俺の同級生は偏愛が過ぎる。(4)
日が沈みはじめた夕暮れ時。俺はとあるアパートの部屋の前に来ていた。扉には「309」という数字。
なんだか胸がソワソワしてきた。
こういう時は、何をどうすれば良いのだろうか。適当に髪型や服装でも整えて置くべきか。それとも、逆に着崩して慣れた感じを出すべきだろうか。
そう言えば、今日のパンツはどんなものだっただろうか。思い出そうとしても全く分からない。いっそ、この場で確認しておくか。いや、タイミングによってはチャンスを逃してしまう。やめておこう。というか、まだ、パンツの出番になると決まったわけじゃないはずだ。落ち着け。
……まぁ、落ち着くわけがない。だって、この扉の向こうには
「片寄くん、お待たせ〜。ちょっと散らかってて、片付けに手間取っちゃた」
荒川さんの部屋があるのだから。
「お、お邪魔します」
俺は恐る恐る荒川さんの部屋に入る。なにせ、人生初の女子の部屋への訪問だ。緊張しないはずがない。
「さぁ、どうぞ」
台所の前を通り、リビングに入る。
リビングの第一印象はとても綺麗だった。散らかっていると言っていたので、てっきりもっと物が置いてあるものかと思っていたが、そういうわけではないらしい。
六畳ほどの広さの部屋には、白で統一されたローテブルと座椅子と衣装ケースなどの家具が置かれている。また、テレビの代わりとしてだろうか、プロジェクターが置かれているのだ。そして、シンプルなデザインのベッドにはペンギンのぬいぐるみが一つ置かれている。可愛らしいデザインのペンギンが良いアクセントになっている。
インターネットでお洒落な部屋を調べれば、真っ先にこの部屋が出てくるかもしれない。
そして、いい匂いがする。名前はわからないが花の香りがほのかに広がっている。
「適当に座って」
俺は戸惑って、ひとまず床に座ることにする。
荒川さんは座椅子に座った。ちょうどローテーブルを挟んで俺と反対側の位置だ。
「わざわざ来てくれてありがとね」
「いやいや、むしろお邪魔させてもらって、なんか申し訳ないと言うか」
「そんなの気にしなくて良いよ。私が誘ったんだもん」
そんなことを言って、荒川さんは恥ずかしそうに笑っている。流石に誘った本人も緊張はしているらしい。
さて、ここで、なぜ俺が荒川さんの部屋に来たのかを説明していきたい。
数十分前。軽音楽部の活動が終わって帰ろうとした際、突然、荒川さんは俺をを部屋に来ることを誘ったのだ。
最初は当然断っていた。だが、どうしても来てほしいと食い下がってきた。一人暮らしのため両親は一緒に住んでおらず迷惑もかからない。学校からも徒歩で五分ほどの距離のため時間もかからない。と、この様に様々な説得をしてきた。
そこまで言われて拒否できる理由がなく、俺は荒川さんの部屋へ行くことを了承した。そして、現在に至る。
「それで、なんで俺に来てほしかったの?」
座椅子に体育座りで座る荒川さんに尋ねる。
「えっとね、その、こんなこと言うの初めてだから、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
荒川さんはその先を言えずに黙ってしまった。頬は明らかに赤くなっている。それを俺が見ている事に気づいたのか、慌てて顔を下げた。スカートを手で押さえてめくれないようにしているため、手では顔を隠せないようだ。足で顔は隠せているが、赤く染まった耳は隠れていない。
そして、消えてしまいそうなか細い声で荒川さんは呟いた。
「……初めてだったの。一目惚れで人を好きになるの」
「っ!?」
俺は言葉を詰まらせた。まさか、こんな風に告白されるなんて。どうやら、パンツの出番になりそうだ。
「だから、どうすれば良いか分からなくて、思わず片寄くんを家に呼んじゃったんだけど……」
「いや、えっと、その、俺は全然良いよ。迷惑とかでもないし」
「えっ!? 本当に!」
荒川さんは驚いて目を見開いて俺の方を見た。その目はうるうるとした涙目だ。部屋の照明によってその瞳が輝きを増している。
そうして、そっと目を閉じて嬉しそうに微笑んだ。それと同時に涙が溢れ出ている。
「良かったぁ」
「荒川さん! そんな、泣かなくても」
「ご、ごめんね。なんか、今までどうすれば分からなくて不安だったから、その不安がなくなって涙腺壊れちゃったみたい」
涙をポロポロと流しながらも、荒川さんはニッコリと微笑んでいた。本当に嬉しかったようだ。
まさか俺自身が荒川さんの一目惚れの人になれるなんて。自分の顔に自信なんてなかったし、今までに告白をされることなんて一度もなかった。しかし、そんな自分が荒川さんをこんなにも笑顔にさせる存在だったのだ。
お父さん、お母さん。俺をこんな顔で産んでくれてありがとう。俺、これから大人の階段を1段登るよ。
涙をティッシュで拭き取って、ようやく荒川さんは泣き止んだ。
「エヘヘ。ごめんね。こんなところ見せちゃって」
「いや、良いよ。荒川さんがそれだけ悩んでたんだって伝わったし」
「エヘヘ。あっ、そうだ。私のこと、『
「わ、分かった。えっと、じゃあ試しに、……紗里奈」
「うん」
荒川さん、いや、紗里奈が淡々と応える。なんのひねりもないシンプルな返事。それが、どうしようもなく嬉しかった。これが恋人という感覚なのか。
恋人がイチャイチャしだす原因を理解していると、紗里奈が立ち上がった。
「ちょっとここで待ってて。見せたいものがあるから」
「分かった」
そう言って、紗里奈はクローゼットの扉を開けた。なにやらゴソゴソとものを取り出している。
「あっ、片寄くんは一回、目を閉じてて。いきなり見られるのは恥ずかしいから」
「わ、分かった」
俺は慌てて目を閉じる。
見られて恥ずかしいものとはなんだろうか。まさか、エッチな下着にでも着替えているのだろうか。階段を登るにしても、それは早すぎるのではないか。いや、俺ももう高校生だ。高校生ならこれぐらい当然……のはずだ。
変な妄想を膨らませていると、ローテブルに何かを置く音がした。
「もう見ていいよ」
俺はそっと目を開く。そこには、先程とは変わらず制服姿の紗里奈がいた。そして、ローテブルには一冊の大きな本が置かれていた。それなりに厚みもある。
「これは?」
「アルバムだよ。これを見てほしいの」
なるほど。最初はアルバムを見せて仲を深めようと言うわけだ。
エッチな展開でないのは少し残念だ。しかし、それは俺の一方的な妄想の押し付けだ。それに、そういったことはこうして仲を少しずつ良くしてからのほうがいいに決まっている。
厳かにいけ、俺。
心に喝を入れてからアルバムに手をかける。
「それじゃ、開くよ」
俺はそっとアルバムを開いた。
「……え?」
そこにはたくさんの紗里奈の写真が載っている……訳ではなかった。そして、その代わりに、たくさんの美月先輩の写真が載っていた。
「紗里奈。これって?」
紗里奈はもじもじと恥ずかしそうに顔を手で隠しながら、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「……うん。私が今までこっそり撮ってきた美月先輩の写真」
トッテキタミヅキセンパイノシャシン?
「こういうの、友達とかに共有するのは難しいから。でも、片寄くんが私と美月先輩をくっつけてくれる関係になってくれるなら、見せようと思って」
「……え?」
先程の浮ついた感情が一気に冷めていく感覚を全身で感じる。俺は何か大きな勘違いをしているのかもしれない。
「ちょっ、ちょっと聞いていい?」
「うん? なに?」
「紗里奈の一目惚れの相手って?」
「もぉ、恥ずかしいんだからあんまり言わせないでよ……美月先輩だよ」
唇を尖らせて、消えてしまいそうな小声で紗里奈が言った。
……うん。これは恥ずかしい。
何を勘違いしていたんだ俺は。そうだ。思い返せば、紗里奈は一言も俺に一目惚れしたなんて言っていなかった。それなのに、それなのに。
と言うか待てよ。紗里奈はついさっき、おかしな事を言ってなかったか。
「紗里奈。確認なんだけど、俺と紗里奈の関係って具体的になに?」
「具体的に? えっと、私と美月先輩が恋人になるための仲介人かな?」
「いや、いつの間にそんなことになったんだよっ!」
「え? だって、さっき『良いよ、迷惑じゃない』って言ってたよ?」
「それはそういう意味じゃなくて……」
「……?」
言いかけた所で俺は言葉を詰まらせた。
これで紗里奈の勘違いを弁明しようとすれば、俺の恥ずかしい勘違いを伝えることになる。それだけは避けたい。
「ごめん。そういう意味であってる」
「良かったぁ。私の勘違いじゃなくて。これで美月先輩と恋人になれる。エヘヘ」
紗里奈は今までで一番嬉しそうに笑っていた。
なるほど。
部室で紗理奈の様子がおかしかったことが色々と紐づいた。確かに、紗理奈の様子がおかしかったのは、美月先輩に名前を呼ばれた時や見つめられていた時だ。
今の時代、同性愛なんて大した問題ではない。同級生として、彼女の恋を仲介人として応援するのも悪くないかもしれない。
「で、仲介人って具体的に何をすれば良いんだ?」
「う〜〜ん。美月先輩の色んな情報を教えたりとかかな。あとは、距離を縮めるための手助けとかして欲しい」
「分かった。できる限り頑張るよ」
「ありがとう」
紗理奈が頬を僅かに赤らめて優しく微笑んでいる。恋する乙女の表情と言った感じだ。
俺ができることは少ないかもしれない。それでも、彼女のために軽音楽部の仲間としてできる限りの努力をしていこうと心に決めた。
「ねぇ、それじゃあ、早速なんだけどさ、美月先輩が落としたパンツ。どんな見た目だったのか教えて」
「は?」
何を言っているのだろうか。紗理奈の突然の意味不明発言が理解できない。
すると、紗里奈が鼻息を荒くして近づいてきた。
俺は後ずさりをして離れようとするが、手を掴まれてしまった。これでは逃げようがない。
「片寄くんが拾ったやつだよぉ。遠目からだとハンカチっぽくて、判別できなかったけど、やっぱりあれってパンツだったんでしょ?」
「い、いや、あれは」
「ねぇ、どんな形だった? 大きさは? 手触りは? 匂いは?」
紗里奈の瞳は輝いていた。希望に満ち溢れていると言っても過言ではないほどに。
しかし、それが俺には恐怖でしかならなかった。
これは恋する乙女の瞳ではない。獲物を前にしてヨダレをダラダラと垂らす淫らな猛獣の瞳だ。
アルバムの写真を見た時点で違和感を感じるべきだった。思い返してみれば、アルバムの写真は盗撮写真だ。普通の恋する乙女なら、分厚いアルバムを盗撮写真でいっぱいにするはずがない。
あぁ、駄目だ。俺はようやく軽音楽部でまともな関係を気づけると思ったのに。
「そ、その話はまた今度。じゃあ、俺はこの辺で」
俺は紗理奈の手を力強く振り払うと、慌てて荷物を持って部屋から飛び出した。
「そっか。それじゃあ、またね!」
紗里奈は後ろから手を振っていた。それこそ、友人と当たり前の様に別れるように。恐怖などまるで感じさせない表情で。
俺は扉を閉めると、すぐさまアパートから出ていく。全速力のダッシュは肺にとてつもないダメージを与えていた。しかし、そんなことはどうでも良かった。
俺は息切れになりそうなまま、真っ黒な夜空に向かって叫んだ。
「……なにが『またね』だ、この変態野郎がぁぁぁぁ!!」
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