第6話 陰キャ少女は二度喉を鳴らす

 議論再開。

 唯花ゆいかによる推しの告白(由香ゆかがほとんどバラしたようなものだが)によって、先程まではビクビクするしかなかった衣織いおりも今となってたいぶ気が楽そうだった。


「――えっと、どこまで喋ったっけ……? ああ、そうだ。湯崎ゆざきさんから意見がほしいってところで脱線したんだっけ」


 那智なちがうんうんと軽く頷きながらそう言った。

 唯花ゆいかは「そうよ」とそれを肯定し、由香ゆかは「そうだっけー?」と首を傾げた。

 衣織いおりは唇を舐める。


「……えっと、今から言うことは悪い意味で捉えてほしくないんですけど」


 衣織いおりが訥々と語りだす。


 悪い意味には捉えてほしくない。

 そう言うと、那智なち唯花ゆいかの表情が曇りだす。衣織いおりを責める顔ではない。衣織いおりの発言に身構えている顔だ。


 が、そんな少し重くなりだした空気のなか、一人の少女がゆるゆると声を出す。


衣織いおりん、敬語ー」


 ゆるっと衣織いおりの顔を指差す由香ゆか


「――うえっ、け、敬語……がどうしましたか?」

「敬語なんて使わなくていいいんだよー? 別にユカたち、偉いわけでも年上なわけでもないしー。てか、友達だしー」

「と、友達だなんて……。嬉しいんですけど、でもでもタメ口に慣れてなくて……」

「んー? 慣れてないのー?」

「……はい。……クラスメイトにタメ口で話しかけたら『は?』って言われたことが過去にありまして……」


 へえ、と頷きながらも深く過去の失敗談を聞き出そうとはしない由香ゆか

 その距離感が心地よくて、衣織いおりはまた「好き……」となる。

 また、そんな百合百合しい空気を察知して、ぽっとほのかに顔を赤くして二人を見つめる唯花ゆいか

 またまた、そんな三人に蚊帳の外にされてちょっとだけ不満そうな那智なち


「もう、そうやって話逸らすから進まないんじゃん。由香ゆか発言禁止。唯花ゆいかは早く自分の世界から戻ってくる」


 聞き分けのない生徒にお説教をするような口調だ。

 那智なちはぶすっと膨れて言う。まともなことを言っておきながらも、その実三人から仲間外れにされて少し寂しくなっただけである。


 議論の舵は、那智なちが握ることになる。

「はい、湯崎ゆざきさん」と発言を促され、もう一度「悪い意味で捉えてほしくないんだけど……」と前置きを提示した。


 先ほどと同じ発言をしたというのに、四人を囲む空気から重苦しい要素が綺麗さっぱり取り除かれていた。

 衣織いおりはまた、話す意志を取り戻す。


 ……と、制服のポケットが微かに震えた。

 スマホのバイブレーション。

 これ以上議論を引き延ばすわけにもいかないので、ポケットからちょっとだけスマホを出して、着信内容を手短に確認する。


 画面のポップアップは、メッセージアプリによるもの。

「新着メッセージがあります」の下部。そこには、つい先ほどアカウントを交換した少女からの短い文章が送られてきていた。


 

 由香ゆか衣織いおりん、まだ緊張抜けてないぞー!

 由香ゆか:深呼吸! 深呼吸!



 思わずばっと顔をあげると、由香ゆかの可愛らしい笑顔がそこにはあった。

 目が合うと彼女は、ぱくぱくと口を動かして衣織いおりに向けたメッセージを送る。

 ……それは、どこまでも純粋で、どこまでも衣織いおりのことを思った、簡素なメッセージだった。

 


 が


 ん


 ば


 れ



 口の動きだけで読み取れてしまった衣織いおりは、思わず泣きそうになる。

 いやこれもう、惚れちゃうでしょ……。

 頬を拭う。

 唇を噛む。

 由香ゆかに向けて、大きく頷いてみせる。


 ごくんっ——と唾を飲み込む。

 由香ゆかからの最大のフォローを一身に受けて。


「私は――」


 衣織いおりはもう、喋れない女の子ではない。




* * * * *


「まず私は、もうちょっと冷静に状況を把握したい」


 そう言い放つと、三人は揃って首を傾げた。

「冷静にってどういうこと?」と聞かれる前に、衣織いおりは付け加える。

 微かな場の空気の変化すら、今は彼女の敵ではない。


「私は、白鷺しらさぎさんの発言しか受けていない。

 同じ問題に巻き込まれてる柏木かしわぎさんや香椎かしいさんや、男子メンバーの口から実際に情報を聞き出してはいないから、白鷺しらさぎさん以外が持っているスタンスのあり方がいまいち掴めていない。

 白鷺しらさぎさんからはさっき『グループが空中分解になるだけは避けたい。また以前のような友達の関係に戻りたい』って聞いたけど、もしかしたら、現状、白鷺しらさぎとは違うスタンスでいるメンバーがいるかもしれない」


 そこで、思わずといった態度で那智なちは口を挟んだ。


「ちょっと待って。それってもしかして、『あたしたちとはもう関わりたくない』とか考えてる人がいるかもしれないって言いたいの?」


 衣織いおりは申し訳ない思いになりつつ、頷く。

 衣織いおりの意見に共感したのか、唯花ゆいかが口添えをする。


那智なち、『あたしたちとはもう関わりたくない』はちょっと過激な解釈かもよ。もっとリアリティある考え方をすれば『時間が経てばどうにかなるだろう』程度よ。一人の人間がそこまで極端に行動原理を持って動いてるとは思わないこと」


 それに、と唯花ゆいかが付け加えようとしたところで、


「ナチ、『悪い意味で捉えてほしくない』だよ」


 由香ゆかが冷静に言葉を挟むと、唯花ゆいかが同じことを言いたかったようで静かに頷いた。

「ごめん、続けて……」と頭を下げる那智なち


「だからまずすべきことは、今目の前にいる柏木かしわぎさんと香椎かしいさんのスタンスを把握することだと思う。

 その後で、男子メンバーにも確認をとる。告白に失敗したぐらいで仲を切る選択をする人間なんてそうそういないだろうけど、一応確認をとる。

 そのうえで、打てる策を考える」


 ここで衣織いおりの意見は結びを迎える。

「以上です……」と外したはずの敬語が戻ってきて、と思ったら一気に疲れが襲いかかってきた。


 あれ……? さっきまで堂々としてても全然平気だったのに、今はもう死にたくなってるんですけど……。

 というかというか、なんか気づいたらお通夜みたいな空気になってるんですけど。

 というかというかというか、こんな空気にしたのって私だからどうにか収拾つけないとつけないとつけないとあうあうあう……。

 混乱しだす衣織いおり。周囲の収拾をするよりも、まずは自分を落ち着くことが先手である。

 

 やらかしたかな……と視線をあげると、不安そうな那智なちの顔。

 唇を噛み、瞳には衣織いおりに縋るような色が見える。


「打てる策っていっても具体的には、なにをするの?」


 ひゅっ、と勝手に身体が勝手に息を吸った。

 衣織いおりは、正直にいえば具体的な対策というものを考えてはいなかった。

 どう返答するべきか悩んでいると、そこに別の論点を持ち込んだのは、由香ゆかだった。別の論点、といっても、それは衣織いおりが示した方針の順序を守るべきだと主張した意見だった。


「ナチ、冷静になりなって。衣織いおりんはさっき、『目の前にいるユカとユイのスタンスを把握するべき』だってしっかり提言してるよ。衣織いおりんの方針んに従うなら、衣織いおりんの示した順番通りに確かめていかないと」

「そうね。那智なち、ちょっと落ち着いたほうがいいわよ。……もちろん、事の発端はあなたが告白されたことだけど、那智なちが罪の意識を持つ必要もないの。だから、落ち着いて」


 唯花ゆいかもフォローに入る。「うん、うん……」と暗い表情で頷く那智なちに「大丈夫だぞー」と由香ゆかが微笑む。

 悲しげな彼女を見ていると、衣織いおりはまた、あの五時限目の屋上近くの踊り場でしたみたいに抱き締めてあげたいと思ってしまっていた。


 唾を飲みこむ。

 だが、先ほどとは違って、まったくもって勇気が湧いてこない。

 衣織いおりはただじっと那智なちの横顔を見つめることしかできなかった。


 そうしているうちに、那智なちは空元気に喋り出す。


「まあでも、方針は決まったよね! まずは女子メンバーでのスタンスの確認、そのあとで男子メンバーにも同じことをする。きちんと状況確認できてから動き出す。すごく冷静な方針だと思うよ! いやあ、それにしてもあたしには思いつかない考えだったなあ! あたしいっつも突っ走っちゃう癖があるし、なにかに熱中すると周りが見えなくなっちゃうところあるから!」


 衣織いおりは自分ではどうしようもなくて、縋るように由香ゆかに視線を向けてしまう。

 けれど返ってきたのは、困ったような笑顔だった。

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