第5話 4

 そして迎えた三百年後、俺の体は十六歳となり明日の朝にはヘムズワース学園へと向かう段階まで来た。つまり、これが師匠達と生活する最後の日だ。


「これまでよく頑張ったわね。偉いわ。」

「ありがとうございます。」


 満足気な顔をして、セイラ師匠は俺の頭を優しく撫でる。微笑ましい師弟の光景だ。セイラ師匠が俺に馬乗りしている事を除けばだが。


「セイラ師匠、今日はいつにも増してべったりくっついてきますね。」

「え〜?そうかな?そんな事ないよ〜」


 にこにこと笑ってセイラ師匠は答えるが、いつもは馬乗りなんてしてこない。今日が初めてだ。


「いつもは俺の上に乗ったりしないじゃないですか。」

「なによ、恥ずかしいの?」

「いや、微塵も」


 俺の答えに満足がいかなかったのか、セイラ師匠は頬を膨らませる。仕方ないだろ、三百年以上一緒に暮らしているんだ。とっくに俺と師匠達は羞恥を覚える間柄じゃない。セイラ師匠と一緒に風呂に入っても、顔色一つ変えない自信がある。というか、一緒に入ったけど恥ずかしさなんて微塵も感じなかった。


「まあ、いいわ。そんな事よりも大事な話があるのよ。」


 セイラ師匠はそう言うと、馬乗りのまま体制を前へと倒す。セイラ師匠が俺に覆いかぶさった状態だ。彼女の綺麗な髪は重力に逆らわず、しなやかに下へと垂れ下がる。窓から差す月光にセイラ師匠のブロンドの髪は照らされて、さぞや美しい光景なのだろうと思いを馳せるが、それを俺が視認する事はできない。視界に映るのは、セイラ師匠の美しい顔だけだ。


「・・・あ、師匠・・・・・・、」


 あれだけ恥を感じない、慣れたと心の中で豪語していたにも関わらず、セイラ師匠の顔が間近に迫る事で俺の頬は紅潮する。ガチガチに緊張して体は動かないし、「あっ・・・、あ、・・・あ、の・・・」と声にならない声を出すだけで精一杯だ。先程までの余裕は見る影もない。端的に言ってかなりダサい。

 しかし、セイラ師匠はそんな俺の様子を気にする事もなく「これは真面目な話よ。」と話を続ける。


「貴方には学園へ入学する際に名前を変えてもらうわ。」

「はぇ・・・」

「浦木士朗という素敵な名前があるけれど、学園に入学する際にはシロウ•アーガマと名乗ってくれるかしら?」

「ひゃ、ひゃぃ」

「私達の家名を士朗にあげるわ。これで、少しは向こうで生活しやすくなると思うの。」

「ぁ・・・い」

「浦木を捨てろと言っている訳ではないのよ?シロウ•"アーガマ"•ウラキと名乗っても良いわ。私達はただ、私達の家名を士朗に貰って欲しいの。」


 セイラ師匠は一言一言話す度にグイグイと近づいてくる。その距離は既に額と額が鼻と鼻がくっついてる程で、後少しで唇同士が触れ合う所まで来ている。


「士朗?聞いてる?」


 俺は目を瞑って必死にセイラ師匠の存在を認識しない様に努める。が、セイラ師匠が一言話せば吐息が口に当たり、セイラ師匠が動けば体に乗っかる柔らかな肢体と温かな体温を感じてしまい、嫌でもセイラ師匠を認識せざるを得ない。

 それに普段は気にしていなかったが、こういう時に限ってセイラ師匠からめちゃくちゃ良い匂いがする。どう足掻いても、俺は今の状況から抜け出せない。


「・・・士朗〜?ねぇ〜」


 こんな状況だからだろうか、心なしかニヤニヤと微笑み混じりな声で言われている気がする。「どうしたのぉ〜?士朗ってばぁ〜」とセイラ師匠は俺の頬をぺちぺちと叩き始める。絶対楽しんでるだろこの人。


「・・・セイラ師匠!」


 流石に今の状況でずっと硬直する訳にもいかない。そう思った俺は声を張り上げてセイラ師匠の腕を取る。「え!?あ!?」と、困惑するセイラ師匠の声を他所に、そのままの勢いで彼女を押し倒して目を見開く。

 押し倒されたセイラ師匠は頬を紅潮させ、息も乱れている。口元を歪ませ、次第に上がる口角に合わせて綺麗な白い歯が顔を見せる。脚は俺の体を受け入れるかの様に徐々に広がり、俺の腰を捉えると逃さんとばかりにガッチリと膝で捕まえた。俺、これから叱られるのかな。

 セイラ師匠も頬が赤くなっている。さぞ恥ずかしい思いをしているのだろう。でも、俺だって恥ずかしいのだ。いくら師匠とは言え、さっきのはやりすぎだ。俺がやり返して、自分がどんな事をしたのか思い知らせてやる。

 声にならない声を出しているセイラ師匠の顔に近づく為に体を密着させる。いつも抱き合って寝ているのだし、これくらいどうという事はないのだが、いざ顔が目の前に来ると緊張する。激しい心臓の音で外部の音も耳に入らないし、全然慣れていないじゃないか。


「あっ、や、やっとその気になったの・・・?」

「セイラ師匠」


 セイラ師匠の額に俺の額を合わせて、顎に手をやる。それを受けてセイラ師匠は「ん」と目を瞑る。その表情は観念したと言うよりは何かを催促している様に見えた。その表情は辞めてほしい、危うく勘違いしてしまうところだった。


「師匠がさっきやった事ってこう言う事ですからね。めちゃくちゃ恥ずかしいでしょ?そうじゃなくても、こんな事他の男なんかにやったら勘違いされちゃいますからね。気をつけてくださいよ。」


 俺はそう言って師匠の元から離れる。今のは客観的に見ても努めて冷静に、かつ紳士的に対応できていたのではないか?ポイント高いわ〜


「えっ?え?嘘でしょ?士朗?・・・え?」

「ほらセイラ師匠、明日も早いんだから寝ましょ」

「・・・え?・・・・・・え?・・・え?え〜〜〜?????」


 急な俺の猛攻に困惑した様子を見せるセイラ師匠を尻目に俺は床に就く。なんだかんだ疲れたからすぐ寝れそうだ。

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