い終えた。


「はぁ〜、緊張したぁ」


 ふぅと息を吐きながらその場に座り込んだ。緊張が解けてホッとしたようだ。


 「おつかれ」


 俺は紗里奈にコップを渡す。


「うん、ありがとう」


 紗里奈は微笑んでからコップを受け取った。両手でコップを持ち少しずつジュースを飲んでいる。さながら木の実を頬張るリスのようだ。


 すると、軽やかなBGMと共にテレビ画面に点数が映し出される。


 点数は88点。音程と安定感の数字が低い。恐らく、前半部分の緊張による声の震えが原因だろう。あの緊張がなければ、90点には届いていたかもしれない。


「あ〜、あともうちょっとで90点だったのに……」


 分かりやすく紗里奈がしょげている。そんな彼女の背中を美月先輩が優しく撫でた。


「まぁ、そんなに落ち込むな。点数だけで決めるわけじゃない」


「っ! 美月せんぱぁ〜い!」


 優しい言葉に感動した紗里奈が美月先輩に抱きついた。胸の辺りに顔を当ててグリグリと擦り付けている。胸の感触を味わっているのは言うまでもない。


 先程までの緊張していた様子が嘘のようだ。変態の生態は理解しがたい。

 

 ただ、あまりにも擦り続けているせいで、ブラウス越しに美月先輩の胸の形が俺にまでハッキリと見えてしまっている。制服を着ている時はそこまで気づかなかったが、かなり大きい。大人っぽい服装も相まって色気が半端ではない。


「ん? なんだ純太?」


「い、いや。なんでもないです」


 本人は気づいていないようだ。


 俺は素知らぬふりをして目線をテレビに移した。


「さて、それでは今度は私の番だな」


 その言葉を聞いて、紗里奈が美月先輩から離れた。真剣な美月先輩を邪魔するつもりはないらしい。


 美月先輩は大して緊張してない様子だった。慣れた手つきでカラオケのリモコンを操作し曲を入力する。


 選んだのは「ANTI-LIFE」の一番人気の曲だ。


 ソファーの上に乗ると、肩幅に脚を開いて堂々と構えている。


 そして、曲の入りから大きな声量で歌い出した。紗里奈のように震えることはなく、むしろ自信満々と言った感じだ。


 そして、やはり上手い。


 低音から高音まで決して辛そうな部分がない。曲のサビ部分では裏声やビブラートなどのテクニックもフレーズごとに細かく使い分けている。自信に見合うだけの実力を見せつけられているようだった。


 ふと、紗里奈の方を見る。


 彼女は口に手を当てて、じっと美月先輩の姿に見入っている。普段の獲物に向けた変態の眼差しとは違う、曇りのない純粋な眼差しだ。


 美月先輩の歌声には、それだけの魅力があるのだ。


 何一つ辛そうな部分を見せること無く、美月先輩は見事に歌い終えた。


 マイクを腰の辺りに下ろし、出し切ったと言った感じの表情でたたずんでいる。


「……」


 俺と紗里奈は静かにテレビ画面を見た。


 映し出された点数は95点。音程、テクニックがほぼ満点の数字を叩き出している。


「流石ですね」


「美月先輩カッコいいっ!」


 俺と荒川が拍手をして褒める。


 てっきり、褒められて調子に乗るかと思っていた。だが、美月先輩はそこまで表情を変えずに、真剣な眼差しをしたまま俺にマイクを渡してきた。


「最後は純太だ。くれぐれも手を抜いたりなんてするな。これは大切なボーカル決めだからな」


 俺は思わず息を呑んだ。


 この人は普段はふざけたことばかりする、ズルくてしょうもない人だ。でも、今だけは誰よりも真剣なのだ。「ボーカル」という役割がいかに大切かわかっているからこそ、それほど真剣になれるのだろう。


 そんな目を向けられて、手を抜こうと思えるわけがなかった。


 俺のモットーに背く結果になってしまうかもしれない。それでも、美月先輩の言葉を裏切るようなことは俺にはできない。


 結果はどうであれ、精一杯やろう。


 どのような曲を歌うか。俺の頭には、ふと、昔の記憶が蘇ってきた。


 車の中。俺は助手席に座り、運転席には父親が座っている。赤信号で止まっていると、父親はオーディオを操作して、とある曲をかけていた。


「お父さんが高校生の頃、これが流行ったんだよ。かっこいいだろ?」


 そう言って、鼻歌を歌いながらハンドルを握っていた。そんな光景を、俺は父親と車に乗るたびに見てきていた。そして、父親の隣で俺は一緒に歌ってきたのだ。


 せっかく歌うのなら、慣れ親しんだこの曲にしよう。


 俺は迷うこと無く、カラオケのリモコンで「アダルターズ『火花』」と入力した。


 ソファーの上に立ち、マイクを構える。上から二人を見下ろす。実際にステージに立つとすれば、この何倍もの人を見下ろすことになるのかと想像する。中々、感覚がわからなかった。


 それに、眼の前にいるのがたった二人であってもかなり緊張する。しかし、美月先輩に向けられた目を俺は忘れていなかった。


 緊張してでも、今できる最大限で歌うのだ。


 俺は必死に歌った。慣れ親しんだ曲なだけあって、歌詞は見なくても自然と口から出ていた。緊張も歌いだしてからはそれほど感じていない。音程はサビなどの高音はあまり綺麗な音として出ない。どうしても裏返ってしまう。それでも、できる限りには音程を取ろうと努力する。


 何とか二番まで歌い、曲は大サビに向けた間奏に入る。


 俺は息を整える。目線の先では美月先輩と紗里奈がじっと俺を見ていた。


 2人は上手さは違えど、俺の目の前で見事に歌いきっていた。紗里奈は歌い終えてからかなり落ち込んでいたし、美月先輩もふざけることがなかった。


 そんな二人を前に、全力を出しきれないなんてことはしたくない。


 俺は大きく息を吸い、必死に声をマイクに向けた。何となく、喉の枷のようなものが外れたように感じた。そのせいか、高音がわずかに出やすくなっていた。


 ただ、とてつもなく喉が痛い。


 しかし、喉の痛みを理由に歌うのを辞めるなんて考えは毛頭なかった。


 最後の最後、曲終わりの声の伸ばしで、俺は声を吐ききった。最後は声がガラガラ声になり、何だか自分ではない他人の声を出しているかのようだった。


 きっと、喉を壊したのだ。


 それでも後悔はなかった。全力で歌いきったのだから。


 俺は息を切らしてソファーに座った。


「片寄くんおつかれ。これどうぞ」


 紗里奈が恩返しといった感じでコップを渡してくれた。


 受け取ってすぐにジュースを喉に流し込む。ヒリヒリとするような感覚があった。これは声が枯れているかもしれない。


 そんなことを考えなら、テレビの画面に目を向ける。


 点数は86点。音程とテクニックがかなり低い。美月先輩と真逆のような結果だ。


 全力で歌っただけに点数が低いのは悲しい。


 しかし、近づいてきた美月先輩は俺にこういった。


「良かったよ」


 この一声で、俺の悲しさは吹き飛んでしまうのだった。俺は案外、単純な人間なのかもしれない。


 俺は元の座席の位置に戻る。そっとテーブルにマイクを置く。そして、誰がボーカルとしてふさわしいかを考える。


 俺がボーカルにふさわしいと感じたのは美月先輩だった。


 これは単純に点数を見ただけでの判断ではない。堂々とした立ち振舞い。歌声の綺麗さ。確かなテクニック。それらが、俺や紗里奈より遥かに優れていたからだ。


「そろそろ、決まったか?」


 俺と紗里奈の様子を見ていた美月先輩が尋ねる。


「はい」


「私も決めました」


「それでは、せーの、でその人を指差すこと。いいな?」


 俺と紗里奈が無言で頷く。緊張が室内に張り詰めていた。


「せーのっ!」


 俺は美月先輩を指す。


「えっ!?」


 俺は思わず声を上げてしまった。


 何故か、美月先輩と紗里奈の人差し指が俺に向いていたのだ。


「な、なんで俺なんですか? 二人よりも点数低かったし、音程も悪かったのに」


「言っただろう? 点数で決めるわけじゃない。それに、純太の歌声はとても良かった」


「え?」


「私もそう思いました。片寄くんは確かに高音とかはあんまり出てなかったけど、それを頑張って出してる感じとか、最後の最後で出し切ってる感じが何と言うかこう……とにかく良かったです」


 美月先輩も紗里奈も絶賛してくれている。その表情は嘘やお世辞を言っている感じではなかった。


「純太が練習で歌っている時は、そこまで魅力を感じなかった。でも、本番での歌声は心に来るものがあった」


 そんなことを言われても、俺自身はどうしても納得できない。明らかに、歌の上手さで言えば美月先輩が適任のはずだ。


「で、でも」


 俺は弁明しようとする。


 すると、美月先輩が可笑しそうに微笑んだ。


「そんなに納得できないのか? なら、教えてあげよう。確かに、音程が合っていたり、テクニックがあったりするのはとても大切だ。だが……」


 美月先輩はビシッと俺を指さした。


「人々を惹きつけることのできる天性の声。これに勝るものは何もないんだよ」


「天性の……声」


 そんなことを言われたのは初めてだった。今まで、特にこれといった特技もなく生きていた。高校生活は何もなく平和に過ぎていくのだろうと、本気で思っていた。


 だからこそ、美月先輩からの言葉がどうしようもなく輝いているように思えた。


「どうだ。これだけ言ってもボーカルをやるつもりはないのか? ないのなら、私が代わりにボーカルをするぞ」


 美月先輩がニヤリと笑った。俺がなんと答えるのかを分かった上で、そんなことを聞いたのだろう。


 逆に、あんな言葉を言われて断れるはずがないのだ。やはり美月先輩はズルい。


 俺は笑みを返しながら、こう言った。


「いいや。俺がボーカルをやります」

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