第8話 百合で責任が始まる

 智由梨ちゆりの頭を首元に持ってきて、身体同士を密着させる。

 女の子と女の子の肌は、しっとりと馴染んで溶け込み、そうしているだけで心が落ち着いてきた。


 自身の妹から「女」の匂いを感じ取ること。それは衣織いおりには難しく、だからこの密着はいわゆる「じゃれつき」であって、だからだから智由梨ちゆりには少し切ないスキンシップといえた。


 けれど、スキンシップはそれ本来の意義を達成していて、心のうちで切ない思いを秘めている智由梨ちゆりの本能的な部分で強引に騙くらかし、彼女の理性的な思考を束縛していた。


 結果。

 智由梨ちゆりは、衣織いおりにメロメロであった。


「いい、智由梨ちゆり。まず第一に、お姉ちゃんには彼氏なんかいない」

「……おねえちゃんに……かれしなんかいない……」

「そもそも男の子との接点がなんかないし」

「……そもそも……おとこのことの……せってんなんかない……」

「うん。でもね、その代わりにお姉ちゃん友達できたの」

「……おねえちゃん……ともだち……できた……」


 ぽわぽわとなにか夢うつつな顔を赤くして、智由梨ちゆりはぼんやりと衣織いおりを見つめていた。


「ちゃんと写真もあるよ。ほらこれ。見てみて、三人とも美人さんなの」


 取り出したスマホでアルバムを開く。母親にも見えるよう堂々とダイニングテーブルの上に置く。

 画面移されていたのは、夕陽差す昇降口で四人が並んでいる姿。放課後に由香ゆかが「友達記念ー!」と言って収めた自撮り写真である。


 帰り道の途中でふと気づくと、メッセージアプリを開くと四人のグループチャットのトップ画像がその写真に変更されていた。


「あら、本当ね。可愛いわぁ」

「そうなの。みんなホント綺麗で……って、四人とも?」


 柔らかく微笑む母親と、ちょっと驚いたような表情の衣織いおり

「……そんなことないよ、私なんて」と自虐が始まろうとしたが、それを優しく制したのはやはり母親だった。


衣織いおりちゃんは、パパに似て可愛い顔してるから大丈夫よ。もう本当、髪質とか指の長さとか、そういうところはママの形してるのに、目に映るところはパパそっくりなんだから」

「……目に映るところって?」

「可愛い顔とか、いつも自信なさそうにしてる表情とか、根暗そうな態度とか」


 遺伝の仕方、色々と失敗してませんか。

 衣織いおりは母親で列挙した内容を聞いて、ずうううん……とわかりやすく落ち込む。自身の陰キャ属性の系譜は、そこからきたものだったのか……。

 けれど母親は。


「別に悪いところだとは思ってないのよ、ママは。パパは確かに、学生時代から超超超根暗だったし、話しかけてもぼそぼそ返してくるから全然声聞こえないし……。

 でも、相手がなかなか見えないならこっちから近づいて目を凝らせばいいし、声が聞こえないなら耳を澄ませればいいの。それだけよ。

 ……だけど、パパに近づくのに苦労したママにも不満がないわけじゃないの」

「不満……?」


 衣織いおりは母親の目をじっと見つめて、耳を傾ける。


「パパに、あなたに近づきたい人間だっているのよ。

 だから、誰かと関わることに慣れてないからって、誰から近づかれることに慣れてないからって、その人から隠れようとしたり逃げようとしたりはしないで。絶対に。

 衣織いおりちゃんは目に映るところはパパそっくりだから、たぶん他の子に色々と誤解されちゃうことが多いかもしれない。人は、喋れないとなかなか信用されないから」


「喋れない」と言われた瞬間、なにかがグサッと刺さる衣織いおり。他人から誤解される(かなりマイナスな意味で)ことが、幼い頃から多かった彼女にとって、それは地雷でありというかむしろ地雷原であった。

「ぎゅぷォッ……」と人間言語とは思えない音を発して、テーブルに突っ伏す。


 母親は、最後ちょっと下がり眉毛でこんなことを言った。


「……だから、衣織いおりちゃんは昔のパパみたいに、自分から一人になろうとしてほしくないの。

 本気で近づきたい人間っていうのは、ママみたいにどこかには絶対いて、だからその人の好意にはきちんと向き合ってあげてほしいの。それは、友達においてもね。

 ……それが、ママがパパに抱いてた不満かな」

 

 今はもうラブラブよぉ、と本当に嬉しそうに微笑む母親。

 それはいつも通りの無敵すぎる笑顔だった。


 ……一方、そんな話をしていた間もずっと衣織いおりに抱かれていた智由梨ちゆりは、母親に一切注目することなく。

 ずっとずっと、姉の横顔を呆けたように涎を垂らしながら見つめていた。


「……おねえちゃんに……かれしなんかいない……かれしなんか……いない……いない……いない……らない……チユリがいる……チユリが要る……」




* * * * *


 それから衣織いおりはご飯を食べ、お風呂に入り(全裸で浴室に突入してこようとする智由梨ちゆりを牽制しながら)、課題を片付けて、ベッドに潜る。


 残しておいたタスクから、画面を開くと「新しい友達」欄に三人の名前。


「新しいグループ」の欄には、一つのコミュニティ。


 そこに入ってるのは、白鷺那智しらさぎなち香椎唯花かしいゆいか柏木由香かしわぎゆかと、湯崎衣織ゆざきいおり

 名前の並びに、違和感しかない。陽キャ三人組と、地味で目立たない生徒A。

 けれど不思議な縁もあるものだ。きっかけさえあえば、人はこんなにも変わることができるのだなと、眠気でぼんやりとしだした思考のなかでよぎる。

 

 学内から注目を浴びる正統派美少女——白鷺那智しらさぎなち

 女子からの人気も高いクール系美女——香椎唯花かしいゆいか

 学年のマスコットとして支持を受ける小動物——柏木由香かしわぎゆか


 あんなにも遠くて住む世界が違うと思っていた人間が、今となっては、こんなに近い場所にいる。


 友達。

 友達。

 頭のなかで、その言葉を繰り返してみる。……急に気恥ずかしくなって、笑ってしまう。友達。


「友達」と呼べる人間ができたのは、何年ぶりだろうか。

 衣織いおりはそんなことを考えながら、心地よい眠気に身を委ね――




 ――ピロリン。



 

 ふと、枕元に投げ出したスマホが鳴った。


 なんの通知だろう?

 衣織いおりは、のろのろと手を伸ばしてスマホを取る。


 電源をつけると、液晶が放つ光が思いのほか眩しくて目を閉じかける。


 メッセージアプリのポップアップには「新しいグループに招待されました」とある。


 タップして進むと、そこには――


「(グループ名):ゆのどーりむ14」とあり、思わず衣織いおりは。


「……なにこのグループ」


 流れるように、メンバーを確認して――



白鷺那智しらさぎなち香椎唯花かしいゆいか柏木由香かしわぎゆか、…………風見涼かざみりょう立川佐久斗たちかわさくと外浦慶そとうらけい……」



 何度を目を擦ってみても、それは現実の出来事だった。

 

「えええええええええええ――――っ!?」


 誘われたのは、陽キャグループ(男子メンバーも含む)だった。

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