第44話 2

 異世界に来て、美人美少女に詰められる事がやたらと増えたが、だからと言って耐性が身につくわけでも無い。

 無理なものは無理で、緊張するものは緊張してしまう。

 それに、その相手が俺の勘が危険信号を出すような人物だとしたら尚更、緊張せざるを得ない。

 ニカーヤ、聞いた事もない言葉を口にするセリーナさんは俺の答えを聞くと、頭の先からつま先までマジマジと観察し始める。

 観察しながらも握った手は離さず、それどころかムニムニと俺の手の感触を確かめている。

 しばらくしてから確信を得たと言わんばかりに「そんなはずは、ない」と彼女は言う。


「体格、それに骨格、感触に声、それと」


 そこまで言ってから、彼女は俺の首元まで顔を近づけるとすんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ始める。

 急な事で固まってしまう俺や、その様を見るカシアスやマリアナがいる事もお構いなしに続けて首元から耳、耳から胸元と満遍なく俺の匂いを確かめる。

 ゼロ距離で嗅がれるため、所々鼻息や吐息がかかりこそばゆく感じて離れようとするが、俺の腰に腕を回した彼女の力は思いの外強く、その場から動く事ができない。

 ある程度嗅ぐと満足したのか、彼女は俺のもとから離れるが、握った手は離さず照れる様子を一切見せる事なく表情を崩さないまま続ける。


「匂いも同じ、貴方は・・・やっぱりニカーヤ?」


 ニカーヤとは人物名なのだろう。彼女に小首を傾げて問われるが、その名前に俺は覚えがない。

 正直に話そうと首を横に振るが、セリーナさんはその答えが不服のようで「そんなはずは、ない」と一向に認めない。

 どうやら、ニカーヤと俺を同一視しているらしく、セリーナさんは「貴方、ニカーヤ?」とグイグイ身を寄せてくる。


「ニ、ニカーヤってどんな人だったんですか?」


 だったらニカーヤの情報を引き出して、俺とニカーヤの乖離した部分を指摘してやろうと彼女に問うと、セリーナさんは僅かに微笑む。

 今まで一切表情を崩さなかった彼女がニカーヤの話題を振られると一気に破顔するその光景は、あまりにも衝撃的だった。


「ニカーヤは、かっこよくて、凄い人」

「へ、へえ・・・そうなんですね」

「ニカーヤが私の全て」

「へえ・・・」


 聞き出した事を後悔するくらいには、セリーナさんの口からニカーヤに対する重たすぎる想いがボロボロと出てくる。

 やっぱり、そんな人物と俺が同一人物な訳もなく、身に覚えの無いその人物の全体像を聞き出そうとセリーナさんへ問いただしてみるが、答えは容量を得ない。


「年齢は?」

「わからない」

「いつ頃出会いました?」

「随分と前」

「顔は?」

「いつも仮面をしていたから知らない」


 嘘だろ?それでこんなに激重な感情を抱いていたのか?

 得られる情報があまりにも少なく、どうやって否定しても納得してもらえなさそうだなと頭を抱えていると、セリーナさんは「そうだ」と決定打を打ちにかかる。


「仮面はしていたけど、目だけにしてた。鼻から下は知ってる。貴方もニカーヤと同じ鼻と口をしてる。だから、貴方はニカーヤ」


 どう考えてもセリーナさんの主観でしかなく決定打に欠ける情報なはずで、とにかく強く否定するのだが、俺がニカーヤと同一人物だと信じて疑わないセリーナさんは握った手を離さない。

 それどころか「魅力的な唇も、同じ」とセリーナさんは顔を寄せて来る始末だ。

 なにをやっても無駄だと退路は塞がれた思いで半ば諦めていると、急な展開に思考を停止していたマリアナがハッとした表情でセリーナさんを止めにかかる。


「な、なにっ、なにを!なにをしておられるのですか!?セリーナ様!?!??」

「邪魔しないで、マリアナ。私、ニカーヤを見つけたの」

「ニカーヤ!?ニカーヤってなんですの!?」

「助かったマリアナ先輩!そのまま引き剥がしてくれ!」

「ちょっと!お前にマリアナと気安く呼ばれる筋合いはなくってよ!?」


 そう言って俺への敵意を剥き出しにしたままセリーナさんを引き剥がすマリアナの力は大したもので、ズルズルと引っ張られる彼女は仕方なく俺の手を離す。

 未だ心臓はバクバクと脈打っていて、混乱は整理されないまま続いている。

 ニカーヤなんて人物知らないし、そもそも生徒代表って何だよと思ってカシアスに尋ねる。


「なあ、生徒代表ってなに?あの人なんなの?」

「お前正気か?入学式に参加してなかったのか?」

「参加はしたけれど」


 話は聞いていなかった。とはとても言いづらい。

 呆れたカシアスの表情を見る限り、セリーナさんは在校生代表として挨拶でもしていたのだろう。全く記憶に無いけれど、カシアスの態度を見る限り知らない方がおかしい人物なのかもしれない。後でルカやロランにも聞いてみるとしよう。

 そして、そんな俺とカシアスのやり取りを聞いていたらしいセリーナさんは、相変わらず氷のように冷たい表情に少しだけ影を落として呟く


「ニカーヤ、私の事を忘れてしまった?」

「え!?セリーナ様が気を落としていらっしゃる!?」

「嘘だろ・・・アーガマ、お前何やったんだ?」

「わからん、俺にもわからん」


 俺にとって大した違いはないのだが、マリアナとカシアスにとっては驚愕に値するほどの変化らしく、俺とセリーナさんを交互に見て口をパクパクさせている。

 だが驚愕しているのは俺も同じで、全く覚えのない人物に全く覚えのない名前で呼ばれて絡まれている状況に頭の中はかなりのパニック状態だ。森の中で三百六十七年過ごしたが、セリーナさんみたいな美人の知り合いなんて一切いなかった。勿論、森を出てからも出会った記憶がない。

 勘が告げる危険信号はこう言う意味だったのだろうか、そう考えて今すぐこの場から距離を取るべく動き出そうとした時に、引き摺られるセリーナさんは俺へ顔を向ける。


「でも、大丈夫。絶対にニカーヤは私を思い出す」


 無表情で、しかし、自信たっぷりに言う。

 どこからその自信が湧くんだよと思っていれば、セリーナさんを引き摺るマリアナが口を挟む。


「セリーナ様!この平民は噂によれば男色の気があるそうでして!セリーナ様に勝ち目はありませんわ!」

「ああ、そうだーーじゃねえよ!何だその噂!?」

「嘘。ニカーヤは女の子が好きって言ってた」

「ですから!この平民はニカーヤという人物では無いのでしてよ!」

「ちょっと待て!今サラっと言った噂の内容について僕とお話ししないか!?」


 あまりにも自然と出された話題だったので、危うく同意しかける所だった。

 突如として提示された俺の噂の内容に待ったをかけはしたのだが、それを無視してマリアナとセリーナさんは言い合いを続ける。

 そんな俺を不憫に思ったのか、カシアスが半笑いで肩に手を置く。


「カンポ達から聞いたんだがな。オクトヴィルの子息はお前と恋仲だから、彼がいればお前が暴走する心配もないと踏んだんだ」


 それでも監視は続けるがなとカシアスは続ける。

 ここに来るまでの道中、カシアスが話していた噂の内容はこれだったのだろうか。というか、カンポ達からこの噂は広まったのか?取り巻き貴族共め、覚悟しとけよ。


「てか、ロランと俺はそんな関係じゃねえよ!」

「そうなのか?私から見ても仲睦まじいと思うが」

「普通に友達なだけだよ」

「そうか・・・そうなのか?」


 男色の気があると思われても面倒なので、カンポ達への憤りを抑えて否定をするが、カシアスは訝しむ表情をするばかりで納得はしてなさそうだ。

 そうしてカシアスとの一悶着の後、女性陣達も一通りやり取りを終えたらしく、マリアナが肩で息をしながら「もう、お好きになさってくださいまし・・・」と呆れている。諦めるな、俺の為にもっと粘ってくれ。

 しかしそんな俺の願いも虚しく、マリアナの手から離れたセリーナさんはそそくさと俺の方へ戻って来ると、再度手を取る。


「ニカーヤ、どうしてもニカーヤはニカーヤと認めないの?」

「認めないというか、覚えがないので・・・」

「そう。ニカーヤはニカーヤの自覚がない。わかった」


 ニカーヤニカーヤと連呼されてニカーヤのゲシュタルト崩壊を起こしていると、セリーナさんは「それじゃあ」と俺の手を強く握りしめる。

 無表情でなにを考えているかわからないが、フンスと鼻息を荒くするセリーナさんが碌でもない思考をしているのには違いない。

 こうやって初対面の相手にグイグイと迫って来るくらいだ。この後は面倒な展開を迎えるに決まっている。

 そして、その考えは的中する。してしまう。


「ニカーヤ、私と決闘しましょう」


 無表情ながらも、目を爛々と輝かせるセリーナさんはそう言って更に強く手を握る。

 彼女の握力を感じながら、つい先日にも決闘をしたばかりだと言うのに、どうしてこうなるんだとその現実から逃避をするように天を仰いだ。

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