第35話 12
カシアス・イオクにとって、敗北は恥ではない。
敗北を糧として、次の勝利を掴み取る。それが、カシアスという男の考え方だ。
カシアスが目を覚ますと、目に飛び込む景色は見覚えのない天井。何事かと周りを見渡して、状況把握に勤しむ。
わかった事と言えば、鈍い腹痛と自室の寝台に比べれば、数段は質の落ちた少し硬さを感じる寝台に横になっていた事くらいで、頭は混乱するばかりだ。
何故、ここに?直前まで何をしていた?確か私は、アーガマという平民とーー
そして、思い出す。
シロウ・アーガマと決闘をして負けた事を、バーナード・コユクックの盾にされて沈められた事を
「私が・・・敗けた・・・!?」
まさか、そんな、これは夢ではないのか。そう考えるが、鈍く続く腹痛が現実だと教える。
「そんな・・・嘘だろ・・・」
寝台の上で頭を抱えるカシアスは、歯を食いしばる。
カシアス・イオクにとって、敗北は恥ではない。
しかし、それは相手が貴族の場合に限った話で、普段から庇護下にある力無き者と見下す平民に敗ける事は、十六年生きて来た生涯で初めて味わう屈辱だった。
「カシアス様!お目覚めになられたのですね!」
そう言って扉を開け中に入って来た男は、現実に打ちひしがれ、呆然とするカシアスが目を覚ましているの見て声をかける。
「ああ、カンポか・・・」
カシアスは男の顔をチラリとだけみてそう答える。
そんなカシアスの反応に心配して声をかける男の名はカンポ・ヴェネト。
イオク家とヴェネト家は先代の頃から懇意な関係であり、それはイオク家次期当主筆頭のカシアスとヴェネト家子息のカンポも例外ではない。
カンポの他に、ドスとブグレスという上流貴族嫡男がおり、この四人が揃って行動する事は珍しくないのだが、今はカンポだけしかいないみたいだ。
彼ら三人は、カシアスを敬い慕っており、俗に言う取り巻きなのであるが、カシアスからしてみれば、幼少の頃から共に育った間柄の彼らを取り巻きとして扱う事に忌避感を覚えてしまっている。
故に、周りの人間から取り巻きとして認識されるのを好ましくは思っていない。
当人達がそれで満足なら何も言う事はないと半ば諦めているが、認めている相手に三歩下がられて歩かれるのも中々居心地が悪い思いである。
そんな事を思い返して一度深い溜息を吐くと、カンポに「あれからどれくらい経った?」と腹に響く鈍痛を抑えて問う。
「あれから、六時間は経過しています」
「六時間も気絶していたのか・・・コユクックの子息め、かなり本気だったようだな」
胃の中にあったモノを吐き出したまでは覚えている。吐き出せるだけ吐き出した後に、途端に呼吸が苦しくなってそこから先の記憶がない。
気絶した後は、
質素ではないものの、豪華絢爛という訳でもない寝台が何台かあり、くどくない薬品の匂いが漂っている。
窓から差し込む夕陽に照らされて自分は平民に敗けたのだと再度実感する。
コユクックの子息は勝てたのだろうか。そんな疑問がふと思いつく。
「カンポ、コユクックの子息はどうなった?勝ったか?」
カシアスが問いただすとカンポは明らかに不自然な態度をとる。
ああ、いや、と歯切れが悪く、要領を得ない。
「どうせ直ぐにわかる事だが、今教えてくれても良いだろう?なにがあったんだ?」
「ええと、その・・・」
「もったいぶるな、余計気になるだろう」
「はい・・・その、コユクックはカシアス様がお倒れになられた直ぐ後にアーガマに敗れました」
「・・・・・・は?」
意を決して発言をしたカンポを疑うように、カシアスはカンポを凝視する。
困惑の色を示し、未だ理解の処理が追いつかない情報を整理しようと思考を巡らせるが、結局出てくるのは疑問符だけだ。
「コユクックの子息も敗けただと・・・?」
「そ、それだけじゃないんです・・・あの後、あの平民はマシュー・ウェイン教諭とも演習という名目で決闘を行いました」
カシアスは何も言わない。否、言えない。閉口してしまい言葉が出てこない。
本来、教師と生徒の決闘は禁じられている。だというのに、それを執り行ったという事は、カシアスとバーナードが無惨にやられた様を他の貴族達が認めなかったのだろう。それを納得させる為の演習という名目上の決闘。
カシアスにとって、それは余計に自身の敗北を思い知らせる事になる。
「その、マシュー・ウェイン教諭もアーガマに手酷くやられ、敗れました」
カンポが何を言っているのかわからない。
王立ヘムズワース学園において、在校生を含めた中でも抜きん出た実力を持つカシアスとバーナードを破っただけではなく、あの王国騎士団一個小隊を相手に無傷で完勝を果たしたマシュー・ウェインと連戦をした上で勝つというのは、到底有り得ない話だ。
御伽話でさえ、もう少し自重するはずだ。
しかし、シロウ・アーガマという平民はそれをやってみせたらしい。ウェイン担当クラスの全員が証言者である為、この出来事は事実として直ぐ様校内に知れ渡るだろう。
カシアスとバーナードの敗北という汚名と共に
「私だけでなく、コユクックの子息もマシュー・ウェインですらも敗けただと・・・!?」
「は、はい・・・そうです」
「莫迦な!コユクックの子息もマシュー・ウェインも勝てないなんて、有り得ない!それじゃあアイツはーー」
声を荒げ、それに呼応する形で痛みは広がっていく。だが、言わねばならない。言わねばならないのだが、その言葉を口にする事はない。
それは、カンポの表情を見ればわかるからだ。
カシアスでさえ思った。それなら、その現場を目撃した生徒達はより強烈にソレを理解しているだろう。
シロウ・アーガマという男の規格外さを、異常性を、あまりにも危険な人物だという事を、この国を滅ぼしかねない危険な人物だと。
「・・・今、コユクックの子息はどうしている?」
息を落ち着かせてカンポに問う。
「コユクックはまだ目覚めていません。ウェイン教諭はピンピンしていました」
「・・・そうか」
コユクックは相当酷いやられ方をしたのだろうとカシアスは推察する。マシュー・ウェインに関しては論外だ。人間の尺度で測るべき人物ではない。
だからピンピンしているのも頷ける。
しかし、そうなるとこれからの身の振り方を考えなければならない。
あの平民が癇癪一つ起こすだけで街が消滅しかねない。
媚を売り諂う事は簡単だ。だが、そんなのではあの決闘を目撃した生徒は、その話を聞いた人々は安心して世を明かす事ができない。
きっとカシアスの父、リオグランデに話したところで些事として切り捨てられるだろう。どうせ、息子が平民に敗北したとしても気に留めない人だ。シロウ・アーガマの処遇を打診したって意味がない。
だから、カシアス自身が行動せざるを得ない。このまま無関係だと静観できるほど、カシアスは腐っていない。
自分がどうにかしなければ。
あの平民の手綱を握るか、それとも殺すか。どちらにせよ、今の自分じゃ到底叶わない話だ。
なら、する事はただ一つ。
「カンポ!私はダンジョンへ行く!」
「えっ?そのお体でですか!?」
「案ずるな、無茶はしない。明日の朝邸宅まで迎えに来い。それまでには切り上げて帰っている」
「そ、それなら私もお供に!」
「いや、私一人で十分だ。行かせてくれ、カンポ」
カシアスは腹を抑えて頭を下げる。カンポも、ここまで誠実に頼まれては断る事ができない。
カンポの了承を得ると、カシアスは寝台から飛び降り救護室を後にする。カンポの顧慮した言葉を背に受け、走り出す。
一刻も早く、力をつけなくては
鈍痛は未だ続く。しかし、やらなければならない事がある。だから、駆ける。
イオク家が所持する土地にある未開拓のダンジョン。そこで、シロウ・アーガマに対抗する力を付ける。
危険分子は排除しなくてはならない。
なんとしてでも、どうにかしてでも。
カシアス・イオクは決意する。
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