第15話 8

 家までどうやって帰ったのかは覚えていない。気付いたら、いつもボクが寝起きしている倉庫の中にいた。

 最後に覚えているのは、皆から嫌われているボクの眼をみたシローが言ったあの言葉。


『なんだ、やっぱ綺麗じゃん』


 今思い出しても顔が熱くなる。そんな言葉、言われたのは初めてだ。


 倉庫の外に出て少し歩く。そこから少し歩いた先にあるお風呂場へと向かうためだ。

 ここは、本館の裏側の更に奥まった位置にあるボクだけが暮らす場所。ここへ入るための入り口も、簡素だけどあるお風呂も、洗濯板も井戸も、勿論寝泊まりしている倉庫も、全てボク専用。けれど、その空間にあるモノ以外は、足を踏み入れてはいけないし、触れてはならない。

 父上の顔も母上の顔も知らない。あの離れた本館に住んではいるのだろうけど、会った事も見た事もない。あの本館との繋がりは、血縁と父上からの言伝を伝えにくる執事の人だけ。その人の名前も知らない。

 何の為に生きているのだろう。何の為に生かされているのだろう。正直、よくわからない。

 疎んで、蔑んで、遠ざけるなら、産まれた直後に殺せばよかったじゃないか。生かす必要もないハズなのに、よくわからない。ボクを学園に通わせる意味だって、よくわからない。

 それもこれも、魔眼なんてものを持って産まれたのが原因だ。何度恨んだかもわからない、何度憎んだかも忘れた。

 衝動的になって目を抉り出そうとした事もあった。ナイフでズタズタに目玉を刺して、スプーンでほじくり出そうとした。耐え難い痛みを我慢して目玉を取り出しても、手元の目玉は塵となり、目玉のあった空洞は即座に魔眼を再生させた。


 


 血に塗れる眼を洗い流す様に、顔にへばりついた固まった血を溶かす様に、大粒の涙が流れ落ちていき視界が晴れる。まさしく、絶望だ。

 その時だって、それ以前だって、それ以降だって、幾度となく死を望んだ。死にたい、死んで楽になりたい。こんな人生、辛いだけだ。

 心臓にナイフを突き刺し、何度も刺しては抜いてを繰り返す。でも死なない。

 頭にナイフを突き刺しても、手首を切っても、舌を切り落としても、死にはしない。直ぐに傷は塞がって、欠損した部分は再生する。

 こんな体、普通の人間じゃない。まるで魔族だ。

 魔族とボクが一つだけ違うのは、これを哀しいと思える事。


「でも、良いや。なんでも、どうでも」


 今のボクにとって、そんな事はもうどうでも良い事だ。今まで悩んで来た事は全て些事でしかない。


 頭と身体を洗い終えて、泡を井戸から汲み上げた水で流す。今は暖かい時期だから、冷たい井戸の水も気持ちが良い。寒い時期なんかは隙間風が寒いし、水も冷たすぎるから、お風呂になんて入れない。だから、お風呂に入れるこの暖かさがボクは一番好きだった。

 でも、一番好きなのは今日更新された。


「シロー、今どうしてるかな・・・」


 服を着て倉庫へ戻る道すがら、シローの事を考える。

 シロウ・アーガマ、彼との出会いは衝撃的だった。

 第一印象は怖い人だった。とても人とは思えない程の小魔力オドを垂れ流し、いつでもあの試験会場を血祭りにあげられると言わんばかりのオーラを漂わせた彼が近づいて来た時は、ボクは死ぬのかと思った。でも違った。

 ボクは魔眼持ちだ。だから、皆はボクに近づかない。ボクにとっても、周りの人にとっても、それが普通。

 けれど、シローだけは違った。目隠しをして白杖を突くボクに優しく声をかけてくれた。手を差し伸べてくれた。目隠しをしていたって、大魔力マナ小魔力オドも視えているのだから、歩くのに苦労なんてしないのに。

 彼から受けた優しさは、ボクが十六年生きてきた中で一度も受けた事がない暖かさだった。冷え切った心が彼の優しさで溶かされ、彼への想いが溢れ出してくる。


「シロー・・・」


 ただ声をかけられた。たったそれだけの事なのに、今朝会ったばかりの人だと言うのに、どうしてしまったのだろう。

 頭の中は、シローの事でいっぱいだ。

 シローの顔、シローの声、シローの体温、その全てを鮮明に思い出す。たった一日でボクの全てになった人、シロウ・アーガマ。カッコよくて、頼りになる理想の人。だからこそ


「き、気持ち悪い奴って思われてないかな?変なヤツって思われていないかな?」


 今日の事を振り返って悶々とする。

 今朝の騒動の時、萎縮して何も言えなかった事をシローは許してくれた。正直ホッとしたし、ボク自身も意見を言える様に変わろうと思った。でも、そう簡単に変わりはしない。


「あんな野蛮な行為、シローにどう思われたかな?」


 ボクが忌み子と呼ばれている理由ワケを、シローに伝えようとしたカイ・ロットさんへ突撃した時の事を、慌てふためいて暴力に走るみっともない様を思い返す。

 あんな事しなくても良かったじゃないか。ロットさんが怪我をしていたらと考えるとゾッとする。

 変わると言ったのに、シローには誠実でありたかったのに、彼に魔眼の事を知られるのだけは嫌だった。


『どうせいつかバレるんだ!なら早いほうが良いだろ!』


 ロットさんの言葉を思い出す。確かに、ロットさんの言う通りだ。あのまま隠していたってどうせすぐバレる。

 魔眼の事を隠してシローの側にいて、いつかバレた時はどうするつもりだったのだろう。何も考えていなかった。ただ、今の幸せ味わっていたかった。

 でも、結果的にはシローは魔眼を畏れなかった。あまつさえボクの魔眼をみて綺麗だと言ってくれた。嬉しかった。幸せだった。ロットさんには感謝してもしきれない。


「昨日のボクに教えてあげたいなぁ」


 昨日だけじゃない。一昨日もその前のそのまた前の日も、シローに出会った今日という素晴らしい日が訪れる事を、過去のボクに教えてあげたい。

 シローは魔眼の事を知ったボクを受け止めてくれた。それなら、もしかしたら、この魔族みたいな死ねない体も受け入れてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待をするけれど、別にそれでシローがボクを嫌って離れたっていい。この魔眼を受け入れてくれたのだから、それで十分だ。

 それに、もしシローに嫌われたとしても、陰ながらシローの事を支え続けるつもりだ。


「ボクも変わるって決めたんだから、これくらいの決意は持っておかないと」


 ボクの全てはシローのもの、シローの為ならなんでもできる。


「また会いたいな。入試、合格しているといいんだけど・・・」


 シローに募った想いを馳せ、頬を紅潮させる。次第に熱くなる体を慰めて、その日の夜は更けていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る