第17話 夜が私たちは手を伸ばし、

『もしもし』

「もしも、じっ、」


 噛んだ。第一声から噛んだ。

 死にたい。

 衣織いおりは少し鉄の味がする唾液を呑み込んで、ひいひいと泣きそうになった。


 スマホのスピーカーからは、那智なちの声が聞こえてくる。肉声とは厳密にいえば違う、電子化された彼女の機械音声は、彼女本来の声帯の震えと酷く似ている。


「もしもし」という言葉だけでは、向こう側の表情がなかなか掴めなくてちょっと不安になる。人と対峙することのほうが不安を覚えやすいと衣織いおりは思い込んでいたのに、意外にも電話口での不安も大きくて、またちょっと驚く。


 那智なちの謝罪から、会話が始まる。変換された肉声的機械音声では、彼女の声色の含まれる表情を読み取ることは難しかった。




* * * * *


『ごめん、もしかしてだった? 急に通話かけてきてごめんね』

「いえいえ! そんなことないですよ!」

『あれ、また敬語に戻ってる。湯崎ゆざきさん、まだタメ口慣れない?』

「……正直に言えば、まだまだ全然。……すみません」

『いいんだよ別に。敬語だからタメ口だから名前呼びだから……そんなことで、友達同士の親密度が測れるわけじゃないし』


『……昨日今日、二日間続けて湯崎ゆざきさんには助けられてしかいないから、感謝を伝えたくて。湯崎ゆざきさん本当にありがとう』

「い、いえ! 私は感謝されるようなことはなんて一つも——」

『あるでしょ。それも一つも二つも、どころじゃないでしょ。少しは相手からの謝意を理解してください』

「……あ、はい。すみません」

『別に謝らなくてもいいんだけど……。まあいいか、私からの感謝がちゃんと伝わればそれでオーケーだし』


『ねえ、あたしたちさ。恥の等価交換したじゃん? あたしが泣いた理由と湯崎ゆざきさんが泣いた理由を開示し合った、昨日のあれ』

「……はい、そうですね」

『あたしね、昨日今日って湯崎ゆざきさんのそういう……なんて言うのかな……相手が欲しがっている言葉を伝えられるところ、すごく羨ましいなって思ったの』

「……? 何を言ってるのか全然わからないんですが……。相手が欲しがっている言葉をきちんと伝えられたら、私にはとっくの昔に友達ができたと思うのですが……」

『? 相手が欲しがっている言葉を伝えられる人間って、普通に考えれば友達できないでしょ。だから、湯崎ゆざきさんに友達ができないのは当然の話だよ?』

「…………………………すみません、ちょっと今気絶してました。え、白鷺しらさぎさん、え、今、え、なんておっしゃいました?」

『うん? だから、湯崎ゆざきさんに友達ができないのは当然の話だよーって』




湯崎ゆざきさん? 湯崎ゆざきさん、おーい。……あれ、通話切れちゃった?』

「————……あ、ああ、また気絶してました。すみません、ちょっと回線も悪いみたいで、はい……。すみません、もう一度さっき言ったこと、繰り返してもらってもいいですか?」

湯崎ゆざきさんに友達ができないのは当然だよーって』

「なんでそんなこと言うんですかあああっ——!?」

『うわっ!? 声でっか! ……びっくりしたあ。……でもさ、考えてみればそうでしょ? 確かにさっきはって言ったけど、これはかなり良い言葉を選んだセンテンスだよ』

「……じゃあ、言葉を選ばないとすると?」

『会話相手よりも、会話相手の心情の機微の解像度が高くて、また、会話相手よりも、会話相手の核を射てしまう、いけ好かない言葉』

「……」

湯崎ゆざきさんは、たぶん何度か会話をしただけで、相手の心情が手に取るように理解できてしまうんだと思う、それも相手の自覚以上に。……自分より、自分のことを理解している人間が突然目の前に現れたら、みんなびっくりしちゃうでしょ? みんなはそのびっくりのせいで、湯崎ゆざきさんを警戒して近づかなくなっちゃうの。だから、友達ができないんじゃないかなって』

「……どうなんでしょうか」

『……む。ハズレっぽいな。もしかして湯崎ゆざきさん、自分に友達ができない理由、本当のところではわかってるんじゃないの?』

「………………どうなんでしょうか」


「というかというか、白鷺しらさぎさん、何か急に言葉強すぎないですか? 私に友達ができないとか、デリカシーなさすぎじゃないですか?」

『だって、言葉ははっきりと伝えるべきだって、昨日今日の態度で教えてくれたのは湯崎ゆざきさんのほうじゃない』

「……む、むむむ…………そうですか」

『あ、照れてる。可愛い』




『ねえ、今あたしが欲しがってる言葉当ててみてよ』

「……すごく嫌な要望ですね。無理ですよ……当てられる自信がないです」

『えー? いいじゃん、試しにさ』

「無理です……」

『えー、お願い』

「出来ないです……」

『ぶー、……そうだ。じゃあ、あたしが湯崎ゆざきさんの欲しがってる言葉当てられたら、あたしの要望を呑むってのはどう?』

「……わかりました。いいですよ」

『うーん……』




湯崎ゆざきさん、あたしあなたのことが好き』






「……違います。……ごめんなさい、違います」

『もう、めっちゃ恥ずかしい思いしたんだけど! なんか色々すり減ったよお!』

「……ごめんなさい」



『もう十一時過ぎたね。そろそろ寝ないとね』

「……そうですね。明日は待ち合わせもしてますし」

『うん。りょうと関係修復するために頑張らないと! 湯崎ゆざきさんもこれからも協力お願いしますねー!』

「あ、はい。こ、こちらこそ」

『じゃあ切るね。おやすみ』

「……おやすみなさい」

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