俺の先輩はズルが過ぎる。(2)
先輩に連れ回された俺がたどり着いたのは、軽音楽部の部室だった。だが、先輩がなぜここに連れてきたのかの理由はわからない。
先輩の行動を理解できずにいると、先輩が部室の中から手招きしてきた。
「さぁ。遠慮せずに入るといい」
「お、お邪魔します」
部室は普通の教室の半分ほどの広さだ。校舎の角にあることを考えると、元々は物置か何かだったのではないかと思わせる。
正面にはカーテンで閉じられた窓があり、向かって左にはなにかの道具やら雑誌やらが置かれた棚がある。そして、向かって右側にはいかにも軽音楽部らしいスピーカーが堂々と置かれている。また、ギターが入っているであろう黒色のケースと赤色のドラムも置かれている。その他には机とイスが一つずつ。
余分なものが置かれていない、散らかっていない部室といった印象だ。
先輩はスタスタと歩いていくと、カーテンを勢いよく開ける。眩しい日光が差し込み部室を照らす。
「どうだ、新入生。素晴らしい部室だろう」
「そ、そうですね。何と言うか、カッコいいです」
とりあえず褒めておく。
「そうだろう、そうだろう!」
先輩は誇らしげだ。どうやら部室をかなり気に入っているらしい。ニコニコとした笑顔になっている。
年上ではあるが、少し子供っぽく見える。
「あっ。そういえば自己紹介をしていなかったな。私は2年、
「
「そうか。では純太よ。まずはそこに座れ」
黒瀬先輩が指差す先には、教室で使われている机とイスがある。
俺は言われたとおりにそのイスに座る。
その間に黒瀬先輩は棚から1枚の紙をとりだした。そして、なんだか胡散臭い笑顔をして俺の方へと持ってきた。
「ボールペンは持っているか?」
「はい。持ってますけど?」
「なら、この紙のここの欄に名前を書くんだ」
「黒瀬先輩。この紙ってなんですか?」
紙には何かしら文字が書かれている。しかし、先輩が色白な両手で文字を隠しているため、何が書かれているかが分からない。
「なんてことはない。ただの紙だ。さぁ、早く名前を書くんだ」
胡散臭い笑顔。謎の紙への名前の記入。紙の文字を隠す行動。
……怪しすぎる。
「黒瀬先輩。手を動かして貰っても良いですか?」
「こうか?」
そう言って、黒瀬先輩は素早く左右の手を入れ替えた。入れ替えただけで、文字を隠していることに変わりはない。
「そういうことじゃなくて」
「じゃあこうか?」
そう言って、今度は手を裏返した。当然、文字を隠していることに変わりはない。
俺は無表情で黒瀬先輩に不満を伝える。
黒瀬先輩は下手くそな口笛を吹いてそっぽを向いている。
「絶対何か隠してるじゃないですかっ!」
俺は紙から手を離させようと黒瀬先輩の腕を引っ張る。
だが、ほっそりとした見た目とは裏腹に力がかなり強い。紙を押さえつける手は中々紙から離れない。
「か、隠してなどいないっ!」
「だったら、離してくださいよっ!」
「だから言っただろう。私の名前は黒瀬美月だ」
「『はなして』って、喋れって意味じゃないですよ! 紙から手を離してくださいっ!」
「だ、駄目だ! それだけはっ!」
お互い力を入れすぎて顔が真っ赤になっている。
「も、もう限界……」
黒瀬先輩は体力が切れたのか、僅かに紙を押さえつける力が弱くなった。その僅かなチャンスを俺は逃さない。
「今だ!」
「しまった!」
ようやく黒瀬先輩の手が紙から離れた。
「く、くそっ……」
黒瀬先輩は息を切らしながら、その場にヘタリと倒れ込んだ。
俺はその隙に紙に書かれた文字を読む。
『入部届
下記の部活動に入部を希望しますので、お届けします』
「ってこれ、入部届けじゃないですかっ!?」
大声でツッコむ。
黒瀬先輩は立ち上がると、さも当然といった表情を向けてきた。
「そうだ。さぁ、早く名前を書くんだ」
「いや、なんで書くのが前提になってるんですか?」
「入部するのだろう?」
「いや、しませんよ! 『入部する』なんて、言った覚え、一つもありませんし」
俺は部活動になんて入りたくない。まして、騙して名前を書き込ませようとする部活にはなおさら入りたくない。
俺はボールペンをカバンにしまうと、急いで部室の出口へ向かう。
「待て純太。どこに行くつもりだ?」
「帰るんですよ!」
「そうか。……なら最終手段をとるしかないな」
「最終手段?」
振り向くと、黒瀬先輩はスマホを掲げていた。画面には、パンツを凝視する俺の写真が映っている。
「この写真をバラされたくなかったら入部しろ」
「ズルすぎだろそれ!」
「ズル? お前は言ったはずだぞ。『なんでも私の言うことを聞く』と」
「ぐっ……」
まさか、ここでそれを言われるとは。
入部はしたくない。しかし、これで入部を断れば、写真を教員にバラされる。それが生徒にまで伝わって「下着泥棒」なんてあだ名が付けられた日には、俺は生きていけない。
悔しいが、俺は入部届の氏名の欄に名前を書いた。
「許してくれ。できれば私も、こんな悪質な手は使いたくなかったんだ」
「いや、入部届の文字を隠して名前書かせようとした時点で十分悪質ですよ」
そんなことを言いながら、俺は黒瀬先輩に入部届を渡した。
「確かに預かった。では、この入部届を顧問に届けたら、これから純太は正式な軽音楽部の部員だ」
告げられた事実はあまりにも残酷だった。さながら、俺の高校生活の余命宣告をされたようだ。
「……はい」
「なんだ? せっかく入部したのだから、もっと喜べば良いだろう?」
「喜べないですよ! いきなり軽音楽部に入部だなんて意味わからないですし。それに、俺、楽器とかの経験ないですし」
正確に言えば鍵盤ハーモニカやらリコーダーは小学生の頃に授業で経験していた。しかし、少なくともここで言う必要はないはずだ。
「安心しろ。放課後毎日、私が丁寧に手取り足取り教えるからな」
「放課後毎日!? そんな頻度で活動してるんですか、軽音楽部って」
「当然だ。1日や2日で習得できるほど、曲の演奏は簡単ではないからな」
「はぁ……」
気が重くなる。俺はただ授業を受けて帰るだけの、単純で平和に高校生活を送りたかっただけなのに。まさか、入学して早々にこんなことになるなんて。
右肩下がりな俺のテンションとは裏腹に、黒瀬先輩は嬉しそうに微笑んでいる。
「黒瀬先輩は嬉しそうでいいですね」
「当然だ。部員が1人も増えたのだからな」
「1人は『も』って言わないですよ」
「いいや言うさ。純太は大切な新入部員だからな。それと、私のことは名字で呼ばなくていいぞ」
「名前でってことですか?」
「あぁ、そうだ。『くろせせんぱい』だと、『せ』が2回連続して言いづらいだろう?」
「確かにそうですね」
「じゃあ、そういうことで。活動は明日の放課後から始める。これからよろしくな。純太」
成り行きで強引に入部させられた軽音楽部。正直、活動は大変そうでしかない。
とはいえ、先輩は美少女。考え方を変えれば、彼女のような美少女と共に高校生活を送れるチャンスを得られたとも捉えられる。いいや、そういう風に考えることにしよう。
こうして「下着泥棒」と呼ばれる未来を避けるためにも、俺は軽音楽部への入部を決心をした。
「……よろしくお願いします。美月先輩」
俺の入部届を持った美月先輩は満足そうに微笑んだ。そして、そのまま職員室へ向かうのだった。
部室に残された俺は帰るために荷物をまとめる。
すると、廊下から何やら足音が聞こえてきた。
誰だと思い見てみると、そこには慌てた様子の美月先輩がいた。
「忘れ物ですか?」
「あぁ。私としたことが」
「しっかりしてくださいよ」
「そうだな。部長として気を引き締めないと。というわけで」
美月先輩はなぜか俺に向けて手を差し出してきた。
「握手ですか?」
忘れ物は握手。最後の最後でドラマチックな雰囲気を作り出すとは。
美月先輩は騙して書き込ませようとしたり、脅して入部させるような人だ。しかし、それには理由があって、きっと根はいい人なのかもしれない。
俺は自然と美月先輩に向けて手を差し出していた。
すると、美月先輩は不思議そうに俺の手を見た。
「ん? 何だこの手は?」
「いや、だから、握手ですよね?」
「いいや。握手ではない」
「え?」
「パンツを返してもらおう」
「パンツ?」
……何を言っているのだろうか。
「あのパンツは私のものだ。脅して入部させるために私が仕掛ておいたのだ」
「……」
この時、俺の頭の片隅に残っていた疑問の数々が次々に紐づいた。道端に落ちているはずのないパンツ。遠くからでも白い布がパンツだと分かる美月先輩の異様な視力の良さ。いかがわしい行動のように見えるタイミングと角度で撮られた写真。
なるほど。
俺は無言で美月先輩にパンツを渡した。
「それじゃあ改めて、これからよろしくな、純太」
「……なにが『これからよろしく』だ、このクソ野郎がぁぁぁぁ!!」
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