第7話 スタンスと立場(←サブオブジェクト)

 帰宅したのは、いつもよりずっと遅い時間だった。

 衣織いおりは部活や委員会に所属しておらず、放課後はほとんどフリーだ。校外に友達がいるわけでもないため、授業が終わり次第即帰宅が常だった。


 帰路は、少し足取りが軽かった。

 放課後教室で語り合った三人の顔が浮かんだ。那智なちと、唯花ゆいかと、由香ゆかの顔。


 そして連想したのは、四人で語り合った会話の内容——。

 一時は、場の空気が凍ったり軋んだり……。

 人と関わることに慣れていない衣織いおりにとって、の女の子の会話にどっぷり浸かるような体験はほとんど初めてといっても過言ではなかった。

 

 けれど知れたことは、ずっと多かった。


 学校内であんなにも注目されている那智なちと接触してみてると、彼女は思っていたよりも感情の起伏が大きくて、人間味に溢れていた。

 クール系でかっこいいと思われていた唯花ゆいかと接触してみると、彼女は思っていたよりもずっと優しくて、なんというかしていた。

 愛され上手でクラスのマスコットみたいだと思っていた由香ゆかと接触してみると、会話のなかではずっと冷静で、物事を俯瞰することに長けていた。


 学内で多くの生徒に周知されているキャラと、彼女ら本来の性格。

 そこには大きすぎるギャップがあって、だけど親しみやすくて可愛くて。

 衣織いおりはその温度差に風邪を引きそうになりつつ、しかし、どこか「私だけが秘密を知ってる感」に酔いしれてもいた。

 ……これが、友達なんだと思わせてくるような安心感があった。


 そして、もう一つ知れたことは、唯花ゆいか由香ゆかの、問題に対するスタンス。

 衣織いおりは、まずは頭のなかで復唱するように、那智なちから振り返る。


 那智なちは「グループが空中分解になるだけは避けたい。また以前のような友達の関係に戻りたい」と思っている。

 そこに付随した思いは、男子メンバーとの関係修復。自身がグループの空気を悪くしている発端に大きく関わっていることを少し後ろめたく思っている節もある。


 唯花ゆいかは「男子メンバーとの関係が壊れようか続こうがどちらでも良い。ただこうなった以上、風見涼かざみりょうからの謝罪が欲しい」と思っている。

 彼女がまず第一考えているのは、女子メンバーの保護だった。最悪男子メンバーとは離れてしまってもいいと考えているらしかった。

 ただ、当人から謝罪を求めているところから、諍いの「原因の可視化」に強く執着している気がしていた。


 由香ゆかは「みんなでまた海とかお泊まり会したいなー」と言っていた(原文ママ)。

 彼女も那智なちと同様関係修復を望んでいるようで、「来年の夏休みも海に行くって約束したのにさー、男子たち約束破るつもりなのかなー」とゆるゆると言っていた。


 三人のスタンスを並べてみるに、誰一人として男子メンバーとの破局を望んではいないということだった。


 今日衣織いおりが知れたことは、ほとんどプラスの内容といえた。

 那智なち唯花ゆいか由香ゆかの本来の性格と、問題に対する女子メンバーのスタンスの一致。


 それが、衣織いおりの足どりを軽くさせ、鼻歌なんかも歌わせる。

 掴んだドアノブもやっぱり軽くて、いつもは「タダイマ……」と蚊の鳴くような声で玄関をくぐるのだが、その日はテンションが上がっていて「ただいまー!」と元気な声が出た。


 と、衣織いおりの声に反応して——



 ドドドドドドドドドドッッッ————!!!!!



 の大きな足音が、衣織いおりのもとへ向かってきた。

 

 衣織いおりが「うえっ!?」と驚いていると、居間から廊下を抜けて全力ダッシュして近づいてくる、の姿——。


 どういうわけか涙で顔をぐしゃぐしゃにした妹と、これまたどういうわけか恍惚そうなうっとりした表情を浮かべた母親は、声を揃えて。


「「——帰ってくるのが随分遅かったようだけど!!!」」」

「えっ、あっ、な、なに——!?」



でもできたの——!?」


 

 は?




* * * * *


「おおおお姉え゛ぢゃああん……彼氏と別れでよお……。ちっちゃい頃と結婚するっで言っでだじゃあああん……」

「あらあらあら、もう……。ついにうちの衣織いおりちゃんにも彼氏かあ。幼稚園の頃から全然男の子と関わろうとしないから心配してたのよお……」

「……」

「な゛んで、な゛んでえ……。チユリじゃダメ゛なのお……? どこがいけなかっだのお……? 悪い゛所、直すから……直ずがら゛……、彼氏と別れ゛でよお……」

「どういう男の子なの? イケメン? 部活は? 趣味は? もしかして違う高校の子? いつお母さんに紹介してくるの?」

「……」

「い゛つ? いつがら゛付き合っでだの゛? どうじて教え゛ぐれな゛がっだの゛? も゛じがじで、チユリのこと、嫌い゛になっだの゛?」

「もしかして女の子だったりして! いやだあ、衣織いおりちゃんより可愛い子だったらどうしよう! お母さん困っちゃうわあ!」

「……」


 なにがどうしてこうなった……?

 衣織いおりは、ダイニングテーブルに並んだ夕食に一口もつけられないまま、妹と母親による新手の尋問に閉口していた。


 彼氏? どこからそんな話が始まったのか?

 とりあえずそこから、確かめる必要があるだろう。

 衣織いおりは、おずおずと二人に訊ねる……。


「あの」

「お姉え゛え゛ええぢゃあああああん——っ!!!」

「あらあら、なに? なにか甘酸っぱい話でもしてくれるの? やだあ、お母さんちょっと汗ばんじゃう」


 話聞けって……。

 衣織いおりはもうほとんど白目剥いていた。

 発言しようとしたところで、衣織いおりの声がかき消される。妹と母親の声は高くて大きくて、よく通る。

 

 もう一度「あのっ!」と声を荒げると、ようやく二人は衣織いおりに視線を向けた。


「……あの、彼氏ってなんの話ですかね?」

「あら、恥ずかしがらなくていいのよ? いつもは夕方にはすぐ帰ってくるのに、いきなり二十はち時帰宅とか。もうそれって、彼氏できたとしか思えないでしょ?」


 思えませんよ、ええまったく。

 衣織いおりはジト目で母親を見つめるが、その眩しい笑顔は無敵すぎる。


「彼氏なんてできてないよ。友達と少し話してて。それで遅くなったの」

「授業の終わりって、十六時よね? そこから四時間、友達と話してたっていうの? アリバイ工作としての言い訳にしては、ちょっと弱いかなあ」

「アリバイって。犯罪者みたいに言わないでよ。……中学時代の親友とたまたま帰り道で会って、旧交を温めてたの」


 嘘である。

 けれどそれは、厄介すぎる母親から逃れるには必要な嘘だった。

 

 ——だが。


「嘘つき」

「——へ?」

「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき。お姉ちゃんの嘘つき。だって、お姉ちゃん友達一人もいないもん。毎日お姉ちゃんのメッセージアプリ確認してるチユリが言うんだから間違いないよ。今日は放課後生徒会に参加しなくちゃいけなかったから、いつもみたいにお姉ちゃんの帰り道後ろから着いて歩くことはできなかったけど、いっつも一人で学校出て寄り道せずに家に帰るじゃん休みの日も誰かと電話することもないし遊びに行くこともないし一日中ベッドの中でSNS眺めるか惰眠を貪るかしかしないし校外にも友達いないじゃん中学時代の親友って嘘だよね友人すらつくれないお姉ちゃんのことだし委員会にも部活にも入ってないし誰かとの接点すらつくれないのに友達なんてできるわけないよねというかチユリがいるからお姉ちゃんには友達なんていらないよねいるわけないよねお姉ちゃんにはチユリだけで充分だよねチユリはお姉ちゃんさえいれば充分だよだから彼氏なんか必要ないよ必要なわけがないんだよ別れてよ別れなよ別れたほうがいいよ絶対絶対絶対別れたほうがいいよ」


 怖いって。呼吸しなよ。瞳孔開いてるし。

 衣織いおりは、ぐっと顔を近づけてくる妹にドン引きする。

 怒濤の勢いで捲し立てる妹——湯崎智由梨ゆざきちゆり。重度のシスコンである。衣織いおりの一つ年下で、現在は中学三年生。在籍のある中学で生徒会長を務めるほど優秀な人間であるはずなのだが……。


「お姉ちゃんどうして嘘つくの? 嘘つくってことは後ろめたいことがあるってことだよね? その後ろめたいことって、彼氏なんでしょ? ねえ、ねえ、ねえ」

「……チユリ落ち着いて。私は嘘なんか——」

「嘘つくならバレないようにつきなよなんでそんなバレるような嘘つくのチユリにはわかるんだよお姉ちゃんの目みればなにが本当でなにが嘘なのか一発でわかるから発言には気をつけたほうが」


 止まらないメンヘラマシンガン。

 怖いを通り越しておぞましい。ゾワゾワと背筋に鳥肌が立ち、体温が急激に下がるようであった。

 

「娘(姉)が定時に帰ってこない」→「彼氏ができたに違いない」

 どうやら二人はそんなふうに考えているようだった。

 その発想自体安直すぎるのだが、高まったテンションと不安が二人の理性を溶かしきってしまい、どんどんどんどん話は「娘(姉)に彼氏ができた!」へ。


 一旦。

 一旦、二人を黙らせてから誤解を解こう。

 そう考えた衣織いおりは、ヤンデレ化したチユリを落ち着かせるに出た。


「チユリ」


 そう呼びかけて智由梨ちゆりにこちらを向かせると、衣織は、彼女の華奢な身体に——。ぎゅっと強く胸を押しつけ、顔と顔をぐっと近づけて——。


 そして、耳元でささやく。


「チユリ? 一旦落ち着いてお姉ちゃんの話聞いてくれる?」

「……………………………………ぅ」

「良い子だから、ね?」

「………………………………………………………はい」


 さっきまでの勢いはどこへいったのか、智由梨ちゆりは目にハートマークを浮かべて静かになった。


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